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静かな一日… (04/26) とだ
「この人にインタビュー」第1回 (04/06) はちくぼまりこ
きょうの0−3 (01/20) ファービー
きょうの0−3 (01/17) お茶会のあるじ
げんきスポット0-3で、初春のお茶会 (01/17) 村石太マン 愛知県発
げんきスポット0-3で、初春のお茶会 (01/16) はちくぼまりこ
カプラの日 (11/05) はちくぼまりこ
ありがとうころころハウス☆第一弾★ (11/03) さいとうまゆママ
ありがとうころころハウス☆第一弾★ (11/03) うめちゃん
のびのび@ら〜にんぐ「ニガテじゃないっ!」 (10/30)
よりそって〜子育て相談室の窓から【第9回】 [2013年08月27日(Tue)]

事務局 はちくぼです。

山科醍醐こどものひろばは、「コッペパン」という機関誌を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。今日は久しぶりに、コラム「よりそって」より記事を転載しますハート

よ り そ っ て【第9回】 〜 子 育 て 相 談 室 の 窓 か ら 〜
 【鈴鹿短期大学助教,臨床心理士:渋谷郁子】
 <コッペパン 2012年6月掲載分>

「必要に迫られて自動車の運転免許を取得した。高校生に混じって受けた実技の卒検がまさかの不合格―、そんな赤っ恥にも耐え、ようやく手にした運転免許だったが、どんな犠牲を払ってでも手に入れる価値のあるものだった。
エコな生活が推奨される今の時代に完全に逆行しているが、私はここ1ヶ月ほどで、すっかり車の魅力に取りつかれてしまった。道路はどこまでも続いている、何も人に乗せてもらわなくとも、ここからどこにでも行けるのだ。そう思うと急に世界がぱーっと開けた気分、今までの人生、損していたと思う。
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「あなたみたいなどんくさい人間は車なんか乗るもんじゃない。」親からそう言われ、車は私には縁のないものだと思ってきた。ところがどうだろう、なんとなんと高速道路を運転している自分がいる。人を乗せて駅まで送り届ける自分がいる。見知らぬ自分に気づいて、ハッと驚く瞬間が何度あったことか。私たちが「これこそが自分」と信じている存在は、案外、人から言われたことや決めつけられたことで作り上げられた幻なのかもしれない。

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4歳の姪っ子が「ちっちゃんはさ、ひな人形を作る人になりたいねん」と将来の夢を語る。彼女の母親は「あんたは私に似て絵心ないからなぁ。保育園の同じクラスのUちゃんは、お母さんがデザイナーだから、絵がすごく独創的で他の子と全然ちがうよ」。
どんくさいから車に乗るなと言われてきた私は、ハラハラする。親のことばの呪縛こそもっとも強力なように思う。「あなたはこう」って決めなくていいよ、何でもおもしろがる心さえ持っていれば、どんどん新しい場所に行けるかもしれないから。ひな人形を作るちっちゃん、おばさんは見てみたいよ。」


今後もコラム「よりそって」の記事を紹介しますわーい(嬉しい顔)どうぞお楽しみに…ぴかぴか(新しい)

(事務局 はちくぼまりこ)
「この人にインタビュー」第6回 [2013年05月20日(Mon)]

事務局 はちくぼです。

山科醍醐こどものひろばでは、「コッペパン」という季刊紙を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。今日は、スタッフを紹介する「この人にインタビュー」の記事を転載しまするんるん

「この人にインタビュー」第6回
「のびのび@ら〜にんぐ」塾長で楽習サポート事業担当職員の梅原美野さんです。
<コッペパン 2012年3月掲載分>

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《のびのびの活動風景。子ども達やスタッフと一緒に夕食です。真ん中が梅原さん》

◆この団体との出会いは?

