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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


子どもの責任は、親が取れるものか? [2026年08月31日(Mon)]
その責任はだれがとるのだ!
自分でとれるのか!
そう言われて、いつも、親の、大人の、目上の、感情的な理屈に振り回されてきた。

今の私が思うに、自分の責任は、その時代に自分が余裕をもって取れる責任を果たすことで充分のようである。

それを、「責任をとれ!」という言葉で、初心者や未経験者を脅すのは、もってのほかといえる。
責任を果たせるには、果たせるだけの能力を認めて頼むものである。
本人の能力以上のものと分かっていながら、「責任をとれ!」という言葉で強要してくるのはパワーハラスメントと言われても、愛ある親心とは思えない。

依頼する方(親)が解っていなかったし、読み足りなかったのであれば、未経験な子に無理をさせていれば、依頼人(親)の責任と言われても当然である。

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私も子育て時代に、子どもに、その時の能力以上のことを強要してきたと反省しているが、もうその責任は、本人たちにお願いするしかないと、肝に命じている。

子どもの責任は、子供本人が、残りの人生で取り戻してもらうことが責任の取り方だし、人生後半の支えになる。
その子の人生の責任は、その子にしか取れない。
その責任が取れないと本人が言うなら、その自信がないというなら、すべからく、その責任が取れないように育てた親の責任である。

いくつもの社会参加に抵抗があるという現実の壁に向かい、全く何もできないのであれば、それは親の責任と言えるものだが、これから壁を乗り越える責任は、本人にしかできないことなので、親は勿論責任はとれない。

それこそ、親が子供の責任を、親の知らないところや、死んだ後まで持てることにはならない。
子らよ、親も君の責任はとれないと諦めてくれ。

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「死んだ後までは、知らないわよ!」という親の言葉もよく耳にするのだが、それなら、親が責任とれるのは、金銭的に一時の援助くらいしかできないのが正味だ。
親が責任をどこまで持てると言えるのだ?と、責任追及をしてみても、やはり意味のないことだ。

しかるに、責任が取れないのは、お互い様である。
親の責任を子供はとれないし、子どもの責任も親が取れないことを、先ずは認め合おう。

親の責任は親が取るよう努め、子どもの責任は子供が取るように努め、互いに、その結果を比らべて非難するのではなく、その工夫と努力を認め、評価し合い、補い合うところを見つけようではないか。

誰も、人の責任に対して、他の人が責任はとれない。
自分の責任は、自分でとるしかないのだ。
それでいいのだ。

その責任の取り方を、余裕をもって、今の本人の能力でできるように、段階をもって、本人が安心して取り組める提案と、サポートをするのが、先人や、社会や、教師や、支援者や、親の役割であってほしいと思うのです。
快適な生き方を拒む人 [2026年08月31日(Mon)]
今の私は、快適な、楽な生き方を選べる人間になりつつあると思っているが、昔はそうではなかった。

昔というのは、物心ついてから、自分の人生を生き始めた46歳頃までのことだ。
これまでの私の生きざまは、言い換えれば、しんどい、厳しい、苦行に向かう生き方が、自分をたくましく育てると勘違いしていたのだ。
何かわからない完璧にしか、安全・安心がないと自分を信じ込ませていたようだ。

ようだというのは、自分ではそうは思ってはいないはずなのに、他人から、友人から、親からも、よくそういう言い回しで呆れられてきたからだ。

「好き好んで、しんどい生き方をすることはないじゃないか。」友人から視ると、楽な生き方、もう少し自分に相応な生き方を選べばいいのに、あえて厳しい、自分のハードルにするには高すぎるくらいの目標設定をする傾向がいつも自分にはあった。知らず、知らずに。

そして、ことの末に行き詰ってしまい、逃げ出すしかないような袋小路の出口を見つける。
家出だ!

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すると、なんと出口と思った光の先は、絶壁から飛び降りるしかない羽目になった自分と気付き、ぎょっとする。

これは夢ではないのかと、思いつつも現実に違いないことは痛いほどに知っている。
ただただ布団にもぐって、眠気に身を預けて、ひたすら膝を抱えているしかない現実という大海の真ん中に身を浮かべているのである。

私にとっての、ひきこもり時代の毎日は、行き詰まる・逃げ出す・出口を見つける・出口と思った光の先は絶壁・飛び降りる、飛び降りれない、その繰り返しであったように思う。

私の場合、出口の光を見つけ、それを希望として走り続けることは容易だった。
そのがむしゃらな姿は、他者からの評価も得やすくて、その評価にしがみついて、さらに走り続けると、足をすくわれて、大海の真ん中に舞い戻っていることに気付く。
すると、死ねなくて、またも「家出」だ!

