発生日時:平成20年6月14日8時43分頃
震央地名:岩手県内陸南部(北緯39.0度、東経140.9度)
平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震より
地震の規模や山間地の地震ということで映像などを見ると、山古志や東山のように大規模な崩壊、自然ダムができる可能性もあると思い情報収集をはじめる。
kuroさんからの情報をもとに、
HS神戸吉村さん、木村さん、フォーラム出席で仙台にいた
NSVNの李さんと連携をとりながら現地にむかう準備をはじめる。12時過ぎに最低限の資機材(チェンソー、バール、ブルーシートなど)を積んで4名で小千谷を出発。
ルートの確認で関越、磐越経由で東北道で宮城へ。
最初にむかったのは宮城県登米市にある国立療養所「東北新生園」。けが人もなく建物などにも被害もなく、棚から物が落ちた程度で職員さんで対応できたそうです。心配していたkuroさんに無事でしたと連絡をいれたのが17:40分。
その後栗原市花山地区の活動を開始していたコーゼンさんと合流、土砂崩れで通行止めのためチェンソーなどの装備をしブルーシートを持ち、徒歩で道路わきの山の中を超え旧花山村へ向かった。
集落についたときに2次災害を防ぐため捜索活動は打ち切られた、コーゼンさんからの情報で土壁の落ちた家にブルーシートを届け集落をまわった。集落では十分ではないが灯りをつけ自宅前でシートをはりがんばってらっしゃるご家族もいた。夕方の李さんからの情報で栗原市社協さんでは花山地区は地域性が強いということでこの時点ではボラセン設置はしない方針と連絡が入っていたので花山地区をまわって、奥州市方面で活動していた
HS神戸吉村さんらとのミーティングのため一関市のコンビニ駐車場に向かう。
ミーティング後、避難所になっている一関市本寺小学校で炊き出し中のヤマヤさんと合流しようと向かうが深夜のため会えずに周辺を調査する。倒壊家屋は見当たらないが道路にひずみを見つけた。
調査終了後3時過ぎに仮眠をとる。
翌朝一関市を調査中に吉村さんからの連絡で本寺小学校に向かうとすでに炊き出し中のヤマヤさんと合流できた。
避難所をあとにして再び栗原市の災害対策本部に寄り花山地区に向かう。
花山地区にて今後の活動を協議した。
被災地域が山間部に多く市街地での被害は思ったより少ないこと。
避難所等も各自治体で速やかに対応がされていた。
今後の復旧活動は中越・能登半島・中越沖地震と比べ行政主体になると思われる。
ボランティアセンターも確定ではないが設置しない方向との情報も入った。
幸いにも全壊等の家屋被害も見受けられず、人海戦術を要する片付け作業も社会福祉協議会さん主体の活動になると思われる。
以上から風組はとりあえず募金活動などの後方支援を行う方向で午後帰路に着く。
写真一覧はこちらから
flickr今回の地震で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。