大学2回生のとき、授業で配られた「楽習サポートのびのび」のボランティア募集のチラシを見て、応募したのがきっかけでした。福祉系の学部だったので、それまでにもボランティアの経験はありましたが、どこか物足りなさを感じていたのです。
「のびのび」では、ボランティアを始めてまもなく文化フォーラムがあったのですが、そのとき担当した子と全く話すことができずショックを受けました。でも、振り返りの会があり、不安なことを話せたりアドバイスをもらったりしたことが、自分にとってはとてもよかったのです。自分が役に立てたと感じられ、続けていける自信につながりました。


◆サポーターからスタッフそして職員に

「のびのび」のサポーターになって1年くらい経ったとき、初めて「のびのび」でキャンプをすることになり、学生が主体となって取り組みました。大変なこともありましたが、学生の意識も高まりました。
そこで、いつも忙しそうな当時の活動リーダー(こどものひろば現理事長)を見て、自分たちにももっとできることはないかと、学生だけでの話し合いを呼びかけました。そうして、スタッフとしてサポーターや保護者の対応もするようになり、大学を卒業した昨年4月からは職員として勤務し「のびのび@ら〜にんぐ」を立ち上げました。


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《チャリティサロン「浴衣着付け教室」でのひとコマ!》

◆活動のなかで心に残ることは?

とても感動したのは、子どもとサポーターはマンツーマンになっているので、1対1の関わりに終わっていたのですが、あるとき準備に手を取られていると、子どもたち同士で遊び始めたことです。うれしくて準備が出来てもしばらく眺めていました。
また、普段あまりしゃべらない女の子が小学校から中学校へ進んだとき、「のびのびでいろんな人と話していたので中学へ行っても緊張しなかった」と話してくれるなど、子どもの喜びや成長を感じられることがたくさんありました。
この活動では子どもと共にサポーターも成長します。私も、以前は自信がなく控えめなほうでしたが、近頃は明るくなったと言われます。


◆これから目指すこと

「のびのび@おぐりす」では小学校との連携により通学合宿が実現したことで、初めは半信半疑で参加していた子どもや保護者からも、次第に支持されるようになりました。
しんどい子どもはたくさんいて、それをわかっているのは学校なので、連携していけると必要なところに支援が届くのでは。また、「ら〜にんぐ」や、「らいふ」では、よりたくさんのニーズに応えていくために、スタッフの受入態勢を充実させたいです。そして実践をまとめ、発表し、広く知ってもらって、いろんな所でこのような活動を始めてもらえたらと思っています。


【梅原美野:愛称うめちゃん/ひろば歴4年/社会福祉士】
※年齢・役職等は掲載当時(2012年3月)のものです。


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《チームワーク抜群のボランティアスタッフとともに。後列右から2番目が梅原さん》

新年度からは「事務局次長」として、ますますパワフルに頑張っている梅原さん手(グー)ほっとする「うめちゃんスマイル」で、これからも活躍してくれることと思いますexclamation

今後もこのシリーズを掲載していきます。どうぞお楽しみにグッド(上向き矢印)

(事務局 はちくぼまりこ)
よりそって〜子育て相談室の窓から【第8回】 [2012年12月08日(Sat)]

事務局 はちくぼです。
山科醍醐こどものひろばは、「コッペパン」という機関誌を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。
今日は久しぶりに、コラム「よりそって」より記事を転載しますハート

