よりそって〜子育て相談室の窓から【第7回】 [2012年09月04日(Tue)]
事務局 はちくぼです。
山科醍醐こどものひろばは、「コッペパン」という機関誌を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。 この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。 今日は久しぶりに、コラム「よりそって」より、記事を転載します よ り そ っ て【第6回】 〜 子 育 て 相 談 室 の 窓 か ら 〜 【鈴鹿短期大学助教,臨床心理士:渋谷郁子】 <コッペパン 2011年12月掲載分> 授業資料やシラバスに「発達障害」と表記すると、「発達障がい」に訂正するよう求められることが増えた。学生さんから「『障害』と書くのは良くないと思います。」といった意見をもらうこともある。「障害」の「害」という字が、障害者本人やその周囲の人に害をもたらすようなイメージと結びつき、障害者差別になるのではと懸念する向きがあるらしい。 先日、NHKの「ハートをつなごう」という番組に、きょうだいに障害者のいる方々が出演し、親との関係で無理に良い子を演じていたことや、友達にきょうだいの存在をひた隠していたこと、親亡き後の心配などを話していた。全員が人知れず悩み、公にきょうだいのことを話せるようになるまでずいぶん葛藤したという。彼らにとって、きょうだいの障害は、親との関係、友達との付き合い方、進路選択など、人生のさまざまな側面を、文字通り「障害」したといえる。 しかし同時に、出演者全員が「きょうだいは、豊かな意味を人生に与えてくれた」「きょうだいがいなければ、今の自分はいなかった」などと語った。障害者の兄姉のいる50代の方は「兄と姉を愛していると思ったことは一度もない。でもいなくなられると困る。兄と姉は私という人間の基盤だから。」というメッセージを寄せていた。きょうだいの障害とぶつかり合い、それを引き受けた体験は、人間の存在の多様さ・複雑さに目を開かせ、かけがえのないものとして心の一番深い場所に息づくようであった。 「障害」でも「障がい」でも、たかが表記の問題であり、些細なことに過ぎないのかもしれない。けれど「害」を「がい」にすることで、当事者が引き受ける苦しみの重さから目をそらし、当事者の体験を貶めてしまう気がする。なんとも複雑な心境である。 今後もコラム「よりそって」の記事を紹介しますどうぞお楽しみに… (事務局 はちくぼまりこ) |