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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


人形浄瑠璃から見える「息を合わせる」こと [2026年01月31日(Sat)]
阿波十郎兵衛屋敷は、徳島県が運営する観光施設であります。
屋敷では、人形浄瑠璃に関する多種多様な資料や、様々な人形
と頭が3部屋に分かれて展示されています。
特に、農村舞台や、正月の箱回し(各家庭を上演して厄払いを
する行事)の映像が上映されていることは大いに楽しめる。

 ある時期から、定期的に人形浄瑠璃が実際に上演されるよう
になり、市民の上演団体、高校や中学の園芸部が、上演場で、
人形浄瑠璃を実際に観られるようになっています。

今回は、10日・11日と「えびす祭り」というイベントでもあり、各2団体が、午前・午後の4公演が上演され、其々の演目を演じておられるのでした。

私達は、最後の11日の午後のプログラムにお邪魔しました。
屋敷内の展示場を一周して、上演場に入ると、風月庵メンバーの二人は、既に別々に座っていました。
90人ほどの見学者と20〜30人の上演者とが、会場狭しと、集まっておられました。

館長から人形遣いの説明がありました。
人形は、左腕と頭、右腕と胴体、そして足の3人が、各々の役割で、人形は生きている温かさを発して動き始め、表情もどんどんと変わっていく様子に、観客は魅了されていくのでした。

三番叟2人.jpg

14時からは、「寿二人三番叟」を(とくしま座)の6人が、演じられました。
リズミカルな鈴の音と、コミカルな体と足の動き、トトトトン、トトトトンの足音が、テンポよく会場の雰囲気を徐々に盛り上げていき、観る者の気持ちを上げていき、会場全体に広がっていきました。

同じ川内町内の中学校では民芸部があり、娘がその文芸部でこの三番叟の足を演じていました。
時に、足を大きく激しく動かしながら、同時に、床を踏みしめるトトトトン、トトトトンの音を、自分の足で打ち続ける必要があるのです。

激しい動きで舞台の右へ左へと動きながら、足を上げたり広げたりの動きを演じ、同時にトトトトン、トトトトンを自分の足で会場に響き渡るように叩き続けることは、至難の技だけでなく、どれほど疲れる動作なのかを、娘から強く説明を受けたことを思い出しました。

人形を生き生きと動かせるには、黒子3人の息を合わせた、動きがあって、観る者を感動させることが伝わってきました。

獅子舞.jpg

次の演目は、森藤獅子舞保存会の20名の方々が、太鼓と舞いで、伝統芸能を披露してくれました。
子ども2人が演ずる獅子の2獅子が、上に下へ、右に左に、竜のごとくに動き続けます。
2獅子が交差し、首をひねらせて、舞い続けている子どもの真剣な表情に、思わず拍手が上がっていました。

音楽は、竹バチ太鼓が3筒、木製バチ太鼓が2筒、繰り返し、繰り返しリズムで盛り上げていきます。
このリズムは、私が子供の時に秋祭りで練習していたあのリズムであることは、すぐ思い出しました。
吉野川市の森藤地区の保存会ですが、徳島市川内町で、60年前に打たれていた太鼓のリズムが全く同じだったことに、親しみをジンワリと深められました。

続いては、子ども達8人による傘おどりが披露されて、丸1時間の上演は終わりとなりました。

さらに、良い縁起を戴くために、舞台から鈴を降りかけてもらい、獅子に頭をかぶりついてもらい、紅白の餅を戴いて、屋敷を離れました。

外では、雪が舞い、底冷えで、強い風が吹いていました。
懐に温かいものを感じながら、車を走りだしました。
世間の「普通」に縛られている [2026年01月19日(Mon)]
私たちは、「普通でしょ」という言葉をよく使います。

普通のことが普通にできて、当たり前でしょ。
それができないのは本人の努力が足りないのだという意見が聞かれます。

私達は、自分が何の気なしに出来ることを普通と言っていますが、誰しもが普通にできるわけではないのです。

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うちの奥さんが、組み立て式家具を買って、「組み立てるのに1日かかると思いますが、時間をかければできますので、頑張ってください」と店員さんに励まされたそうです。

奥さんは自分がイメージできないことは、無限の不安が広がっていく癖があり、孫二人に、その組み立てをお願いしました。
ところが、二人は1時間であっさりと仕上げてくれました。

1日かかるのが、定員さんの普通。
2日がかりになるだろうと考えたのは、奥さんの普通。
1時間もあればできると判断したのは、孫たちの普通。

20歳を過ぎて、自分の部屋の片づけが出来るのは、世間の普通と言います。
自分が毎日の生活に追われて、1月に1回、なんとか掃除をしているお母さんは(当然自分はしたくてしているわけではないので)いやいやしている人ならなおさら、「どうして自分の部屋くらいは片づけてくれないの!」と、怒ってしまいます。

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自分が苦手な人は、「もうする気がないから」「生活は出来ているから」「自分が我慢したらすむから」と、自分の普通に、たくさんの理由や言い訳をつけてきます。

そういう言い訳をつけていることが、「世間の普通」基準に縛られて、自分で自分を苦しめているように見受けられます。
あなたも、そんな「世間の普通」に縛られていませんか?