よ り そ っ て【第8
回】 〜 子 育 て 相 談 室 の 窓 か ら 〜

 【元保育士:古谷能富子】
 <コッペパン 2012年3月掲載分>

「げんきスポット0−3」でお母さん達とお話ししていて、やはり一番手をやいておられるのは、自我が芽生えた子どもさんとの日々のやり取りでしょうか。
「〈いやいや!〉〈自分でする〜〉〈ダメ〜〉の連続に毎日うんざりしてしまう。怒らないで言い聞かせようと思っていても、つい切れてきつく叱ってしまい後で自己嫌悪に陥る。家に親子でいると煮詰まってしまうので〈0−3〉に来て気持ちを発散している。」と話すお母さんがたくさんいらっしゃいます。
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毎日24時間、逃げ場のない子育て、本当に大変だと思います。「いやいや」も成長の一場面と頭では分かっていても、大人の都合などまったくお構いなしにごねられると「もういいかげんにして!」と思いますよね。お母さんたちの愚痴を聞いて、「大変だよね〜」と共感して、「たまに切れて怒ってしまっても大丈夫。その後いつものお母さんに戻って優しくできたら、子どもは怒られたことなんか忘れているから。」と励まして・・・。お話しながら「そうそう、うちの子もそうだったな〜」と忙しい夕飯時に限ってぐずぐずごねだして泣き止まない娘をベランダに出した事もあったな〜と苦い記憶が思いだされたりします。
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自我の芽生えと共に、こどもは気持ちだけは一人前になって、「大人の言いなりにはならないぞ」と自分の意思を通そうとします。「○○しなさい」と言うと「いや!」と返ってくるので、「○○できるかな〜」「○○してみようか〜」とちょっと言い方を変えたり、「どっちから食べる?」「どのシャツを着るの?」と「自分」で「決める」ことができるとすんなり行動できるようです。
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後、この時期は「おだて」が効くので「上手やな〜」「自分でできるん?」「かっこいい〜」「○○してくれてうれしいな〜」と大げさに褒めて褒めて、その気にさせる作戦をお勧めします。
やりにくいけど成長も目覚ましい時期、大人とこどもの知恵くらべですね。こどもの「いやいや」に振り回されだすと、こどもの方が「この手が使えるぞ」と知恵をつけていきます。こどもの思いを受け止めながら、生活の基本は大人がペースを作り毅然と接していくことも大切ですね。。


今後もコラム「よりそって」の記事を紹介しますメモどうぞお楽しみに…ぴかぴか(新しい)

(事務局 はちくぼまりこ)
「この人にインタビュー」第5回 [2012年11月15日(Thu)]

事務局 はちくぼです。

山科醍醐こどものひろばでは、「コッペパン」という季刊紙を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。今日は、スタッフを紹介する「この人にインタビュー」の記事を転載しまするんるん

「この人にインタビュー」第5回
理事・「山科醍醐こどもの創作劇」企画制作責任者(めっちゃやりたいから創ってしまった人)・わんぱくクラブスタッフの堤かおりさんです。
<コッペパン 2011年12月掲載分>

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《ある日の稽古場にて。中央が堤さん》

◆この団体との出会いは?

児童館で鑑賞例会のチラシを見て興味を持ち、劇団うりんこの「あいつ こいつ きみは誰?」(2001年)を子どもたちと観に行ったのが最初の出会いです。
その後、ご近所の方に誘ってもらって会員になり、子どもたちはわんぱくクラブ(就園児〜小3の登録制クラブ)に入りました。


◆スタッフとして関わり始めたのは…

会員になって3年目にわんぱくクラブのスタッフになったのが最初。わんぱくクラブで劇あそびの話が出て、劇あそびをやるんだったらスタッフになる!と手を挙げました。
その後「こどもの創作劇」を立ち上げて2年目には、会全体のことを考えていく必要性を感じ、理事・常任理事になりました。


◆ご自身も舞台に立たれてますね

ひろばの芝居サークル「パステル★カラー」の2003年3月の舞台に立ったり、同じ年のひろば主催の「トーナドーナの音楽会」(ロバの音楽座)では運営スタッフになって、幕開き前のパフォーマンスに参加したりして、翌年3月には、演劇フェスティバル参加の市民劇「ぼくの・稲荷山戦記」に出演しました。
その時の演出家・右来左往さんの「全員が必要な役割を果たす仲間。上も下もない」という言葉に、こどものひろばの精神と重なるものを感じて感動!そんな体験が重なって「こどもの創作劇」の立ち上げに繋がっていきました。


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《2009年公演「もっと2あした」より》

◆こどもの創作劇の経緯について

2007年12月に「うたっておどって劇遊び!」という、既成のワークショップ形式の企画を取って実施したんですが、それに満足できず、翌年1月に「山科醍醐こどもの創作劇ワークショップ編」を立ち上げて6月の「第4回子どもの文化フォーラム」のステージコーナーで発表。
7月には新たにメンバー募集をし、12月には初のホールでの有料公演を行いました。以後3回のホール公演を重ね、今年は創造活動室で、小劇場空間での公演に挑戦します。


◆こどもの創作劇の魅力は?

