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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


卒啄同時に、マッチング [2025年08月25日(Mon)]
「ひきこもり」とは、家や、部屋にひきこもっている状態を、「不登校」とは、学校に行かずに、遊んでばかりの状態だと、考えてしまっては、当事者への理解は深まりません。

大概の場合は、子どもの、本人の心の部屋に閉じこもり、外の世界の現象を、敏感過ぎる程に感じ取り、外の世界は不安や恐怖ばかりだと思い込み、どうすればいいの?どうしようもない!と、葛藤の日々が続いています。
外の世界のことを自分に問いかけ、自分で何とかしなければいけないと、悩み続けている状態と考えてほしいのです。

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そう説明しても、「本人が動かなきゃ、親はどうしようもない」「本人の問題なのだから、本人が考えて、本人に動いてもらわなきゃ、始まらん!」と、親では何もできないかの様にいうお父さん。

「こんな長い間、自分一人でなんとかしようとアレコレやってきて、もうどうしようもないから、親が何とかしなきゃ!どうにもならないでしょ」「じゃあ、誰が心配し、面倒みてくれるのよ。親しかいないでしょ。」といいなが、手を出し、口を出し過ぎるお母さん。

人とのコミュニケーションがうまく図れず、関係性の変化や進展が読めない(読みにくい)、感じられない(感じられにくい)若者が、自分が一歩動こうとしたままで、すぐ目の前で立ち止まり続けているかに、私に見えるのはどうしてなのでしょう。

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「卒啄同時」という言葉が、子育てのことを考える時によく引用されます。
ひなが卵からかえる時に、ひなが内側から殻をつつく行為を「卒」、親鳥が外側から殻をつつく行為を「啄」といい、それが同時に響くと、殻が割れて、ひなが卵から出ることになる。

ひきこもっている若者の状態とは、正に、たまごからかえろうとしている卵の殻を外側からやみくもに突き、内側は疲れ果てて突く気力もない状態だから、破るところまでいかず、暫くして雛である子供が元気を取戻し、突き始めた時に、今度は、親側が一向に気付かず、親が突くことに疲れ果てていたりする。

この殻という、子どもの心の壁を突き続ける作業とは、どんなことを言うのでしょうか?
安心できる関係を取り戻し、安定した関わりで、少しずつ、一定の間隔で、ささやかな刺激(提案や気持ち)を提供し続けてあげることなのです。

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本人の動きを待っていたのでは、響き合う瞬間は作れません。子どもの心の動きを感じつつ、一定の間隔で同じメッセージを送り続けることなのです。

家族の役割は、穏やかに見守り続けるまなざしと共に、「一定の間隔で同じメッセージを送り続ける」ことだけなのです。
すると、一瞬のマッチングから、長い歩みが、心のつながりが、響き始めることに気付かれる時が来るのです。
明治からの160年の宿題 [2025年08月13日(Wed)]

私が、現時代の要請と信じていて、実は大きな時代錯誤から派生している宿題ではないかと想像する問いかけがある。

私自身が、学校教育の中で、ずっとおかしいと思いつつも、今まで違和感を長く意識しつつも、そのままにしてきた感覚が、今も私の軸に問いかけ続けていると、最近気付いた。

学校というシステムがどこかおかしい!と、感じつつ、学校で行われてきた生活に、違和感を意識していたと、思い出す。

それなのに、学校に通い、子ども時代の大半を学校で生活し、学校での生活が、生きることの全てのように思い込み、勘違いさせられてきた。
勘違いは自分でしたものではない。
明らかに、一方的に、家族に、大人に、社会に、時代に、
「そうなのだ」と信じ込まされてきたのだろう。

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担任の教師が居て、号令一家、担任の一言に疑いも無く従い、集合、離散を繰り返す。
なんと従順だったのか?

今日は、この授業を受けたくないので、図書館で居ます。
明日は、あの授業が嫌いだから、運動場の隅っこで他のクラスの体育の授業を眺めていたい。
この先生の授業はつまらないから、別の学習を自分で進めていきたい。

私自身は、授業中に他の科目の学習を自分で決めて、見つからない様に、内々で進めていたことは常であったから、そういうことも見つからなければ、しても良いと勘違いしていた。

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小中高校と、試験でそこそこの得点を得ていたら、特に注意はされなかったが、授業を休むとなると注意をされ、通学するようにと、親にも促されたと思う。

年間授業数の1/3を休んでも、進級は出来るという事はしらされていなかった。
不登校支援の活動をするようになって、その現実を知る事になったが、実は大阪教育大学付属高校では、自分の授業を、いつ、どれだけ受けるか、受けないかは、本人が決めてよい事となっていたらしい。

自分が学校の授業を受けつつ、自分が興味あることを学び、体験する事が勧められていた。
歌舞伎役者、俳優、スポーツ選手は、既にそういうやり方で学校と付き合っている。
また、学校側も、なぜか、融通をつけている。