長い長い年月に渡って、親から言われてきた、学校の先生を始め、周りの大人たちから言われてきた「世間の普通」とは、本当に私の人生を、豊かに、楽しいものにしていますか?

自分が、自分の気持ちで決めて動き出し、やりながらでも、しんどいと感じることもあるが、どこか楽しくて、後からジンワリと幸せ感がしみてくるようなことは、自分が決めたし、余裕をもって続けられていることなのです。

「世間の普通」を、しなければならないことと、なんとか言い聞かせて、し始めても、言い訳ばかりが浮かんできて、やる気がどんどん失せてきて、後から、ジンワリと後悔の念と共に、しんどさが体中を包んでくるのです。
このやり方は、自分に無理をさせているやり方なので、即刻辞めるべきなのです。

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「世間の普通」という基準から、あなたがあなたを解放してあげましょう。

「あなたの普通」基準でやるには、自分の気持ちで決めて動き出し、やりながらどこか楽しくて、後からジンワリと幸せ感がしみてくるようなやり方こそが、あなた基準なのです。

そして、これからは「私の普通」基準を周りに理解してもらいながら、自分のやり方を進めていく方法や、やり方を身に着けていきましょう。

これはひきこもっている若者への提案ではありません。
その若者のことで悩んでいる親御さんへの提案なのです。
物の哀れを知る心 [2026年01月07日(Wed)]
明けまして、おめでとうございます!
今年は、正月気分も味わう余裕もないまま日常生活に戻ろうとしています。

それでも毎年の慣例でもあり、2日には書初めを楽しみ、
2種の作品を仕上げました。
去年を振り返り、今年一年を望むときに、心に浮かぶ想いや言葉やイメージから、その年の文字を決めていきます。

ひとつは、私が活動の中で、自分の想いの芯(真意)なっているものを見詰めて探します。
もう一つは、信仰の中で、自分の心のあり様に感性を合わせ、浮かんでくる想いを言葉にしてみようと試みます。

私が活動や信仰で立ち止まり、感じている、考えていることに焦点を当てて、自分の中に、浮かびくるものを探すのですが、今回はキリスト教の機関紙「風:プネウマ」の文章からヒントをいただきました。

それが「物の哀れを知る心」と、「大自然の生命の海」でした。

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「物の哀れを知る心」を一言でいうと、「造化:ぞうか」と、私は理解しています。
その言葉との付き合いは長く、初めて出会ったのはキリスト教に出会った45歳の頃に、良寛の詩に見つけました。

「物の哀れを知る心」を作句(作歌)の世界でいうところの、芭蕉が「造化:ぞうか」と提唱し、広く知られるようになったと聞いております。
「万葉集」では、その心を読み取れるが、「古今集」以降の歌にはその心がないと、良寛は言っていました。

それを体現したのが、観阿弥・世阿弥の「能」や、千利休の「茶道」には、その心が基となり活かされているという。
それこそが日本人の文化:心、そのものだと、本居宣長は言うのです。

若い時から、「日本の心とは、何か?」を考えてきた私は、彼らの意見に耳を傾けつつも、自分の理解や、自分の身になる言葉に出会うように、今も探求を続けているのです。

明治以降の日本の政治は、文化性が失われてきて、いかんともしがたい思いを持ち、今の日本の文化について、今後に辛さを感じていたのは、私だけではなかったと、納得したのでした。
その兆候は江戸末期の本居宣長や、良寛も同じ危惧を抱きながら、未来に託して、書や詩にしたためて来たのかと思うと、心打たれる思いがします。

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もう一つの「大自然の命の海」は、私の理解では、一言でいえば、「風:プネウマ」となります。

「造化:ぞうか」という言葉にも、創造主とか、大自然の産物とか、その働きとの意味が含まれています。
「風:プネウマ」は、「魂」という意味もあり、個人の魂でもあり、宇宙に広がる生命の全ての魂とも言えます。

ですから、私の理解では、この二つの言葉は繋がっており、同一視もできるのです。

これらの言葉は、今の私からすると、目の前の些細なことをじっくりと観察し、味わっていると、生きること、生きる意味の真意が伝わってくるのだと受け取れるのです。

活動では、日常の些細な変化を、驚きと感動で受け止め、良いことも悪いことも、全体の視点からバランスをもって見直し、人は、おのが人生をゆるりと楽しみながら生きることとして、「おもしろい」と共感していく私でありたいのです。
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