1つのものを共に創り上げていこうとすると真剣なぶつかり合いが出てきます。当然しんどいこともいっぱいです。でもそのしんどさの先には楽しさと大きな喜びがある、それを体感できることが一番の魅力じゃないかなあ。公演の時の客席からの大きな拍手が、子どもたちへの何よりのご褒美だと思います。

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《2010年公演「ワンダー・ワンディ」より》

◆これから目指すこと

ホール公演も続けてはいきたいけれど毎回は資金的にも大変。これからも方策を探りながら努力はするけれど、必ずしも公演にはこだわらずにやっていきたいと思います。
継続的に演劇活動を続けるために、新たに演劇部も立ち上げました。地域に演劇の文化を根付かせることができたらいいなあと思ってます。


【堤かおり:愛称つつみん、ひろば歴10年(現在の役職はタイトル下に記載の通り)/調理師】
※年齢・役職等は掲載当時(2011年12月)のものです。


12月1日・2日には、創作劇の第5回公演が行われますexclamation
稽古場の様子は、創作劇ブログでもご覧いただけますので、是非のぞいてくださいね→http://kodohiro-sousaku.cocolog-nifty.com/blog/
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これからもこのシリーズを掲載していきます。お楽しみにグッド(上向き矢印)

(事務局 はちくぼまりこ)
よりそって〜子育て相談室の窓から【第7回】 [2012年09月04日(Tue)]

事務局 はちくぼです。
山科醍醐こどものひろばは、「コッペパン」という機関誌を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。
今日は久しぶりに、コラム「よりそって」より、記事を転載しますハート

よ り そ っ て【第6回】 〜 子 育 て 相 談 室 の 窓 か ら 〜
 【鈴鹿短期大学助教,臨床心理士:渋谷郁子】
 <コッペパン 2011年12月掲載分>
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授業資料やシラバスに「発達障害」と表記すると、「発達障がい」に訂正するよう求められることが増えた。学生さんから「『障害』と書くのは良くないと思います。」といった意見をもらうこともある。「障害」の「害」という字が、障害者本人やその周囲の人に害をもたらすようなイメージと結びつき、障害者差別になるのではと懸念する向きがあるらしい。

先日、NHKの「ハートをつなごう」という番組に、きょうだいに障害者のいる方々が出演し、親との関係で無理に良い子を演じていたことや、友達にきょうだいの存在をひた隠していたこと、親亡き後の心配などを話していた。全員が人知れず悩み、公にきょうだいのことを話せるようになるまでずいぶん葛藤したという。彼らにとって、きょうだいの障害は、親との関係、友達との付き合い方、進路選択など、人生のさまざまな側面を、文字通り「障害」したといえる。

しかし同時に、出演者全員が「きょうだいは、豊かな意味を人生に与えてくれた」「きょうだいがいなければ、今の自分はいなかった」などと語った。障害者の兄姉のいる50代の方は「兄と姉を愛していると思ったことは一度もない。でもいなくなられると困る。兄と姉は私という人間の基盤だから。」というメッセージを寄せていた。きょうだいの障害とぶつかり合い、それを引き受けた体験は、人間の存在の多様さ・複雑さに目を開かせ、かけがえのないものとして心の一番深い場所に息づくようであった。

「障害」でも「障がい」でも、たかが表記の問題であり、些細なことに過ぎないのかもしれない。けれど「害」を「がい」にすることで、当事者が引き受ける苦しみの重さから目をそらし、当事者の体験を貶めてしまう気がする。なんとも複雑な心境である。


今後もコラム「よりそって」の記事を紹介しますメモどうぞお楽しみに…ぴかぴか(新しい)

(事務局 はちくぼまりこ)
「この人にインタビュー」第4回 [2012年07月22日(Sun)]

事務局 はちくぼです。

山科醍醐こどものひろばでは、「コッペパン」という季刊紙を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。今日は、スタッフを紹介する「この人にインタビュー」の記事を転載しまするんるん

「この人にインタビュー」第4回
常任理事・ころころ組くみちょー(杖の水ころころハウスでのイベント企画担当)の水口萌恵さんです。
<コッペパン 2011年9月掲載分>

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◆この団体との出会いは?