それでも、走り続けるしか、自分には方法がないと信じ込んで、前しか見ていなかった。
景色を見ていなかった。
過ぎ去ったやさしさをねじて捨ててきた。

今の景色の美しさや、過去に感じたやさしさや、これからやってくるだろう温もりに、出会っていたはずなのに、受け取り拒否で、神様に送り返していた。

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この今も届く、私へのメッセージや贈り物は、色んな人の顔をしてやってきては、神様からのほほえみとジョークであることが、最近になって心に沁みている。

「楽しく、気軽に、生きよう!」
どうなるかは神に任せて、委ねて、大海の真ん中でやってくる漂流物に、自分を映し出して、漕ぎ始めよう。

今の楽な生き方の少しを、十分に味わいながら!
「ハラスメントではない!」とは言えない [2026年08月18日(Tue)]
色んな種類のハラスメントが、世の中で広がりつつあるのは、いいことだとは思うのです。

私自身、子育て時に、子ども達のために善かれと思ってやっていたことが、今の私の視点で見つめ直し判断すると、明らかに「ハラスメント」と責められてもしかたないことが多々ありました。
周りの状況や、私の身勝手な判断では、当時当たり前と信じていたことが、配慮が行き届いていたようなことが、今では自分勝手に思い込みで判断した誤りではなかったかと知り、自分自身が、情けなく、辛くなります。

家族会・コミュニケーション学習会で、親御さんの言葉から感じる、ハラスメントの臭い。

親が放つ「子どものために言っていることだから、よく聞いて、自分でよい判断するように。」との、一見優しそうな表向きの言葉とは違った思いが見えてきます。
「親の言う通りしないと、あなたの不利益になる」と断言し、どこか子どもを脅している言い回し、遠回しに強要しているのと同じではないのか?と、今の私には、思えてくるのです。

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「自分がやりたいのなら、自分の責任でやりなさい。」と言われたので、子どもなりに考えて提案してきました。
その答えを聴くと、間髪入れずに、「私のやり方に反することを選ぶのなら、私は親として一切の責任を持てないし、今後は祖父母を親と考えたらいい!」といって、娘に親の意見を強要したのは、過去の私です。
そればかりか、娘が大切にしていた私への安心や信頼を裏切るような発言や態度をぶつけていたことにも気づいてはいなかったのでした。

そのような経験を何度も重ねた娘は、それがトラウマになっていることも、私は知っていた筈なのに、つい半年前、「自分が決心したら言ってきなさい。その上で、話し合おう。」と、言葉は違えども、同じ様な、切り捨てるような態度をとってしまいました。

娘の気持ちを支えるような対応を心がけてきていた筈なのに、結論の一言で済まし、悩む気持ちや戸惑う揺れを聴くという大切なところを聴けずに、ピシャリと拒否してしまったのでした。

正に、後悔することになりました。
ここ10年近くは、娘が自分のことをそのままに相談してくれるように接しようと心がけてきました。
そのような感じになっていたのに、何故あんな言葉で、態度で、言い放ってしまったのか?

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今は、本当に申し訳なく思っています。
しかし、そのことさえも、娘から電話があった数か月後に、やっと気付いたこも重ねて悔やまれます。

気持ちに寄り添い、そのまま聞く:傾聴の学びを続けてきて、今回の講座を受けて気づけたのかもしれません。

今までのことを、心から私が娘に謝れるときは来るので
しょうか?

折角、10年かけて育ててきた信頼と安心を吹き飛ばし
てしまった私の一言を、「ハラスメントではない」と、「子ども想うあまりに出た言葉だ」とは、今の私には、やはり言えないのです。
「どこ」を、見ているの? [2026年08月06日(Thu)]
家族会や学習会では、ご家族の今の状況や昨今の変化を順番にお聞きしています。
それをお聞きして、私の思うことや、感じたこと、他のご家族から気づいたことをお話ししていただき、お互いの刺激にしてもらっています。

同じ様に家族会等に参加されていても、
・変化のないご家族と、
・毎月の変化で話が深まるご家族と、に分かれます。

変化のあるご家族と、変化のないご家族は、
どこが、どう違うのでしょうか?

よくも、悪くも変化していくことで、
その先には大きな変化と、成果が待っています。
今回は、その違いを考えてみます。

部屋にひきこもっていて、食事も一人だけで食べていた子供が、最近になり、お昼だけは一緒に食べてくれる様になったと、報告を下さいました。
かといって、お子さんは、学校へ行く様子もありません。
このご家族には、変化があったのでしょうか?

