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恐るべし、アンパンマン [2014年03月27日(Thu)]

恐るべし、アンパンマン




 私にはもうじき2歳になろうとする甥がいる。

 共働きの妹は幸い(と言っていいだろう)実家に近いところに住んでおり、その甥をよく어머니オモニ(母)に預ける。(話題はそれるが、ベビーシッターが子を死なせた事件があった。一部報道で母親がバッシングされているが事件は日本社会が子を育てるための社会的制度・環境(育休とか、保育園・幼稚園とか…)が全く不足しており、国がまるで子を産み育てるのは自己責任だと言わんばかりの政策を取り続けていることの表れであろう。当の母親はしかもシングルマザーだったという。そんな状況で安いベビーシッターにすがるほかない人も多いのではないか。記事の分かりやすい解説

 したがって最近、出勤前のわずかな時間、甥が家にいるのである。

 子どもが1人いるだけで、こうも家の雰囲気が一変するとは思わなかった。彼(甥)はよくしゃべり、よく食べるし、よく笑う。おかげで、家は明るい。もうハイハイはとっくに卒業し、ちょこまかと歩き回って、ものをひっくり返したりする。ようやく届くぐらいのドアノブに手をかけ、なぜかよく、無断で私の部屋に入る!(そのため家族から、崩れて彼をケガさせないようにと、部屋に積んである資料と本の撤去を求められ、対策に追われている)
 甥は私のことを「タンチュン!」と言う。サムチュンと言えないのだ。かわいい。(サムチュンとは삼춘おじさんの意。標準語では삼촌。私たちの家族・親族では日常会話は日本語だが父・母などの単語だけは朝鮮語である。)

 名前を呼ぶと、機嫌が悪い限り大抵、「タンチュン!」と言ったり手を振ってくれる彼も、あることをしている時は全く振り向いてくれない。

 それは、アンパンマンを観ているときだ。

 アンパンマンとかぜこんこん (アンパンマン・リターンズ)



 オモニは我が家のハードディスクレコーダーに、彼が見るアンパンマンをせっせと記録し、一緒に見ている。私も出勤前に見ることになる。

 結構、面白い。

 いや、毎回だいたい似たような話なのだ。
 とりあえず平穏な日常→バイキンマンの悪事(他人のを勝手に食べる等)→アンパンマンの登場→絶対絶命のピンチ(顔が濡れる等)→間一髪で新しい顔の登場(ジャムおじさんら)→解決、である。
 しかし、面白いのだ。

 私自身、アンパンマンに熱中した記憶はないし、かつて学生の頃にはアンパンマンは何てステレオタイプな話だろうと斜めにみていた。そもそもバイキンマンの働く悪事といってもせいぜい給食食べてしまっておなかがすいたカバオくんを泣かせてしまうぐらいの軽犯罪で、何もぶん殴って空のかなたへ追放しなくてもと思った(ただ、最近見たアニメでは、バイキンマンはハイテクを駆使して弱者を拉致・監禁・強制労働をさせるなど、けっこう酷いことやってると思いなおした)。それに勧善懲悪型である(アンパンマンが彼をやっつけるとき、バイキンマンの行いよりは存在(バイキン)が問題になってように思った)。あるいはジェンダー的にもキャラがはっきり男女に分けて描かれているなーとか、キャラが1768体あるのに(ウィキ情報。ギネス記録らしい)中華丼まんやらーめんてんし等を除けば(ラーメンが中華料理であるかは置いておく)、日本以外のアジアの食べ物が(とくに朝鮮半島)あまりキャラ化されていないように見えた(このあたり私はアジアと向きあわずに済んだ戦後日本を象徴しているようで残念であった)。

 しかし、この年になってみると、アンパンマンは違って見える。
 作者のやなせたかし氏が故人となり、だいぶ論じられているので繰り返さないが、私もアンパンマンは幼児でもわかるシンプルさで、食を分かち合うことをテーマにして、生きることの喜びを伝えようとする、一種の生命讃歌であることに今は頷きつつある。

 と、紙数がそろそろない。このあたりのことはまた、機会があれば別で書くとする。

 ともかくも、甥はアンパンマンが大好きである。腹が減ったり眠くなった時を除いて、吸い込まれそうなほど画面に見入っている(子のためになおさら共働きするほかなく、公共の福祉が微弱な日本では、子育てはもはや家族・親族のケアなしに極めて困難だ。任された側も現役で働かざるを得ないため、子どもが集中してみてくれるアンパンマンは大助かりなのである)。
 そんなとき彼に声をかけても一瞬振り向くだけでまた元のテレビに顔を戻す。
 今朝もそうかと思って「ばいばい」と言ってみた。今日はちょっとこちらをみてニッと笑うと、またアンパンマンの世界にもどっていった。

 彼が大人になるまで、大人になってからも、生きててよかったと思える社会を何とかつくりたいものだ。

 梁英聖
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