短大1回生の時、ゼミ担当の先生(こどものひろばの現理事長)に声をかけてもらって、初めて夏のキャンプにボランティアとして参加しました。
それからしばらくの間は、キャンプ、こどもフェスタ、こどもまつり(年1回開催されていた地域の協働イベント)に参加する程度の関わり方でした。
当時の芝居サークル「パステル★カラー」の公演にも参加してましたね。


◆高校時代からこれまで

「高校は美術系だったんですが、子どもの頃から漠然と「大きくなったら保育士になる」という気持ちがあって、当然のように保育系短大へ進みました。
でも、どうしてももう一度陶芸をやりたくなって、芸術系の大学に編入したんです。3回生の頃に、こどものひろばの「はじめてみようボランティア」(講習と体験で、ボランティアを始める人をサポートするプログラム)に、初めてスタッフとして参加した後、「子ども」と「ものづくり」を結びつけた何かをしたいという思いがあったので、当時始まった「自由帳」の活動にスタッフとして参加しました。
このNPOに関わっている人達を見ていて、いわゆる一般的な人生コースとは違う生き方もあるんだということを認識できたように思います。


◆これまでで特に印象に深かったことは?

やはり最初に参加したキャンプ(当時の幼児・低学年部が実施していた小学生キャンプ)ですね。その時に関わった子どもたちのこどものひろばの中での成長を見るのも楽しみです!
あと、この団体の様々なチラシ、パンフなどのデザインをしてきたことですね。イラストレーターなどのパソコンデザインは、ここでの活動の中で独学で勉強しました。


◆ここ数年は団体の運営にも関わられてますね

この団体を全体的に見て、考えていきたいという気持ちから、理事、常任理事になりました。
ころころ組のくみちょーもしていますが、1つの事業の長を引き受けたのは、これが初めてなんです。
私はどちらかと言うと、人と積極的にコミュニケーションを取るタイプではなくて、「こどものひろば」は自分らしくいられる初めての場所だったんです。
ころころ組のくみちょーも、自分から手を挙げたという感じでもなかったんですが、団体内外のいろんな活動とのコラボ企画ができたことが、大変でもあったけど面白かったですね。


◆この団体のこれからへの思い

時代と共に「こどものひろば」の形も変化してきてますが、その流れの中で、その時々の「こどものひろば」の良さを伝えていけたらいいなあと思ってます。
将来、自分の子どもを連れて来たいと思えるような「ひろば」であってほしいですね。


(水口萌恵:愛称もーちゃん、ひろば歴9年、28歳/児童デイサービス ひろば 勤務/東山アートスペース アートナビゲーター/NPO法人山科醍醐こどものひろば常任理事・ころころ組くみちょー)
※年齢・役職等は掲載当時(2011年9月)のものです。


これからもこのシリーズを掲載していきます。お楽しみにグッド(上向き矢印)

(事務局 はちくぼまりこ)
「この人にインタビュー」第3回 [2012年07月10日(Tue)]

事務局 はちくぼです。

山科醍醐こどものひろばでは、「コッペパン」という季刊紙を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。今日は、スタッフを紹介する「この人にインタビュー」の記事を転載しまするんるん

「この人にインタビュー」第3回
常任理事で、「こどもフェスタ」や会の組織運営に関わってこられた中尾保美さんです。
<コッペパン 2011年6月掲載分>

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◆この団体との出会いは?

