生い立ち2 [2008年08月19日(Tue)]
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中学2年生のとき、右の首のところにコリコリしたものができてきた。開業医の耳鼻科では、「何かの感染だろう」ということで抗生剤を処方された。抗生剤は全く効かず、そのコリコリはだんだん大きくなっていったが、痛くもなんともなかった。それでもその耳鼻科医はずっと抗生剤をだしつづけるだけだった。
そして、冬休みも近づいたころ「このまま小さくならなければ、大きい病院で手術をしてもらってください」とのことだった。ちょうどそのころ小学校の同窓会があり、「なんかできものができてるから、今度手術すんねん」と小学生時代の担任や友人に話していたことを覚えている。 結局、冬休みに県立病院の耳鼻科に入院することになり 「首のところには神経がいっぱい通っているので、手術の後、右の頬や唇が動かなくなるかもしれません」という手術説明を受けた。 そして手術日。手術室に入るとき「がんばってきいや」と母親が言った。僕は「うん」とだけ答えた。 手術室に入り、麻酔科医が「1,2,3,4,5,6,7、」と数えるところまでは覚えているが、その後は意識がない。 つぎに覚えている風景は、手術室から出てきた後、ベッドの上で眠っている僕に耳鼻科医が「イーーて言うてみ」と必死な顔で言っていたことだ。僕が「イー」とすると耳鼻科医は「よし」と安堵の表情を浮かべていた。そのときに、右の顔面神経の麻痺を残さず手術が終わったのだなと思った。しかし、しばらくは顔の右半分はピリピリした変な違和感が続いた。 無事退院し、摘出したコリコリが何だったか(つまり病理所見)を聞きに、母親と一緒に耳鼻科を受診した。 耳鼻科医はその場で初めて病理所見の用紙を見たらしく、「え、、」と言葉を失っていた。 そして動揺した表情で母親に、「入院です。長期になります」と告げた。母親が「どれくらいですか」と尋ねると「とにかく長期です」とあきらかに動揺した表情で答えた。 首にコリコリができてから、長期入院に入るまで、いろいろなことがあったと思うが、覚えているのは、これくらい、、、 僕はちょうどこのころ、反抗期のまっさかりで、両親とはほとんど会話もせず、学校の成績もどんどん下がっていた。なにもかもに腹が立ち、サラリーマンが生涯で稼ぐお金が 3億円との情報をどこからか知った僕は「さっさと 3億円ためて、誰にも頼らず1人で生きていきたい」と思っていた。 s.kusuki |




