事務局 はちくぼです。
山科醍醐こどものひろばでは、
「コッペパン」という季刊紙を発行しています。山科醍醐こどものひろばの前身である「山科醍醐 親と子の劇場」が発足した1980年に創刊し、30年以上続いているものです。
この
「コッペパン」には、内容の濃い記事がたくさんあるので、時々ブログでご紹介しています。今月からは、スタッフを紹介する
「この人にインタビュー」の記事を転載します
「この人にインタビュー」第1回【山科醍醐こどものひろば副理事長・事務局長 村井琢哉さん】<コッペパン 2010年12月掲載分>

◆この団体との出会いは?
「山科醍醐親と子の劇場」に入会したのが小学校の低学年頃。同じ団地の仲良し家族と一緒に、気がついた時には入っていたという感じです。
小学生の頃は鑑賞例会(会が主催する、地域ホールでの演劇・人形劇・音楽などのプロ公演)と、地域ブロックのこども会活動に参加していました。
中学時代には中学生交流会(春休みに1〜2泊のキャンプなど)、高校生になって初めて夏休みのこどもキャンプに参加して、高校〜大学時代はキャンプにどっぷりでした。でも浪人時代には、活動そのものより運営面に関心を持つようになりました。◆こんなに長く関わってこられた理由は何だと思いますか?
自分は何か1つの活動にのめりこんで深く関わるということはなく、薄く、浅く、広くというつながり方でした。でも、だからこそ今まで続いてきたんだと思います。
大学は社会福祉学科、卒業後は大学院進学の資金作りのために就職して3年半働き、予定通り大学院に進学、NPOや地域福祉を研究しました。
関心を持った福祉分野が子ども福祉であったのも、考えてみると親子劇場やこどものひろばでの体験があったからだと思うし、今は学んだことをひろばに還元している、そんなふうな循環があったから、長く関わり続けてこられたんだと思います。◆現役職における自身の役割は?
直接子どもと関わる活動に参加するのではなく、そういう活動を展開していくための仕組み作りでしょうか。
理事長自身が新事業の中心スタッフとして直接子どもと関わっているので、僕の役割は、人集め、資金集め、地域や外部団体とのつながり作りをすることだと思っています。◆これからのこどものひろばに必要なものは何だと考えられますか?
つどいの広場、子ども生活支援センターなど、地域から必要とされているサービスを継続していくこと。
そのためにはそれらを支えるビジネス的な事業を作っていくも必要だと思います。
そして支援者を広げること。それには具体的な事業内容を語るだけではなく、その事業はどういう意味を持つのか、何を目指しているのか、支援することで何がどう変わるのかを伝えていく必要があると思います。
それからこの団体が地域に広がるためには、専門性を高めると共に、一般の人たちが気軽にボランティアとして参加できる仕組み作りも必要だと思います。(村井琢哉:ひろば歴20数年、現在30歳/社会福祉士/NPO法人山科醍醐こどものひろば 副理事長・事務局長/京都府府庁NPOパートナーシップセンター協働コーディネーター/NPO法人京都子どもセンター 理事/公益財団法人 京都地域創造基金 常務理事/杖の水ころころハウス運営委員会 運営委員長)
※年齢・役職等は掲載当時(2010年12月)のものです。これから少しずつ、このシリーズを掲載していきます。お楽しみに

(事務局 はちくぼまりこ)