今は社会人になった長男が、まだ3歳のとき、近所の方から誘っていただきました。
当時この団体は「山科醍醐親と子の劇場」という名称で、「例会」と呼ばれていた、親子で観られる舞台の鑑賞が主な活動でした。
それまでは子どもと出かけるのは近所の公園ぐらいだったので、2ヶ月に1回くらいあった例会に親子で行くのを、とても楽しみにしていたものです。
人形劇のほか、音楽、芸能など、自分の好みのものだけでなく、いろいろなジャンルの舞台に出会えたことは、子どもだけでなくむしろ自分にとっても新鮮な感動がありました。


◆運営に関わるようになったのは?

「例会」のほかに、「ブロック」と呼ばれる中学校区ごとの地域での活動も盛んで、クリスマス会など親子で楽しむ企画が行われていました。
そのブロックの委員という形で、地域での活動の他、全体の委員会に出席するようになり、ブロック長を経て、NPO設立時からは理事を務めるようになりました。
その後、活動の中心は年齢別や事業別活動に移って行きましたが、特にどの活動にどっぷりということもなかったので、全体事業(現在はネットワーク事業)の「こどもフェスタ」や、事務局の組織を担当することになりました。


◆こんなに長く続けてこられたのは?

自分自身に「特にこれがやりたい!」ということがあったわけではなく、流れのままに続けてきたという感じです。
家事はいくらでもあって忙しく、そこまでNPOに関わらなくてもという思いもありました。でもここに来れば自分とは考え方も性格も年齢も違う様々な人に出会え、いろんなことに気づかされたり刺激をもらえたりします。
能動的に動く人達と一緒に活動することで物事を広い目で見られるようになったし、今の自分がいるのだと思えたから、続けてこられたように思います。


◆これからのこどものひろばは?

山科醍醐親と子の劇場から、NPO法人山科醍醐こどものひろばになり10年、そしてまた体制や事業の方向も変化の時を迎えています。
人が成長の過程で変化していくのを見守るように、この団体の変化もまた、多くの人に広い視野で受け入れられ、見守られることを願っています。


(中尾保美:ひろば歴20数年/主婦/障害者施設にて週1日パート勤務/NPO法人山科醍醐こどものひろば常任理事)

※年齢・役職等は掲載当時(2011年6月)のものです。


これからもこのシリーズを掲載していきます。お楽しみにグッド(上向き矢印)

(事務局 はちくぼまりこ)
「この人にインタビュー」第2回 [2012年04月28日(Sat)]

事務局 はちくぼです。

山科醍醐こどものひろばでは、「コッペパン」という季刊紙を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。今日は、スタッフを紹介する「この人にインタビュー」の記事を転載しまするんるん

「この人にインタビュー」第2回
副理事長で、昨年は団体設立30×法人化10周年事業チームのリーダーを務められた林田貴志さんです。
<コッペパン 2011年3月掲載分>

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◆この団体との出会いは?

大学2回生の6月に、当時大宅にあった事務所を訪ねたのが最初の出会いでした。京都子どもセンターの事業で関わりのあった方(山科醍醐こどものひろばのスタッフでもあった)からこの団体の話を聞き、子どもたちと直接かかわりたいと考えていた時だったので、興味を持ったんです。
訪ねたのが第1回「はじめてみようボランティア」(講習と体験でボランティアを始める人をサポートするプログラム)の参加者を募集している時だったので、その参加者として「町たんけん」「わんぱくクラブ」「げんきスポット(子どもの居場所事業)」などを体験しました。


◆2年目には役員になっていたそうですね?

