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★ブログを引っ越ししました★ [2014年07月27日(Sun)]

 アンニョンハセヨ?

いつもKEYブログをお読み頂き、ありがとうございます。

このたび、ブログを引っ越しました。
今後はこちらのブログで情報発信していきますので、
ブックマークして頂いていた方は、お手数ですが、URLの変更をお願い致します。

【旧ブログ】 https://blog.canpan.info/key-j/

★★新ブログ★★ http://keyreport.blog.fc2.com/

Posted by ARICスタッフ at 09:28 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
三ノ宮へと事務所を移転して3年...愛着ある場所に [2014年06月07日(Sat)]

どれくらいの方が、訪問してくれているか分かりませんが、訪問ありがとうございます。

前回のブログを受けて、、ドラマ「ルーズヴェルトゲーム」のなかで社会人野球チームのメンバーで肘を故障し退部し、会社も辞める登場人物が、最後に後輩へと自分の得意とする変化球を伝えるシーンは良かった。肘を悪くしているのに、何度もその変化球を精一杯投げて見せ後輩のため、また廃部の危機を迎えた野球部に自分ができることをしていてその思いが伝わったからだ。

前回のブログ記事「ルーズヴェルトゲーム」

さて、KEY兵庫の三ノ宮事務所を訪れるようになって、はや3年が経つ。
2011年2月に移転した三ノ宮事務所
同胞密集地の新長田から三ノ宮へと、より多くの在日コリアン青年との出会いを求め移転した。

私は日常のKEY活動では三ノ宮を毎週は訪れないため、三ノ宮事務所へ行くときはいつもとは少し違うワクワク感を持って訪れる。
そんな三ノ宮に愛着を最近持ち始めたなぁと改めて感じることがあった。

KEY兵庫は学びの場でありつつ、コミュニティの場であることから、活動のあと交流会として事務所や近辺の居酒屋等で交流することがある。

定番はチェーン店の居酒屋だが、もうひとつの定番は事務所すぐの「お好み・鉄板焼きさんぺい」

この店も、三ノ宮に愛着を持ったと感じるのに影響力をもつ。
いつも楽しい時間をありがとう。

また訪れたい。。

写真 (2).JPG



ルーズヴェルトゲーム [2014年05月29日(Thu)]

そうそう、今やっているドラマね。
知らない人、内容はググってみて。

「逆転だよ。逆転。」
青島製作所会長である山崎努の言葉。
そうなんだ、敗色濃厚、挫けそうで負けそうなとき、あきらめがよぎる現実。
人は本来当たり前に幸せであるべきだが、そううまくならないのがこの現代社会らしい。
結局はそんな状況にあってなお、勝利を信じ走り続けられるかどうかだ。
そのためには折れない心とぶれない信念が必要だろう。
いわば走るためのエンジンであり軸そのもの。
そこが弱かったり、疑り深いものであると当然勝利などできない。
ルーズヴェルトゲーム的な展開であと一点の逆転ができるかどうかはまさにこの軸の強さにかかっているといえる。

「あいつは馬鹿みたいに速い球を投げるだけだよ。でもなんでだろうな、胸が熱くなるのは」
青島製作所会長である山崎努の言葉。
折れない心とぶれない信念。
愚直なまでの誠実はやがて人の心をも揺さぶる。

今一度振り返りたい。
ずっと大切にしてきたもの、そしてこれからも大切にしていきたいもの。
きっとそれは間違ってはいない。
ここにないものを信じれるかどうかだ。

「逆転だよ。逆転。」
ヘイトに振り回された数日間 [2014年05月26日(Mon)]

ここ最近、17日.18日.22日と3回も排外主義デモ、ヘイトスピーチが鶴橋駅前で行われた。三日間とも、在特会側は5人程度という少数規模であった。それに対して、カウンター側は70人近い人が集まった。圧倒的な人数差で、在特の罵詈雑言の内容をかき消すということには成功したと言える。概略は以上だが、そこで感じたこと、考えたことを二、三書き綴ろうと思う。
まず、多くの在日コリアンが集住し、商売し、日本社会と共生しようとしてきた長い歴史を持つ鶴橋という街。この場所をあえて選んで、排外主義デモをしにやったきた今回の在特メンバーの意図に、合理性は無い。ねらいがあるとすればそれは、在日コリアンを侮辱し、カウンター側の怒りを煽り、差別行為を楽しんでいるだけだろう。現に、今回の首謀者である川東は、デモ内容をほとんど告知せず、当日も体系立った主張をしているようには見えず、警察に守られながら、その場で話すことを考えているようにも見えた。ネタがなくなったのか、ただ同じ言葉を繰り返したり、歌をうたったりすることも。おそらく会長桜井を始めとする中心メンバーは、デモをする場所として、鶴橋が適切だとは考えていないだろう。当日集まった在特メンバーの極端な少なさが、川東の人徳の無さを物語っている。
さらに川東は一週間、朝から晩まで道路使用許可を取りつけ、自慢気にそれらをアップし、街宣予告をした。いつ鶴橋に現れるかわからないという不安とストレスをカウンター側に突きつけて嫌がらせをしているのは誰がみても明らかである。なぜ、このようなふざけた行為で、道路使用許可を出してしまうのか?警察の対応に、不信はつのるばかりだ。

