奥能登へ [2024年03月01日(Fri)]
(よ)は2月20日にダイヤルハウスさんたちが炊き出しに行くと伺い同行したいと思い、それならばいつもダァさんが行っている珠洲市蛸島拠点に行きたい!と深夜に出かける事に。早朝ミーティングに間に合うように【きっと普段よりも時間をかけて】[道中説明を受けながら]となんとか拠点。え?地震から1か月半以上だよね?やっと業者さんがはいるの?え?え?朝イチから衝撃事務所でニーズ表をみながら絶句、話は聞いていたけれどこの現実に言葉もない災害が年々大きくなっていくように感じる…しぼりだせたのはこれだけ。奥能登の1日がはじまる。
DRT拠点の朝のミーティング【ニーズはこれからもっと増えていく】これを言葉通りにうけとめていたと思う今までなら…色んな話のあとでは返せなかった。日々増えていくニーズ、足りないボランティア。蓄積してるだろう疲労に、あー、今避難所にいる方々となんら変わらない生活なんだと実感する。買い物いくの1つにどれだけ時間がかかるんだろか、足りない資機材の買い出しだってそうなんだ。生活を支える車は動かそうとしても鍵がなければどうする事もできない、その車も倒壊家屋からだしたもの住民さんたちの笑顔のために頑張っている方たちがいる事を忘れないようにしなければいけない。 珠洲市を後にしてダイヤルハウスさんとの待ち合わせまで時間がありそうなので輪島市に拠点をおくヒューマンシールド神戸吉村さんに会いに行く事に 黒さんからの預かり物もあるので市内について拠点近くの場所をナビで調べているとどこかで見たような車を発見!本人に『今どこ?』と電話 【輪島】(よ)は?あたしの目の前に栃木ナンバー『車のナンバーを読み上げる』【俺だよ、外にでる】ってことで.DRT栃木桑さん、コーゼンさん、テラセン住職、神主さんとばったり!富山県で活動してる方の知り合いのお宅で作業している仲間に会いました。たまたま車をとめた前に知り合いの車があるミラクルすぎる。 DRT栃木桑さんたちの待ち合わせ時間もあるようなので、少しその場をはなれ吉村さんの拠点へ 倒壊した中島酒造さんの中や、生き埋めになっていてご遺体を運び出した場所を案内して頂いた。重機やジャッキ・チェンソーなど持ち合わせていない消防士警察官の方にかしだしても使い方やアプローチする方法も正しく知らないようである、歩いていける距離に数件そーゆー現場があったようだ。 戻る途中に強風でとんだブルーシートをかけ直し出す2人、何がおきてもおかしくないようなところそれが被災地だとわかってはいても見るもの全てがしょーげき過ぎる。 社協事務局長さんに紹介して頂き次の所へ。 吉村さんに案内して頂いてる間にもかかってくる電話の数。 同じように輪島市に拠点をおくコミサポさんの所へ そこでテラセンチームさんと再び会う、作業の様子など少し話して、現場の時間もあり、こちらも炊き出し時間に間に合うように門前町に向かう 珠洲市から輪島まですれ違ったボラバスは2台、それもお昼近い時間帯。 今回(よ)に能登いきのきっかけをつくってくれたダイヤルハウスさんたちの元へ 炊き出し準備がはじまる所でした、炊き出しチームの1人は以前中越地震で何度も小千谷に来ていた鈴木隆太さんひきいるおもやいのスタッフさんだった! 門前町・浦上公民館避難所にて夕食80人前(けんちん汁、小千谷大崩産おむすび、副菜)の炊き出し (よ)は手出しは出来ないので近くを見てきたり、懐かしくなって隆太さんと電話したり。 かけあしの860キロの(よ)の奥能登訪問は終わりです 事柄についてはおいおいと |