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トルコ建国の父像、船の科学館に 5月中旬にも串本町へ [2010年03月23日(Tue)]


船の科学館前に仮設置された像

新潟県・柏崎市から和歌山県・串本町に移転されることになったトルコ建国の父ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像が3月18日、東京・お台場の船の科学館に到着、外装などを整えた後、5月中旬にも串本町に運ばれ、日本トルコ友好120周年記念事業が行われる6月3日に除幕式が行われる見通しとなった。
像の積み出し作業

像は3月16日夜、柏崎市の旧トルコ文化村を出発、18日未明に科学館に着いた。高さ4・2メートル、幅3・8メートル、重さ4トンと大きく、日本財団が専門家と移送方法を協議の結果、最終的に大型特殊車両を使い、長野・群馬県境にある碓氷峠を越える一般道のルートで搬送された。道路交通法の定めで走行は低速かつ通行量の少ない夜9時から翌朝6時に限られ、2泊3日をかけた大移動となった。

搬入後、科学館前のシーサイドガーデンに仮設置され、今後、専門家が像の傷み具合などを調べ、必要な補修作業を行う。像はマント姿のアタチュルクが馬上で右手を上げ前方を指す。全体に黒ずんでおり、見上げると改めて圧倒的な大きさが実感される。緑青だろうか、ところどころに青い斑点も。1996年、トルコから日本に運ばれた際は3つに解体して空輸し、到着後、溶接で一体に戻したと言われ、その名残か、馬の脇腹などに薄い線も見える。30日にはセルメット・アタジャンル大使も科学館を訪れるという。(写真左:紀伊大島に立つトルコ軍艦遭難記念碑)

一方、最終的な受け入れ先となる串本町では、既に像の設置場所を1890年にオスマン帝国の軍艦・エルトゥールル号が沖合で沈没した紀伊大島の樫野崎灯台前広場に決め、田嶋勝正町長以下、友好120周年事業として6月3日に行う「エルトゥールル殉難将士追悼式典」の準備に追われている。当日は海自艦船なども参加して5年に一度の慰霊祭が洋上と陸上の双方で行われ、この一環としてアタチュルク像の除幕式も行われる予定だ。(写真右:串本駅前にはトルコ友好の幕)

串本町への輸送日時、ルートは改めて検討されるが、柏崎市からの移送と同様、陸路になる予定。また船の科学館でもこれに関連して、8〜9月にパネルなどを使ったエルトゥールル号展の開催を予定している。(宮崎正)


動画:横倒し「トルコ建国の父像」を新潟から船の科学館へ移設、修復(4:48秒)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:26 | 総合 | この記事のURL | コメント(5)
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コメント
 柏崎市民として申し訳ない限りです。
 ちなみに「横倒し」保管というよりは、草むらにそのまま何ヶ月も放置してあったのが事実です。
 地元でも非礼だと話題になりました。
Posted by: 柏崎地元民  at 2010年06月13日(Sun) 23:02

コメントありがとうございます。

前回の記事で、以下のように紹介させていただいております。
「閉園後、市が買い取り、その後、民間会社に譲渡されたが、2007年の中越地震後、倒壊の恐れがあるとして台座から外された。シートにくるんで保管されたが、トルコ国内で「救国の英雄に対し失礼」といった報道もなされ、駐日トルコ大使館も対応に苦慮していた。」
https://blog.canpan.info/koho/archive/974

倒壊の恐れがあり、横にしておくことはやむを得ない措置だったため、そういった保管方法を批判されることは確かに理不尽なところがありますね。

阪神大震災の際の生活用品について、少しでもお役に立てたようで嬉しく思います。ご丁寧にありがとうございます。
Posted by: 日本財団広報→君影仮設住宅様  at 2010年03月31日(Wed) 12:01

コメントありがとうございます。
串本町はトルコとの友好交流に関心が高かったため、今回の移設先に選ばれました。
トルコの歴史に対する日本人の関心が高まることも期待しております。
Posted by: 日本財団広報→とと様  at 2010年03月31日(Wed) 11:53

この像に関して「横倒し」ってのが強調されるけど、
地震の後、の余震が続くなかでは横倒しはヤムをえない措置でしょ
新潟から東京に輸送するのに立てたまま運ぶわけにも行かないのと同様で
日本財団が銅像を横倒しのまま輸送したことに誰も文句を言わないでしょ
今回銅像を寄贈してくれたホテル業者は地震で大きな被害を受け、観光客も減少してこの銅像に関して「横倒し」が強調されますが、所有していたホテル業者は地震で大きな被害を受け経済的に大変な目にあった訳ですし
「横倒し」保管に目くじらを立てるひとがいるのはかなしいですね。
話変わりますが、15年前の阪神大震災で仮設住宅に入居のさいもらった段ボールの中のとりあえずの生活のための備品に
日本財団からの電気ポッが入っていました。今でも使っています。この場で御礼申し上げます。
Posted by: 君影仮設住宅  at 2010年03月31日(Wed) 02:15

オスマントルコを滅ぼしたケマル・アタチュルクの銅像と
オスマン帝国の軍艦・エルトゥールル号の記念碑が同じ串本にってのは若干違和感を覚えますが、
まあ歴史の流れで水に流して仲良くしてください。
Posted by: とと  at 2010年03月26日(Fri) 15:47