別れ?2
[2023年03月31日(Fri)]
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知識から確信・現実に
別れ・・・。
燕も世の中変わった?
巣立ち・・・
例年より
米酢2
積年の宿題 2
![]() 喜界島の北半分にある 通称 シュガーロード。 南から北への画像です。 直線部6km だそうです。 昭和20年当時にはこんな道はなく、 推測では、 農水省あたりの補助事業(***基盤整備**)で 出来たものと思われます。 観たかったものは画像海側上空からの景色です。 数年?前、「永遠の0」という映画があり、 準主人公が特攻機に乗りながら生還した場面があり 直感的にこの島だと感じました。 現実には海軍よりも陸軍の出撃が回数も機体数も 多かったはずです。 0戦(零式艦上戦闘機)の方が知名度が高かったので 映画でも0戦が使われたようです。 旧陸軍操縦士だった亡義父は 飛行時間2千2〜300時間という熟練で、 飛行時間の短い操縦士を 誘導・護衛する役目だったようです。 1番辛かった任務がこの任務だったと聞きました。 殆どが目的を果たせず、 近寄りも出来なかったのではと想像しています。 亡義父がとりわけ辛かったのは、 「死ぬのが嫌で逃げる奴は撃ち落とせ」 と言われていたことでした。 暫らく後に、 出撃前に、 「嫌な奴は申し出ろ。 発動機不調でもなんでも 適当な理由をつけて 戻らせてやる」 と言っていたが誰も申し出なかった と言っていました。 亡義父はこの島あたりで引き返し、 上空からこの島を見て 沖縄を目指して飛んだ方々と別れたそうです。 聞いた私は25〜6歳の頃でしたので 複雑な気持ちでした。
積年の宿題
![]() 喜界島 という小さな島に行きました。 鹿児島県奄美大島の東にある 周囲50kmほどの島です。 その昔、昭和20年3月か4月頃から 鹿児島県鹿屋・知覧から 沖縄へ向かう特攻機の飛行工程中間地点でした。 ここを過ぎると米軍の迎撃機と遭遇し、 無事通り抜けても目的遂行は 難しいことはご存じのとおりです。 私にとっては特別な意味の島です。 親の世代が戦争経験者で、 実父・義父ともに飛行機の操縦士でした。 海軍・陸軍と所属も違い、 飛行時間も雲泥の差がありましたが、 雄弁?な父と比して寡黙な義父から聞いた話で 一番記憶に残ったのが喜界島でした。 あれこれ浮世の些事で 訪れるのが延び延びになっていましたが、 先日やっと実現しました。 島での最高地点(多分海抜211m)から東北東を望んだ画像です。
やっと・・・
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