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今さらだが、授業中にSNSでやり取りしていても、本人の生き方として選んでいるのなら、その選択を認めてよいと思う。
その選択方法や基準に疑問を思うのなら、それを課題にして、授業で話し合って、本人に決めてもらいたいものだ。

人生の選択の仕方を、凄く狭くさせられて、周りが自分の人生を決めてくるような社会に、「自立」は育たないと思う。

江戸時代から明治になって、文明開化と共に、西洋文化に目指せ、追いつけ、追い越せの1点集中一斉暴走的時代が続き、その流れで当然の如く、アメリカ文化を目標とした160年が、過ぎようとしている。

文部科学省は、公教育の見直しとして、フリースクールを公教育に取り込もうとして、徳島県でも進めているようである。
しかし、そんなに簡単にはいかないだろう。
何しろここまで来るのに、明治時代以降の号令一家教育が、160年間育んだ功罪をはっきりと認識することである。

本来の日本人として、個性的に生きるとはどういうことなのかを、先人に学びたいものである。

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さて、私は、そのように考えた時、江戸末期の思想や、教育のシステムから学び直すことも求められると考える。

どの教科を選び、何時間受け、いつ受けるのかも、また受け
直すことも、自分が選べばいい。
一旦やめて、また受け直してもいい。
6・3・3・4制なんて、崩しちゃえばいい。
自分が自分らしく生きる人生の在り方を、自分で決めることが先決である。
まずは、そこを、自分で考えて、決めてもらいたいのです。
男は黙って、サッポロビール [2025年08月02日(Sat)]
黙って見守り…微笑む。
「男は、黙って、サッポロ・ビール」というコマーシャルがありました。
当時は、男らしさの表現として、もてはやされました。
今なら、パワハラか、モラハラと若い子に指摘されそうです。

私の個人的見解ですが、この表現は、「男なら、細かいことは言わずに、行動で語れ!」という解釈ですが、男に限定しているところが、ハラスメントっぽいと言えます。
私は、ひきこもりの状態にある若者の親御さんの姿勢として提案したいのです。

グチグチ言わず、黙って見守り、まずまずできたのなら、大きな気持ちで「よかったね!」と一言で、今までの努力をまとめて労ってあげてほしいのです。

ここで「よくやった!」と、結果を褒めるのは、ご本人に次の結果を要求してしまい、本人への負担を作ってしまうので、そこの視点は要注意!なのです。

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この黙って見守ることが至難の業なのです。
「祈りつつ、待つ」の心境に尽きます。
極めて、宗教的な極意と言っても、まんざら的外れではないくらいなのです。
それほどに、不思議で、奇跡的な出来事を生みます。

黙って見守っている姿勢には、「問題を解決できるのは、本人だけだ」というご本人の存在を丸ごと信じて、ことの流れの全てを、ご本人に任せているからできるのです。

そこには、出来る、出来ないという結果を気にする葛藤が、気持ちの中で戦い、常に行き来しています。
それなのに、ご本人を信じようと、口も、手も出さない。
それでも見守り続けて、応援してくれると実感できた時に、ご本人に奇跡的な決断が、天から降りて来るようです。

本人の自主性に任せ、本人のやり方に驚いても、そこに気付いたことを認め、今後の成り行きを見守ります。
出来る、出来ないも、本人が決めるまで待ちましょう。

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お互いが楽しくなります
私達外野は「安全・安心の環境」を温めながら、ひたすら、祈りつつ、ただ待つという精神力、人を信じられない人を、最大限の可能性を信じて、待つことで、伝えるのです。

その「安心・安全の環境」が、本人の心を温めていることを見つけてください。
さすれば、目の前の塵を気にせず、未来が見え始め、さらに温めることに専念できると、面白くなってきます。
人が、ポロリ、ハラリと変わっている音が、変化が、響きが、伝わってくると、私たちはワクワクしてきます。

社会への、人への信頼を、その温かさで、自らが育ってくれる変化を、見つけて、耳を傾けると、お互いが楽しくなります。
お互いが楽しくなってきた変化は、成長と言えます。

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人は黙って、どう伝える
そこは、祈るように、待ち続け見守るエネルギーが積み重なり、少しずつ溢れ出るようになると、そのエネルギーはお互いにあふれ出ることに気付くはずなのです。
それが、外の世界への第一歩がやってきたのです。

これは、大きな第一歩になります。
この「よくやった!」は、結果や成果に対する評価や判断で、終わってしまうのです。
「よかったね!」に、評価はなく、気持ちの共感なのです。

自分で考え、自分でやることを決め、自分のやり方で、自分のペースで進め、自分の何かしらの達成感で、今を迎えている。
その経緯や、プロセスに対する、ご本人の絶え間ないエネルギーこそ、「よかったね!」と、ねぎらいの想いを、言葉とせずに、黙って伝えてほしいのです。

黙って、伝えることを、自分から作り出してみてください。何かを伝えたい人が身近にいるのでしたら。

人が黙って、何かを伝えた瞬間から、未来が始まります。
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