初めての外泊 [2008年02月14日(Thu)]
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初めてSが外泊したのは移植前の年末でした。
それまで、外泊は私が拒みました。 まだ、本人達には理解しにくいことが多く、外泊してしまうことで「すべて元通り」と娘達に期待を持たせたくなかったからでした。 外泊を決行したのにはわけがあります。 移植はとても辛く、危険な治療だということ。「もしも」とされることが医師の口からたくさん言い並べられました。たとえば、腎不全、心不全、命に関わる感染、、、などです。まだまだたくさんありました。だからです。 初めての外泊に二人とも大喜びでした。Sは約4ヶ月ぶりに外に出ました。 おうちのソファーに二人仲良くすわりずっとくっついていました。 小さな二人に、外泊の意味を告げることは酷だとは思いましたが「またすぐに病院にもどらなあかんねん、、、ちょっとだけおやすみもらってん、、、」と説明をしました。Aの「ふーん、、、」ととても複雑な表情をみれば、胸がいたくなりました。でも「期待させてはいけない!」と私の頭の中にはそれしかありませんでした。 11月生まれのSの1歳の誕生日とクリスマスとでケーキを焼きました。値段も何も見ず、急いで材料を買い込み、ケーキを焼きました。 このときで闘病が始まってから約4ヶ月半。私の家事の要領はとても悪く、料理の手順もめちゃくちゃでとても疲れたのを覚えています。 それでも、何とかケーキは仕上がり、みんなで楽しくたべました。 AはSの胸からぶら下がっているIVHカテーテルをみて「それなぁに?」とびっくりしていました。Aと一緒にお風呂に入っていた頃にはそんなものはSの胸についていませんでした。 Sがたくさんのお薬を飲むたびにAは「が〜んばれ!が〜んばれ!」と応援しました。Sもニコニコしながら頑張って飲みました。 突然小児がんになり、突然家族バラバラに過ごすことを余儀なくされました。 小児がんになったことはしょうがないことなのかもしれない。だけど、家族一緒に過ごしたい。 同じ場所で一緒に力をあわせて闘いたい。。みんなで分かち合いながら過ごしたいと思いました。 病院に戻るときの私たちの気持ちはみなさんのご想像にお任せします。思い出し、ここに綴るのも辛いほどの気持ちだったとだけお伝えさせてください。 初めての外泊はとても切なく、でも楽しいひとときを過ごすことができました。 このときからAの口癖は「みんなでくらしたい」になりました。 |




