少年・少女剣士 [2010年07月12日(Mon)]
この春の桜が咲き始める頃、剣道道場を見学するため、私は豊中市にある小学校の体育館を訪れました。中に入って最初に驚いたのは、何度も何度も倒されながら、その度に起き上がっては師範に立ち向かう子供たちの必死の形相でした。といっても、面の中は伺えませんが、私にはよくわかりました。
何を隠そう、私も小学校低学年の頃、剣道道場に通っていましたが、基本の構えや素振りの練習ばかりで、本格的な段取りの稽古を始めるまでに辞めてしまいました。 心・技・体は武士道における精神修養の基本。剣道では、活人剣といって、人を活かすことに重きが置かれます。そこから、克己心や探究心が養われ、究極の自然体が会得されるのです。 礼に始まって礼に終わる。1日に100回礼をすると言います。小さな子どもたちの頭を下げる姿に感動を覚えます。稽古が終わる前、全員が正座して師範の訓示に耳を傾ける時、静かな空間が館内を引き締めます。 江戸時代に成熟したと思われる武士道の精神は、礼儀であったり義理であったりと、現在に到るまで、日本人の心を育み続けているような気がします。弱者に対する仁も武士にふさわしい徳として賞賛されたと言います。武士は食わねど高楊枝、質素な生活で食べるものがなくても痩せ我慢、憎めない粋なところもありました。 さて、江戸時代の国学者で、小児科医でもあった本居宣長は、大和心を「朝日に匂う山桜花」といい、日本人の感性の拠り所を「もののあはれ」と表現しました。武士道に通づるところもあるでしょう。 明治以後、西洋化、工業化の波にもまれて先進国となった日本、加藤周一はその文化を雑種的日本文化と評論しました。異文化を完全に同化するのではなく、日本流に受け入れる過程で、さほど変わらない日本人の魂が生き続けているように思えます。 明治の日本を見た外国人は、日本を「子どもの楽園」と表現しました。街は子どもたちの遊びであふれかえっていたと言います。大人や老人たちは子どもたちを溺愛し、その一方で、しつけも忘れなかったと観察しています。 道場で出合った子どもたちの無邪気な笑顔と真剣な眼差し、そして半べその悔し顔。私は正座をして稽古を見つめながら、将来の日本を背負う子どもたち、そして、天国で竹刀を振っている子どもたちに大きなエールを送っていました。 by Ohta (ご協力) 井関大輔様始め小曽根寺内剣友会の皆様 (参考図書) 新渡戸稲造 「武士道」 渡辺京二 「逝きし世の面影」 加藤周一 「日本文化の雑種性」 |