次の年の第2回「はじめてみようボランティア」には、スタッフとして関わりました。
高校生のとき、アメリカで起きた「同時多発テロ」をきっかけに、世の中はどうなっていくのだろう、自分に何かできることはないかと、国際交流イベントに参加したりしていました。そこで身近なところでもできることはあると感じていました。
そんなボクの思いがにじみ出ていたのか、こどものひろばがユースを登用しようという時期でもあったのか、いきなり常任理事に就任しました。
その頃手がけた大きな事業は、ボクと同年代の世界的パフォーマー、キム・チャンヘン氏から出演の申し出を頂いて、チャリティー・ショー「The Panic Art」の企画運営をしたことです。ユース中心で作ったプロジェクトチームのリーダーとして手さぐりで創っていった公演でしたが大成功を収め、自分にとってもすばらしい経験になりました。


◆社会人としてNPOとの関わりは?

社会人になりもうすぐ5年目です。はじめ半年くらいはほとんど関わることができませんでしたが、今ではアフター5とのスイッチの切替ができて、ひろばに来ることが気分転換にもなっています。
勤めている会社は、労働環境も良く、またNPOなどの活動を支援する制度や助成も行っています。そういう会社だから応募したんですが、NPOの活動をしてきたことが採用の一つのポイントにもなったようです。
世間では、まだまだ企業とNPOやボランティアは分断されているように思いますが、自分にとってはつながっているもので、職場で得たものをNPOに還元し、NPOで得たものを職場で活かしています。
もっと社会人が市民活動に参加しやすくなり、年齢や立場・国籍などをとっぱらって交流できたら、より多様性が認められる平和な社会につながるのではと思っています。


◆これからのこどものひろばに必要なものは何だと考えられますか?

創立から30年続いてきたこの団体では、さまざまな活動が展開されてきました。今、魅力的な活動がたくさんありますが、それぞれの活動ばかりに固執しないで、地域のこどもたちにとって、ひいては社会にとって、どうなっていけばいいのかという中・長期のビジョンを持つべきだと思います。
今まで積み上げてきたものを、こどものひろばだけでやっていくのではなく、うまく地域に返したり、広げたりして、つないでいくことが大切なのではないでしょうか。


(林田貴志:愛称ファービー、ひろば歴7年、26歳/近畿ろうきん勤務/NPO法人山科醍醐こどものひろば副理事長)
※年齢・役職等は掲載当時(2011年3月)のものです。


これからもこのシリーズを掲載していきます。お楽しみにグッド(上向き矢印)

(事務局 はちくぼまりこ)
よりそって〜子育て相談室の窓から【第6回】 [2012年04月12日(Thu)]

事務局 たなかえりこです犬

山科醍醐こどものひろばは、「コッペパン」という機関誌を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。
今回もコラム「よりそって」より、記事をひとつ転載しますハート

よ り そ っ て【第6回】 〜 子 育 て 相 談 室 の 窓 か ら 〜
 【古谷能富子】(元保育士)
 <コッペパン 2011年9月掲載分>
 3月11日の大震災から5か月が過ぎました。
まだ行方不明者の捜索が続いています。猛暑の中、避難所で生活している方がた、原発事故の影響で故郷を離れて暮らしている方がた、皆さんどんな思いで暮らしておられるか・・・。

福島の子どもたちは戸外で遊ぶこともプールで泳ぐこともできないそうです。暑くても長袖、長ズボン、マスク着用で登下校する様子がテレビで流れていました。新聞には毎日東北や関東各地の放射線量が出ています。いったいいつになればこの数値が平常に戻っていくのでしょう?

津波の被害はあまりにも大きくて一瞬のうちに何もかもを奪っていってしまいました。それでも、被災地の方たちは負けずに前を向いて、懸命に助け合い復興を信じて頑張っておられます。
東北の人たちの我慢強さ、謙虚さ優しさをテレビや新聞で見るたびに、京都で何も変わらぬ生活をしていて、支援といってもささやかな募金と節電ぐらいしかできない自分が歯がゆく申し訳ない気持ちになります。
もっと何か力になれることが有ればいいのですが・・・。

地震と津波の被害と共に原発の事故による問題が本当にたくさんの人を苦しめています。
「げんきスポット0−3」にも親子で放射能から避難してきた方が遊びに来られています。慣れない土地で他の家族と離れての生活、本当に不安だらけだと思います。小さい子どもさんを守りたい一心で頑張っておられるお母さんに対して簡単に「大変ですね」とか「がんばって」などと言ってはいけない気がして言葉が見つかりませんでした。

