ダニー・トーマスとSt. Jude @ [2006年12月21日(Thu)]
St. Jude Children’s Research Hospitalの創設者ダニー・トーマスについてお話ししたいと思います。
ダニー・トーマスは1914年1月6日に米国ミシガン州で生まれました。本名をAmos Alphonsus Muzyad Yakhoobというレバノン系の米国人で、子供の頃はオハイオ州やニューヨーク州などで暮らしたそうです。 歴史の年表で1914年を見ると、世界史においては6月にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がサラエボで暗殺された事をきっかけにして、翌月に第一次世界大戦が始まった重要な年です。当時の米国大統領は28代トーマス・ウッドロウ・ウィルソンで、当初この大戦には中立を表明しています。日本では大正3年で、藩閥政治を批判する尾崎行雄・犬養毅らの第一次憲政擁護運動により前年に倒れた桂内閣の後を襲った山本内閣が、海軍高官の収賄事件(シーメンス事件)で総辞職し、大隈内閣が成立して8月に対独宣戦布告しています。この年に生まれた外国人は私の知らない人ばかりですが、日本人では金丸信、宇野重吉といった人が同い年のようです。 時を経て1940年代前半の頃の事だと思われますが、トーマスはデトロイトでナイトクラブ回りをする若手エンターテイナーとして苦労の日々を送っていました。かなり貧しかったようで、所持金が7ドルしかなかったこともあるようです。そんなある日、彼はとある教会で敗北者の守護聖人とされるSt. Jude Thaddeusの像の前に跪き、”show me my way in life”と呟きます。 このSt. Jude Thaddeus(聖ユダ タダイ)は、イエス・キリストの使徒の一人で、新約聖書の『ルカによる福音書』においては「ヤコブの子」と記され、『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』では「タダイ」と記されています。イエスを裏切ったイスカリオテのユダとは別人物ですが、混同を避けるために意図的に軽視され、「忘れられた聖人」とさえ呼ばれたそうです。「忘れられた聖人」ユダへの信仰が盛んになったのは1800年代のイタリア・スペインで、南米を経由して1920年代にシカゴから米国全体へと広がっていったそうです。 さて、”show me my way in life”と祈ったトーマスはSt. Judeの啓示を受けたと言います。そして、その啓示に従って、エンターテイナーとしてのキャリアを積むべく、家族と共にシカゴに移り住みました。さらに2、3年後、彼の人生に別の岐路が訪れると、もう一度St. Jude像に祈り、いつの日かSt. Judeの聖堂を建てると誓います。するとその直後から映画やテレビで活躍するようになり、遂には全米的に有名なエンターテイナーへと駆け上がって行きました。映画では1951年の「I’ll See You in My Dreams」や翌52年の「The Jazz Singer」が彼の代表作とされ、また最も有名なのは「Make Room for Daddy(後のThe Danny Thomas Show)」というテレビ番組だそうです。そして、後年にはテレビプロデューサーとしても活躍し、たくさんの人気番組を手掛けたそうです。 by Hiro, in Memphis |