• もっと見る

「特定非営利活動法人けしごやま」のブログ

岡山県岡山市東区で活動中のNPO法人けしごやまのブログです。


別れ?2 [2023年03月31日(Fri)]
IMG_1078.jpg

本日で永年働いていたご縁ある方が退職されました。

80代後半のはずです。

永年の仕事・仕事以外での
その方の労苦は(私の知る限り)
大変なものだったと思います。

種々の形を変え昭和42年からのご縁で、
日本の経済的な成長や衰退など
激しい変化を経験されました。

人は各々種々の経験を通じ学び
人格を磨くそうですが、
未熟な私には老若男女自分以外は
全ての人に学ぶ点がある
とやっと気づきました。

裏返せば、私の様を観て、
(反面であれ)学ぶ材料にされている人が
いるかも知れないのですから
恐ろしいことです。

考えてもキリがないので
下手な考えは止めて
明るく素直に余生を過ごす予定です。

           弥栄!
知識から確信・現実に [2023年03月30日(Thu)]
IMG_1078.jpg

生まれてからの知識・経験は
確信へ変わり、現実への理解も
様変わりして来ました。

   現時点でのことなので
   まだまだ変わるようです。
別れ・・・。 [2023年03月27日(Mon)]
IMG_1520.jpg

長年にわたり親しくしていた友人が
2年程前に他界していました。

55年ほどの付き合いでしたが、
2〜3年少しの行き違いから疎遠でした。

共通の友人から知らされました。

他界は新たな状態への出発とも思えますが、
苦言を呈することをためらった自分に
友人関係が壊れても言うべきだったのでは
という気持ちもあり、
複雑です。

教えてくれた友人も、
何年か前に死にかけています。

残り時間が貴重だとは思っていますが、
実感して、
自分を取り巻く環境に益々感謝しています。

   モゴモゴ躊躇してはいられません。
燕も世の中変わった? [2023年03月26日(Sun)]
IMG_1313-thumbnail2.jpg

例年より早いスタートの今年の燕。

夕方いつもより騒がしいので気になっていましたが、
害獣?もいないし一安心していました。

その後、
「燕が3羽いる!」
というので確認してみると
確かに3羽。

朝の出発も確かに3羽・・・。

別の場所に巣として使えるものが
もう2つあるので、
どういう理由か気になっています。

  燕の世界も変わっているのかも・・・。
巣立ち・・・ [2023年03月25日(Sat)]
IMG_1078.jpg

燕に巣立ちがあるように、
私達の事業所から
新しい段階に踏み出す利用者さんが
出来ました。

新しい環境で思いの限り
挑戦し能力を鍛えて成長してくれる
と強く願っています。

周囲も励まされました。

     弥栄!
例年より [2023年03月24日(Fri)]
IMG_1313-thumbnail2.jpg

早く来てくれた燕たちです。

順調に営みを続けているようですが、
植物も例年より早く進んでいるようです。

遅いのは自分だけかも・・・。

    マイペース という言葉もあるので
    焦らず じっくり 行きます。
米酢2 [2023年03月23日(Thu)]
IMG_1517.jpg

仕込みから10日経過しました。

昔のデータでは濃すぎる感じがしたので
水量を増やしました。

発酵は進んでいるようですが
今度は薄いような感じがしたので
一部を別容器に移し、
炊飯と水を加えて試しています。

基本に忠実  が成功への近道ですが、
脇道も試したい困った性格です。

    どうなることやら・・・。
積年の宿題 2 [2023年03月22日(Wed)]
IMG_1523.jpg

喜界島の北半分にある
通称 シュガーロード。
南から北への画像です。

直線部6km だそうです。

昭和20年当時にはこんな道はなく、
推測では、
農水省あたりの補助事業(***基盤整備**)で
出来たものと思われます。

観たかったものは画像海側上空からの景色です。

数年?前、「永遠の0」という映画があり、
準主人公が特攻機に乗りながら生還した場面があり
直感的にこの島だと感じました。

現実には海軍よりも陸軍の出撃が回数も機体数も
多かったはずです。
0戦(零式艦上戦闘機)の方が知名度が高かったので
映画でも0戦が使われたようです。

旧陸軍操縦士だった亡義父は
飛行時間2千2〜300時間という熟練で、
飛行時間の短い操縦士を
誘導・護衛する役目だったようです。

1番辛かった任務がこの任務だったと聞きました。

殆どが目的を果たせず、
近寄りも出来なかったのではと想像しています。

亡義父がとりわけ辛かったのは、
「死ぬのが嫌で逃げる奴は撃ち落とせ」
と言われていたことでした。

暫らく後に、

出撃前に、
「嫌な奴は申し出ろ。
 発動機不調でもなんでも
 適当な理由をつけて
 戻らせてやる」
と言っていたが誰も申し出なかった

と言っていました。

亡義父はこの島あたりで引き返し、
上空からこの島を見て
沖縄を目指して飛んだ方々と別れたそうです。


  聞いた私は25〜6歳の頃でしたので
  複雑な気持ちでした。
積年の宿題 [2023年03月21日(Tue)]
IMG_1520.jpg

喜界島 という小さな島に行きました。

鹿児島県奄美大島の東にある
周囲50kmほどの島です。

その昔、昭和20年3月か4月頃から
鹿児島県鹿屋・知覧から
沖縄へ向かう特攻機の飛行工程中間地点でした。

ここを過ぎると米軍の迎撃機と遭遇し、
無事通り抜けても目的遂行は
難しいことはご存じのとおりです。

私にとっては特別な意味の島です。

親の世代が戦争経験者で、
実父・義父ともに飛行機の操縦士でした。

海軍・陸軍と所属も違い、
飛行時間も雲泥の差がありましたが、

雄弁?な父と比して寡黙な義父から聞いた話で
一番記憶に残ったのが喜界島でした。

あれこれ浮世の些事で
訪れるのが延び延びになっていましたが、
先日やっと実現しました。

島での最高地点(多分海抜211m)から東北東を望んだ画像です。
やっと・・・ [2023年03月20日(Mon)]
IMG_1526.jpg

やっと47万kmになりました。

これからの1万kmは今迄よりも
厳しく重要なものになりそうです。

車よりも自分の健康管理が
大切だと痛感しました。

    万物教師。
| 次へ
検索
検索語句
タグクラウド
https://blog.canpan.info/keshigoyama/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/keshigoyama/index2_0.xml