自然 [2007年12月20日(Thu)]
「自然と科学」というのは古くからよく取り上げられたテーマです。この両者、調和のとれているうちは問題となりませんが、科学が自然に極端に食い込み過ぎると困ったことになります。原子物理学の進歩により「核」が開発され、人間社会を含めた自然への脅威となっていることは言うまでもないことでしょう。今、問題となっている地球温暖化が二酸化炭素排出増加に起因するとすれば、これも自然への脅威です。そして、医学の進歩は人間の自然な営みをないがしろにする危険性をもっています。
自然とは何か。この問題、東洋と西洋でとらえ方が違うようです。自然の「自」という字は、もともと「鼻」の象形文字です。人は自分のことを言うのによく「鼻」を指差します。つまり、「自」とは自分(おのれ)のことを意味します。自然とは、おのれがしかるべきものということです。松は松でしかるべきあり、犬は犬でしかるべきと考えます。方や、西洋ではどうか。英語で自然はnature、神によって誕生させられたもの(神の創造物)という考えに根ざしていると思われます。東洋的な考えでは自然を自律的、能動的な意味でとらえ、西洋的な考えでは他律的、受動的なものとしてとらえられています。 西洋的な考えでは、そうすると、この「自然」をものごとや思考の対象としがちで、自然を征服するといった思想に容易につながります。あるがままの自然を大切にするのでなく、自然をコントロールしようとするのです。 ここで言う「科学」というのは、自然を対象とした「自然科学」のこと。純粋な医学もここに含まれます。自然の真理を追究する自然科学が自然を破壊してしまっては本末転倒かもしれません。実際の臨床医学は少し違うと思っています。 子どものしかるべき姿、ありのままの姿、自然な姿を大切にしたいと、チャイケモは考えています。 by Ohta (参考文献)鈴木大拙・講演CD 「最も東洋的なるもの」 チャイルドケモハウスでは現在応援メッセージを募集しております。 http://www.kemohouse.jp/cgi-bin/regist_members/regist.html 詳しくはこちら https://blog.canpan.info/kemohouse/archive/341 |