部屋にこもって、自分のことも、親への不満も、辛いことも、嬉しいことも、何一つ話さなかった子が、トイレに行く道すがら、親がいる部屋の前を通り、「暑い!暑い!」と大声で言いながら、ドタドタと階段を上っていったのは、何か文句を言いたかったのでしょうか?
その後の暑い日でも、「暑い!」の言葉も一切言わずに、顔を合わすこともありませんでした。
依然と変わりはないのです。

先週、テレビのリモコンが使えなくなり、「どうしたらいいの?」と、渡しておいたら、知らない間に修理をして、机の上に置いてくれていました。
「助かったわ!ありがとう」と言っても、知らん顔で、親の前を素通りしていきます。
「折角、お礼を言っても、あれじゃ、愛想もないわね。」と、お父さんと話していたのです。
こんな様子じゃ、家から外に出て、働きに行ってくれるのは、いつのことだか?

助けてもらってもいいのだ!
今、人と会うことに苦痛や嫌な思いを感じ、トラウマを抱えている若者が、勇気を持つだけで、外に出ることはできません。
人といることに安心が持て、自分の言いたいことを戸惑いながらも言葉にして、自信のないことも、やってみようという勇気が持てることを、廻りから実感させて貰えて、世の中やっている内に何とかなると思えてくるからです。

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自分一人ではできないことばかりだけど、他の人に助けてもらってもいい。
助けてもらいながら、人は出来るようになるし、生活できるようにもなると、思えるように、廻りが感じさせてあげられることが先で、自分で実感できるのはその後から、じっくりとわいてくるものです。

そして、気づけば仕事もできているの?と、
自信は無くても、思える時もやってきます。
人と一緒に行動することに、しんどさもあるけど、
何やら嬉しかったりもしてきます。

そんな喜びや、その共感を得られて初めて、働きに行き、働き続けることができるのです。

未経験者が、自信のない者が、他者と一緒に、他者のやり方で、他者とのペースで、他者の様にできることは、
何一つありません。

私のやり方を私が決めて、私のペースでやる内に、私のやり方を、一緒に考え、一緒にやってくれる人と出会っていくから、何となく生きていけるようになるのです。

そんな心の細やかな成長が積み重なり、繋がって、大きな自分を動かせるエネルギーを実感できる筈なのです。
そんな生き方に、まず出会ってほしいのです。

先ほどのお子さんは、学校へ行く様子もありません。
という視点からは、変化は見られません。
食事を一人だけで食べていた子供が、お昼だけは一緒に食べるようになったということは、ご家族と一緒に、ただ居ることに、苦痛を、不安を感じなくなっているという視点では、大きな変化と言えます。

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「暑い!暑い!」の若者も、顔を合わすこともないので、
依然と変わりはないのです。

「暑い!暑い!」は、今の自分の環境に、不快があり、そのことを誰かに聞いてもらいたい気持ちがあるのです。
かといって、それ以上言わないというのは、親に対する文句や要求ではなくて、ただの愚痴を、親に聞いてもらいたかっただけなのです。

ピリピリとした緊張感が、親にも子供にもあった時期からすると、このごく自然な日常生活を送れていことは、
気持ちの安定が育っているという大きな変化です。
見えない階段を 一段 一段
そんな自分の生き方を、親御さんや友達や自分を理解してくれる一人ひとりと出会っていくことから始めます。

生きにくさを抱えた若者が、
歩きだす為に必要なことを、
一緒に積み上げ、紡いでいく
工夫を始めてください。

そうすることで、日常生活の些細な変化に気付かれるようになっていきます。
その安心感と安定感が、自分の存在を、そのままで信頼できる気持ちへと育てていくのです。

目に見えない階段を一段一段登っていく様子を
心の中で応援し続けることが、見守るということなのだと
思います。

人は、自分だけで、動き始めることはありません。
幼児が友だちと遊び始める時、お母さんの方を振り返り振り返りながら、友達との関係の中で、ある時から安心を実感して、お母さんを観なくても大丈夫になります。

動けなかった若者も、そんな風に、家族との安心感を確かめながら、世間という不安な世界に向かって、自分のやり方とペースで、向かっていくことが出来るのです。
これは、ご本人も、ご家族も解っていない真実です。

人は誰も、他者の応援に支えられて、安心感の中で、
生活を広げていけるのです。
人との関わりに楽しみや喜びを感じる相手との出会いから、先ずは始めることです。

目標は、「働きに行く」や、「自立生活」ではないのです。

結果的に、自分のやりたいことで生活資金を得て、
何となく生活ができて、「世の中、面白いこともあるな!」と感じられ、気付けば世間の荒波と言われるところを生きていけている。

そんな人生の歩み方を、誰かと作り始めて下さい。
そして、あなたが、その誰かになって下さいね。
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