転院A [2008年01月24日(Thu)]
いつ寝たのか、寝なかったのか、夜が明けたのか、まだなのか、、、?
真っ暗な部屋では何もわかりませんでした。 「朝食の準備ができました」と放送がかかり、ようやく朝になったことを知りました。 ブラインドをあけても空も見えず、今日の天気すらわからないような部屋でした。 廊下にでました。廊下からは元気な声や笑い声が聞こえて来ました。 それにとても違和感を覚えました。「なんでみんな元気なん?なんで笑ってんの?」 想像していたところとは少し違いました。 Sはよく眠っていました。輸血のおかげで傷跡からの出血もとまっていました。 頑張ってヤマを乗り越えてくれました。 部屋には24時間監視カメラがついていました。 「どこで着替えればいいのかな、、、?」「食事は付き添いの分もついてくるのかな、、?」 「電話は部屋にはないのかな、、?」「」パンが焼けるにおいがするけど、どこで焼いてるのかな?」。。。色々な疑問が出てきました。 担当の看護師さんがあらわれました。 「担当の○○です。」とても穏やかでかわいらしい人でした。 主治医ともその日はじめて言葉を交わしたような気がしました。 人とお話することがとても苦手な感じの女医さんでしたが、子どもに向ける笑顔はとても優しい顔だったのを覚えています。 楠木先生はこのときは私たちの主治医チームの中のお一人でした。 とてもマメに見に来てくれる先生で、心強かったのを覚えています。 前日に病棟内の説明を受ける気にならなかったので、少しずつ設備やルールのことを教えてもらうことにしました。 まず、付き添いとして低菌(※)のときのルールを書いた用紙を戴きました。 ・マスク着用 ・子どもに食べさせてはダメな食べ物の一覧 ・うがいをさせること ・ファンギゾン吸入について ・内服薬のこと ・アイソレーターの説明 ・ベッド上から外へは出てはいけないこと。 ・子どもの面会はダメなこと。 ・風邪を引いている大人の面会もダメなこと。 などでした。 つづいて、設備面、生活面についてのルールの説明をうけました。 廊下からは、母親たちの雑談、子どもの笑い声、話し声、検査で泣いている子どもの声など色々な音が聞こえてきました。 私は数日、その部屋に引きこもりほとんど廊下にも出ず暮らしました。 少しもSの側を離れたくなかったのです。 つづく ※低菌・・抗がん剤の副作用などで、抵抗力が著しく低下している時期のことをこういっていました。 まさみさま |