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色づく古都、興福寺 [2009年11月09日(Mon)]

雨上がりの朝、奈良、興福寺の境内は、時折、修学旅行の団体が通り過ぎる以外は静寂な空間だった。国宝特別公開が始まるのを待ちながら、私は五重塔を見上げていた。左奥に見える紅葉に深まる秋を感じた。

仏像を一同に安置した仮金堂内。中央に立つ阿修羅像は734年作、古くは古代インド神話に登場する悪神、仏教に帰依してからは守護神。3つの顔と6本の手。遠くから眺めると憂いをもった優しげな表情を見せる美少年は、近くに寄って見ると引き締まった力強さを表出している。優しさと荒々しさの同時性に不思議な感覚を覚え、これが人間の本質なのかと考えた。

帰り道で再び五重塔の前。焼失と再建を繰り返し、現存の塔は室町時代のもの。法隆寺のものより荘厳な印象を受ける。幸田露伴の「五重塔」を思い出す。人間の私欲と恩義との葛藤の物語、主人公のささやかにみえる欲望もつまるところ人間の本質なのか。

北円堂に向かう。如来像(弥勒如来座像)とその両脇やや後方に控える、無著と世親の菩薩立像。いずれも鎌倉時代、運慶作。無著と世親は僧侶の兄弟、恰幅の良い体格で少し背を曲げて前を見据え、逞しさと優しさを顔にたたえている。東大寺の金剛力士像にみる運慶の激しさ一辺倒とは違った傑作だ。

露伴の娘、幸田文の短編「材のいのち」に宮大工棟梁の西岡親子三人の話が載っている。文が三人に教えられたのは「木は生きている」ということ。ここで言う「木」は立ち木としての生命を終わったあとの「材」のこと。「木は立ち木のうちの命と、材になってからの命と、二度の命をもつものだ」「千二百年の昔の 材に、ひと鉋(かんな)あてれば、いきいきとしたきめと光沢のある肌を現し、芳香をたてる。湿気を吸えばふくよかに、乾燥すればしかむ。これは生きている 証しではないか。」

いまや日本ではかつての熱狂的な仏教信仰はない。しかし、私欲と葛藤し、死の恐怖と対峙することは、いつの時代とて同じであろう。天平の世に生まれた阿修羅像、その顔がたたえる憂いに心を癒された一日であった。

古都の秋 悠久の憂い 阿修羅像

紅葉背に 威風堂々 五重塔

by Ohta
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