存在感を創る試み
[2025年05月31日(Sat)]
不安を感じ、自分に自信が持てずに、自分で自分を制限して、動けない、動く気持ちになれない若者が、ひきこもり状態に留まり、今の場所に、今の気持ちに居続けていると考えます。
今までの辛い経験が、トラウマになっているから。
自信が持てない経験ばかりで、自信が持てる経験がないから、そんなことを理由にして、「成功体験を積み上げることをしないと駄目だ」と、今まではそんな言葉で、周りから叱咤激励をされてきたのではないですか。
もっと、簡単で、自分でもやってみようと思える程度の挑戦はないのだろうか?
ひきこもりのこの場所から、少しでもこの世界を広げたいと望む人間は誰もがそう思うだろう。
しかし、周りからの提案は、自分で考えてもハードルが高すぎるとしか思えないのだ。
しかし、「どんなハードルも乗り越えなきゃだめだ!」と、自分を鞭打つことのできる人は、何年もひきこもり生活を続けてはいないだろう。

そんな面倒くさいことをするくらいなら、このままの生活の方が慣れている分ましだと、直ぐ結論付けてしまう。
そのために何とか勇気を振り絞ってもらいたいことがある。
それは、自分の存在感を周りにも、自分の中にも伝え、その認識を積み上げていくことなのだ。
簡単に言おう。どんな会でも、どんな場所でも、どんな仲間でも、そこに座って、黙って、居続けることを繰り返すのだ。
その間、「どう思われているのだろう?」「こんなこと続けても、意味はない」「変な人間だと思われている」等々と、次々と気になることが浮かんでくるが、周りの人間観察をしながら、そこに居続けることだけに挑戦するのだ。勿論自分のできるやり方でいいのである。
ただ、「こんにちは」「失礼します」の言葉は発しなければならなうが、それも嫌なら、黙ってぺこりと頭だけ下げればいい。

そんな参加を何回か続けているだけで、あなたはその集まり、仲間の中で、存在感をむくむくと育てていくことになる。
5月30日に、風月庵で、久しぶりに「徹夜麻雀」を行うことになった。
メンバーやスタッフ、家族やOBにも開催を知らせて、参加や、応援や、差し入れをお願いした。
始まりは、3人だったのが、一人二人と増えて、覗きに来た人を入れると、結果8人が、来てくださった。
「1時間ならいいが、5時間も、6時間も、釣ずけて麻雀をしたら、健康的にもよくない。」「なぜ、そんな馬鹿なことをするのか?」「麻雀は、よく知らないし、自分には、まだまだ無理だ」「そもそも、麻雀も知らない」「横で見ていても、わからないに違いない」「そんなことをやって、何の得があるの?」それぞれに、来ない理由を次々と自分の中で作り出すだろう。
しかし、要は、参加するだけで、自分のできる「そこにいる方法」で参加すればいいのだ。
途中、抜けて散歩に行ってきてもいい、交代でして他の人と違うゲームをしてもいい、ひたすらお菓子を食べていてもいい、何もしないで座っているだけでいい。
すると、そこにその時間、その人が、そこに居たという存在感が周りに残るし、自分の心の中にも残るのである。
自分は5時間、この場所に参加したという、自他ともに認める存在感がずしっと残る。
何もしなくても、何かできることをして、その場に毎回参加していたら、それだけで、その人の存在感は認められ、残り、育ち、その人がいて当たり前、その人がいないと寂しいということになってくる。