もしも自分が被災者だったら、放射能の被害のあるところに住んでいたらどうしているだろう・・・。

私たちはもう大震災の前の状態に戻ることはできず、放射能と共存していくことを考えなくてはならないそうです。
大人より発達段階の子どもたちに4倍の影響が現れるそうです。
これ以上放射能の汚染を広げないよう真剣に考え取り組んでいかなくてはなりません。
子どもたちの未来を守る責任が全ての大人にあると思います。



次回もコラム「よりそって」より記事を紹介しますね犬
お楽しみにるんるん
「この人にインタビュー」第1回 [2012年04月05日(Thu)]

事務局 はちくぼです。

山科醍醐こどものひろばでは、「コッペパン」という季刊紙を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。

この「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。今月からは、スタッフを紹介する「この人にインタビュー」の記事を転載しまするんるん

「この人にインタビュー」第1回
【山科醍醐こどものひろば副理事長・事務局長 村井琢哉さん】
<コッペパン 2010年12月掲載分>
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◆この団体との出会いは?

「山科醍醐親と子の劇場」に入会したのが小学校の低学年頃。同じ団地の仲良し家族と一緒に、気がついた時には入っていたという感じです。
小学生の頃は鑑賞例会(会が主催する、地域ホールでの演劇・人形劇・音楽などのプロ公演)と、地域ブロックのこども会活動に参加していました。
中学時代には中学生交流会(春休みに1〜2泊のキャンプなど)、高校生になって初めて夏休みのこどもキャンプに参加して、高校〜大学時代はキャンプにどっぷりでした。でも浪人時代には、活動そのものより運営面に関心を持つようになりました。


◆こんなに長く関わってこられた理由は何だと思いますか?

自分は何か1つの活動にのめりこんで深く関わるということはなく、薄く、浅く、広くというつながり方でした。でも、だからこそ今まで続いてきたんだと思います。
大学は社会福祉学科、卒業後は大学院進学の資金作りのために就職して3年半働き、予定通り大学院に進学、NPOや地域福祉を研究しました。
関心を持った福祉分野が子ども福祉であったのも、考えてみると親子劇場やこどものひろばでの体験があったからだと思うし、今は学んだことをひろばに還元している、そんなふうな循環があったから、長く関わり続けてこられたんだと思います。


◆現役職における自身の役割は?

直接子どもと関わる活動に参加するのではなく、そういう活動を展開していくための仕組み作りでしょうか。
理事長自身が新事業の中心スタッフとして直接子どもと関わっているので、僕の役割は、人集め、資金集め、地域や外部団体とのつながり作りをすることだと思っています。


◆これからのこどものひろばに必要なものは何だと考えられますか?

つどいの広場、子ども生活支援センターなど、地域から必要とされているサービスを継続していくこと。
そのためにはそれらを支えるビジネス的な事業を作っていくも必要だと思います。
そして支援者を広げること。それには具体的な事業内容を語るだけではなく、その事業はどういう意味を持つのか、何を目指しているのか、支援することで何がどう変わるのかを伝えていく必要があると思います。
それからこの団体が地域に広がるためには、専門性を高めると共に、一般の人たちが気軽にボランティアとして参加できる仕組み作りも必要だと思います。


(村井琢哉:ひろば歴20数年、現在30歳/社会福祉士/NPO法人山科醍醐こどものひろば 副理事長・事務局長/京都府府庁NPOパートナーシップセンター協働コーディネーター/NPO法人京都子どもセンター 理事/公益財団法人 京都地域創造基金 常務理事/杖の水ころころハウス運営委員会 運営委員長)
※年齢・役職等は掲載当時(2010年12月)のものです。


これから少しずつ、このシリーズを掲載していきます。お楽しみにグッド(上向き矢印)

(事務局 はちくぼまりこ)
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