闘病中の「あそび」 [2006年12月21日(Thu)]
みなさま。こんにちは
![]() ![]() 夕子ちゃんが、入院中の「あそび」について書いてくれたものです。 ここでもまた、日常生活で本当なら「当たり前」に保障されているはずのことが苦労しなければ手に入らない闘病生活の現実が書き表されています。 制限された生活の中でも、子供はあそびをみつける天才だということ。 あそびはお薬と同じくらい大切なものだということ。。。 子供にとってあそびとは、、、どうすれば闘病中の子供達が少しでも楽しいときを過ごせるのか、、、一緒にお考えいただけると嬉しいです。 それでは、夕子ちゃんの「あそび」です。。。 遊びといっても、ベッドの上で遊ぶことには限りがあり、それに、とてもアクティブだった長女にとって病院の中での遊びは物足らないものだったと思います。部屋から出てもいいときは「お散歩、行く!!」と部屋を飛び出していくのが常でした。そして、足繁くプレイルームに通っていました。中でも、幼稚園ごっこはとても楽しみにしているものでした。元気だった頃、保育園に通い、毎日朝早くから夕方まで友達と走り回り、歌を歌い、時には泥んこになって遊んでいた彼女にとって、入院生活はとても退屈なものだったに違いありません。それでも、幼稚園ごっこで同じように、大きな声で歌を歌い、工作をしたりと、楽しい時間を過ごすことができました。しかし、小さいながらも自分が病気で、我慢しなければいけないことがあるんだということを、なんとなくではあるものの、理解していたのだと思います。 幼稚園ごっこのある日は、朝からソワソワして、一通りの診察が終わると、プレイルームに一番乗りしていたものです。幼稚園ごっこの無い日でも、もちろん一番乗りです。プレイルームにあるおもちゃを次から次へと引っ張り出し、大満足でおもちゃに埋もれて遊びます。人見知りをすることなどなかった彼女は、プレイルームにやってきたお友達に、まるで自分の部屋に遊びに来たんじゃないかと思うくらいに、おもてなしをします。おもちゃを貸してあげ、場所を譲ってあげ、何か話をするわけでもなく、そばに寄っていき、ニコニコ笑って見ているのです。プレイルームで遊んでいる最中、ルートを引きちぎってしまったこともありました。(すべりだいに引っ掛けて・・・) 幼稚園ごっこの無い日や、幼稚園ごっこが終わったあとは、いつものように廊下を『お散歩』です。まず廊下のつきあたりに窓の外にやってくる鳩を見に行きます。「今日もいっぱいウンチしてるねぇ・・・」と、いつものセリフ。次は反対の端まで歩きます。何度も何度も往復して、廊下ですれ違う人には、手を上げて挨拶をします。ついには、病棟にいる人たち、医師、看護師、ボランティアの人たち、お友達、そのお父さん、お母さん方、ほぼ把握していたように思います。そして、他の病室に遊びに行ったりもしました。病院側からすると、とても迷惑なことだったかもしれません。しかし、今までの生活からすると、彼女にとってお友達と遊ぶということは、あたりまえのことなのです。ベッドの上でしか遊べないときのお友達と触れ合った後、自分がベッドの上から動けなくなったとき、そのとき遊んだことを思い出し、「○○ちゃんみたいにして遊ぶ!」なんてこともありました。 やはり、病気になり、入院しなければならなくなった小さな子供たちの遊びには、制限があり難しいと思います。しかし、小さな子供たちにとって、遊び自体が学習であると思います。生活をしていく上で切り離せないものなのです。当たり前のことを当たり前にすることが難しいのですが、他の子供たちとも、もっと触れ合えるようだったらなーと思いました。(もちろん、調子の良い時に限りますが・・・) ![]() ![]() |