ただ、ただ参加することに大きな意味があるのだ。
参加するかしないかではなく、自分が楽に居られる参加方法(スタイル)を自分がやりながら作り、それを続けることで、その参加スタイルが当たり前になってきたら、大きな存在感をそのコミュニティに作ったといえるのである。
誘われたから、時間もあるし、覗きに行ってみようとやって来て、自分のスタイルで楽に参加し、帰っていった人がいます。
最初予定していた3人以外はみんなそういう人だったと思うのです。また、誘っても、今回は参加したくなかった人も何人かいます。
ただ、誘われて、断る理由がなかったら、参加してみて、その場で自分の居心地の良い参加方法を作り出す楽しみを味わったらいいのです。
「徹夜麻雀は、6時間ぶっ通しでゲームに参加しないと意味はない」と、そう考えているなら、大きな間違いで、そう考えていた人は参加者の中にはいない。
よければ、次回は、軽い気持ちで参加してみてください。
今までの辛い経験が、トラウマになっているから。
自信が持てない経験ばかりで、自信が持てる経験がないから、そんなことを理由にして、「成功体験を積み上げることをしないと駄目だ」と、今まではそんな言葉で、周りから叱咤激励をされてきたのではないですか。
もっと、簡単で、自分でもやってみようと思える程度の挑戦はないのだろうか?
ひきこもりのこの場所から、少しでもこの世界を広げたいと望む人間は誰もがそう思うだろう。
しかし、周りからの提案は、自分で考えてもハードルが高すぎるとしか思えないのだ。
しかし、「どんなハードルも乗り越えなきゃだめだ!」と、自分を鞭打つことのできる人は、何年もひきこもり生活を続けてはいないだろう。
そんな面倒くさいことをするくらいなら、このままの生活の方が慣れている分ましだと、直ぐ結論付けてしまう。
そのために何とか勇気を振り絞ってもらいたいことがある。
それは、自分の存在感を周りにも、自分の中にも伝え、その認識を積み上げていくことなのだ。
簡単に言おう。どんな会でも、どんな場所でも、どんな仲間でも、そこに座って、黙って、居続けることを繰り返すのだ。
その間、「どう思われているのだろう?」「こんなこと続けても、意味はない」「変な人間だと思われている」等々と、次々と気になることが浮かんでくるが、周りの人間観察をしながら、そこに居続けることだけに挑戦するのだ。勿論自分のできるやり方でいいのである。
ただ、「こんにちは」「失礼します」の言葉は発しなければならなうが、それも嫌なら、黙ってぺこりと頭だけ下げればいい。
そんな参加を何回か続けているだけで、あなたはその集まり、仲間の中で、存在感をむくむくと育てていくことになる。
5月30日に、風月庵で、久しぶりに「徹夜麻雀」を行うことになった。
メンバーやスタッフ、家族やOBにも開催を知らせて、参加や、応援や、差し入れをお願いした。
始まりは、3人だったのが、一人二人と増えて、覗きに来た人を入れると、結果8人が、来てくださった。
「1時間ならいいが、5時間も、6時間も、釣ずけて麻雀をしたら、健康的にもよくない。」「なぜ、そんな馬鹿なことをするのか?」「麻雀は、よく知らないし、自分には、まだまだ無理だ」「そもそも、麻雀も知らない」「横で見ていても、わからないに違いない」「そんなことをやって、何の得があるの?」それぞれに、来ない理由を次々と自分の中で作り出すだろう。
しかし、要は、参加するだけで、自分のできる「そこにいる方法」で参加すればいいのだ。
途中、抜けて散歩に行ってきてもいい、交代でして他の人と違うゲームをしてもいい、ひたすらお菓子を食べていてもいい、何もしないで座っているだけでいい。
すると、そこにその時間、その人が、そこに居たという存在感が周りに残るし、自分の心の中にも残るのである。
自分は5時間、この場所に参加したという、自他ともに認める存在感がずしっと残る。
何もしなくても、何かできることをして、その場に毎回参加していたら、それだけで、その人の存在感は認められ、残り、育ち、その人がいて当たり前、その人がいないと寂しいということになってくる。
ただ、ただ参加することに大きな意味があるのだ。
参加するかしないかではなく、自分が楽に居られる参加方法(スタイル)を自分がやりながら作り、それを続けることで、その参加スタイルが当たり前になってきたら、大きな存在感をそのコミュニティに作ったといえるのである。
誘われたから、時間もあるし、覗きに行ってみようとやって来て、自分のスタイルで楽に参加し、帰っていった人がいます。
最初予定していた3人以外はみんなそういう人だったと思うのです。また、誘っても、今回は参加したくなかった人も何人かいます。
ただ、誘われて、断る理由がなかったら、参加してみて、その場で自分の居心地の良い参加方法を作り出す楽しみを味わったらいいのです。
「徹夜麻雀は、6時間ぶっ通しでゲームに参加しないと意味はない」と、そう考えているなら、大きな間違いで、そう考えていた人は参加者の中にはいない。
よければ、次回は、軽い気持ちで参加してみてください。