在特会という常軌を逸した行動を続ける団体の中の、さらに常軌を逸した少数のメンバーに、我々カウンター側、警察側も振り回され続けた。警察の人数もカウンターに勝るとも劣らない人数であり、緊急増員のため休日日当で働く警察官が多くいたとも聞いた。もちろんその日当は税金から支払われる。
そしてなにより、連日の騒動に戸惑いと不快な思いをした鶴橋の街の人々は、どのように感じたのか?カウンターの人たちと協力し、逮捕者を出すことなく毅然とヘイトスピーチへの不当性・異常性を訴え、地域の人々にその必要性を誤解なく伝え、また、混乱が起こらないよう警察と共に一般通行者などの通路確保などを行ったことが、ヘイトスピーチを許さない社会づくりに一歩でも貢献できていればなぁ、と切に思う。

最後に、ヘイトスピーチなどの人種差別的人権侵害は、ジェノサイドや戦争を煽動する。それゆえに人類が最も恐るべきもの、反省すべきもの、規制すべきもの、対抗すべきものとして位置づけてきた行為である。このことは戦後における国際社会のあゆみと、現状の国際条約の内容から明白に読み取れる。しかしながら、その最もやってはいけない異常な行為を、表現の自由や政治的主張として正当化・通常化している人たちがいる。そして、今の日本は、法制度的にも社会認識的にも、その異常を野放しにしているといっても言い過ぎではない。
Lee m.c
光が当たらない場所を [2014年04月27日(Sun)]

光が当たらない場所を/ryungsoon

6月に大きな総選挙が開催される。
衆議院でも参議院でもない、某アイドルグループの選抜総選挙だ(!)
年を重ねるにつれ社会現象となり、新聞の三面記事でも取り上げられるようになってきた。
そして私たちの元に入ってくる情報は上位の話題ばかりである。

でも私はそこに違和感を覚える。
ニュースで取り上げられるのが同じメンバーばかりってことに対して。。

私たちが日々受け取る情報はそれが全てではないと思おう。
メディアから入ってくる情報は全てではなくて、いつも知名度の高い人たちの情報や賞賛が中心で。
それだけを受け取って知った気になるのはちょっと怖い気がする。
それは本当の選挙、、時事、スポーツ、娯楽に限らず。
でもメディアは分かりやすさや受け手の反応を考えて、話題になる事象や人たちに
スポットを当て続けるのだろう。
本当に出来事を知りたいのなら受け手として、メディアが伝えない場所に
自らスポットを当てるしかない。

総選挙の話に引き寄せると、本当に総選挙のことを詳しく知りたいのなら、
下位に入ったメンバーのことやコメントを調べる必要があると思う。
もしかしたらそこに私たちが引き付けられるようなメッセージがあるかも知れない。
大げさに言えば総選挙の真実があるかも知れない。
某アイドルグループはたくさんメンバーがいることを考えると、
そんな風に思考してしまう。。

メディアが伝えるのは全てではないどころか、真実・核心も伝えられていない可能性はある。
受け手が掘り下げたところで真実・核心を見つけられない場合が多いだろうが、
表面の情報だけで伝わらない”何か”、伝えられないモノや人は常に存在する。
その”何か”に対してアンテナを張り続けてこそ、視野の広さを実感できると思う。
たくさん知っているからと言って視野が広いとは限らない。
メディアの話で例えたが、日常でもその場のやり取りで完結せずに、
疑うワケじゃなくて、その場では分からなかった新しい発見を意識できる自分でいたい。

大衆的にが伝わるのが光なら、他は影ってワケではない。
そこは、光が当たらない場所。
光が当たらない場所を探して、自ら光を当てた先に見えるものを楽しめたらと思う。
喜びを知ることは生きる力の源 [2014年04月19日(Sat)]


 私は昨年、結婚式を挙げました。最近、結婚式の記念アルバムが手元に届きました。せっかく大金はたいて作ったアルバムなのですが、開くと目も当てられないほど恥ずかしくなり、なかなかじっくり見ることができません。でも、さらっと目を通すだけでもしみじみと結婚式をやってよかったと思えてきます。
 結婚式とは新しく夫婦となる二人がこれまでお世話になった方々に対して感謝の気持ちを伝える場であり、そしてこれから二人で人生をともに歩んでいくというある種覚悟を誓う通過儀礼に過ぎないとこれまで考えていました。でも結婚式を通じてそれより大切な意味を知ることができました。
 結婚式はブーケセレモニーから始まりました。参席してくれた方々一人ひとりが持っていた一輪、一輪の花をわたしがゆっくり歩きながら集めていくセレモニーでしたが、その時たくさんの「おめでとう」をいただくことができました。こみ上げてくる感情を抑えきれず、そこからとめどなく涙が溢れてきました。この日、朝から晩まで涙が止まりませんでした。これほどまでに泣いた経験は、これまでの人生において一度もないことでした。
 当日担当していただいたカメラマンと打ち合わせをしたある日、彼は結婚式専門のカメラマンになった動機について語ってくれました。それは自分の結婚式のあまりの感動にとりつかれ、その時まで就いていた仕事を辞め、プロのカメラマンになろうと決意したということでした。それを聞いて正直内心小馬鹿にしてしまいました。今になって、その気持ちが分かり、本当に申し訳なく思います。
 私はこれまで多くの友人、知人の結婚式に参加し、夫婦となる二人の門出を祝ってきました。本当に心から祝うことができていたのだろうか。そう考えるととても申し訳なく思います。
 喜びを知ることは生きる力になるんだ。
 結婚式でそれを知ることができました。
 もうすぐある先輩の結婚式があります。心から祝ってあげたいと思います。私の受けた喜びに負けないくらいに。

劉成道



 
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