2007参議院選挙を終えて [2007年07月31日(Tue)]
先の参議院選挙は、民主党の大勝利で終わりました。
みなさま、選挙に行かれましたか?私はもちろん行きました。 年金問題が一番の話題でしたが、 私の興味は当然、医療制度改革、教育、こども、でした。 党首討論の所信表明、マニフェストなどには、「こどものために」 という言葉が並びましたが、記者との質疑応答、フリートークではほとんど、こどものことが話題に上がることはなかったように思います。 だいたい、年金、年金と言いますが、これからの年金を払うのは今のこども達です。 そのこども達が今の社会に絶望すれば、年金制度なんか崩壊するに決まっています。 年金の財源の具体的な数字のやり取りもいいですが、それはある程度専門家に任せて、 これからの社会を支えるこども達に対する想いをもっと語って欲しかったです。 語れるものなら。 マニフェスト選挙が大切と言われます。確かにそれも大切ですが、すべての政策に精通している候補者なんているわけないですし、最終的には信用できそうな人に投票してしまします。 その人が信用できるかどうか、一つの指標として、こどもに対する想いを語らせればわかると思います。長く語れば語るほどはっきりすると思います。 こどもに関わる仕事をしていなくても語れるはずです。自分がこどもの時、何を感じて、何を思って政治家になろうと思ったのかを思い出せば、話すことなど山ほどあるでしょう。そして、こどもの頃の自分が、今の自分を見てどのように思うか、、、 夢を与えているか、 ごまかしてないか、 こどもの純粋な眼差しを直視できるか。 土下座・「私を男にしてください」・「勝たせてください」 、、、、 本当にいい加減にしてほしいです。 また、「こどもを守る」という言葉をよく聞きます。 私自身、あまり好きな言葉ではありません。 私はこどもは「守る」ものではなく、「見守る」 ものだと思っています。 「親はなくとも子は育つ」 そんな社会が私の理想です。 (注)「親はなくとも子は育つ」には、 「親が気づかないうちに子はいろいろなことを学んでいる」という意味と、 「親がいなくても自分で努力したり、まわりの人に助けられたりして、大きくなっていけるものだ」 との意味があるようですが、今回は後者の意味で使わせていただきました。 どちらの意味も素晴らしいですね。 s.kusuki |