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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


「頑張る」から「出来たわ」へ [2024年11月30日(Sat)]

何かに挑戦しようとすると、誰もが無理していますが、その自覚がないことがほとんどです。
ひきこもっていて、思い悩んだ結果「やるぞ!」と、やっとの思いで決心したのなら、なおさらです。

ここで、少し気持ちに余裕を持たせてあげてほしいのです。

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頑張ったら出来ること、無理すれば出来ることは、出来るこ
とではありません。
頑張ってしまうことであり、無理しないと出来ないことで、あります。

なんとか出来たが、疲れが残った、嫌な思いがしたというのは、疲れることだし、嫌なことだったと判断してください。
それを無理に、少し頑張ったら出来ますから頑張ってみますというのは、心の自傷行為で、これを続けると、自分を大きく傷つけていくことになります。

少しだけ無理してやってみようと、やってみたら、知らぬ間に出来ていたというのは、出来ることなのです。

本人に、何かをお願いする時、提案する時も、その点をご本人に確認しながら、進めていただくことを、お願いします。

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心の動線を替える
家族が変わると、本人が変わるといわれますが、考えが、右から左に替わることではありません。

いつもしていたことをしなくなる。
いつもしていなかったことを、している。

今まで、お母さんにお願いしていたことを、自分で黙ってするようになった。
今まで、お父さんに頼むことはなかったのに、頼まれるようになった。
これは、どちらも大きな変化と評価して、心が動き出していると判断します。

その結果について、親が想像していたこととは違い、到底同意できないとしても、動いたのです。

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お母さんが心配していたなら、これからは子供に心配して
もらいましょう。
父親があてにならないと思い込み、頭を下げてまでしてもらいたくはないと思っていたことを、頭を下げてでも、してもらいましょう。

心の動きをこれまでとは違った方向に動かしてみる試みは、家族の「やってみる」「変わる」の始まりといえます。

子供は、ひきこもっていたとしても、いつまでも子供のままではないのです。
どんなことも、やってみないと、出来るかどうかはわからないし、先月出来なかったことが、今月の今日は、たまたまできることもあるのですから。
会話を対話に変える「自動翻訳機」 [2024年11月16日(Sat)]
不登校・引きこもりの状態にある若者は、お父さんとは関わらず、話をしない若者がほとんどなのです。
何故、お父さんと話をしないのか? どうすれば、話ができるようになるにかの話は別な機会とします。

お父さんと話をしない状況が長引くと、お母さんとの話も、言葉そのもの、話しかけようとする行為さえも、拒否されたと感じて、お母さんにも話さなくなる場合がよくあります。

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「言葉にして、言ってもらわないとわからないわ。あなたの味方になりたいから、話しをする時間を作ってちょうだい。」と、お母さんからお願いします。
すると、子供からの返事は、無言の場合が多いのですが、時には返事がくる場合があります。

「今までも散々話してきたが、それがわからないのなら、これ以上、何回話しても同じことの繰り返しとしか思えません。」「話をしてほしいという前に、何かすることがあるのではないでしょうか?」との言葉に、私(母)まで拒否され、責められていると感じ、思考停止状態になってしまう様です。

お母さんは自分の気持ちを否定され、大きな壁を感じ、憤りや戸惑いを通り越して情けなくなり、寂しくなり、考えが巡っているのかいないのか分からぬ状態で、何をしても無駄なように思われ、ちょっとした絶望感に陥ってしまいます。

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十代の不登校経験中の子供は、言葉を見つけられずに、「うるさい!」「わからん!」と、怒りをぶつけてきますが、長年ひきこもって自分を見つめ、一人の生活を続けてくると、自分流の言葉や文脈を見つけてきます。

すると、具体的な気持ちや事柄や流れを、言葉で説明し、自分の気持ちを表現することが可能になってきます。
そうなんです。子供が「うるさい!」と言っているうちは、話し合う言葉がわからないと、訴えているのです。

子どもに、自分の言葉を見つけてもらうまで、ただひたすら待たないと仕方ありません。
しかも、自分の言葉で話し始めても、それが本人の中で響く言葉であっても、誰にも伝わる言葉、響く言葉を使えているとは限らないのです。

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この時代には、子どもの自分言葉を親の自分言葉に翻訳する作業がないと、話を冷静に聴くことはできません。
子供の言葉や内容をそのままの言葉で聞くのではなく、親の言葉に翻訳しながら理解することが必要なのです。
広く社会で通用する言葉で話せているわけではないのですから。

そこで、逆のことも言えます。
子供にわかるように伝えるには、親の言葉を子供の言葉に翻訳して話してあげる工夫が求まられているのです。

自分で翻訳することが難しいと感じる方は、自動翻訳機を利用されてはいかがでしょうか?
それは同じ体験をしながら、気持ちを大切にした対話を心がけてみることで、自動的に育ってきて、翻訳が作用することになると私は考えています。

同じ時間:ゲームをする、テレビを見る、ドライブをする、料理を作る、何かを教えてもらうなどを、一緒に過ごしながら、会話を対話にまで深めることで、ある日、翻訳が自動的に始まる時を迎え、対話が気楽に出来るようになっています。
「自分の人生を生きる」という母の叫び [2024年11月05日(Tue)]
先月と先々月と続いて、面談の中で、別々に二人のお母さんから、「私は、私の人生を生きたいと思うようになりました。私の人生を楽しんでいいのでしょうか?」と、訴える様に言葉にされました。

とても大切な発想に出会われたのだと感激して、「勿論です。それが大事です。」と、私も思わず口にしていました。

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ひきこもっている息子さんの為に、何かすることがまだまだあるだろうとおっしゃるのは、お父さんの理屈です。

ここで考えてもらいたいのは、お母さんが関わりを放棄して逃げたいと主張しているわけではありません。
逃げ出したい気持ちだが、逃げ出すことを望んでいるわけではないのです。
そこは百も承知なのです。

お父さんがいう、もっと何かをと言われても、その何かが具体的にわからないし、結果も未来も見えない閉塞感に、家庭で過ごすお母さんは、部屋の奥にいる息子さんの気持ちを想像して、「この重苦しい気持ちを何とかして」と訴えているのです。

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こんな重苦しい気持ちは、息子さんは勿論のこと、お母さんも、お父さんも持っていて、家族みんなで、重苦しい雰囲気を醸し出しているわけです。

誰かが、この重苦しい雰囲気や気持ちを投げ出す挑戦が必要なのではないでしょうか?
その一つが、お母さんの提案していた「私は私の人生を生きたい。私の人生を楽しんでいいでしょ!」なのです。

自分の為より、家族の為を優先して、自分を我慢させてきた、重苦しさを長い間背負ってきたお母さんに、そんな一言の小さな叫びを発せさせたのでしょう。

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健康な生活とは、心の気持ち配分が、自分:家族:社会(仕事)において、3:3:3であることではないでしょうか?
このバランスが崩れていたなら、長く続けることはストレスになり、苦痛でしかありません。
1/3の自分を大切にする時間や労力や気持ちを取り戻すことは、人が健康に過ごし、共に生き、支えることも余裕を持って進めるために、最低限必要な条件なのではないでしょうか。

お母さんたちは、それに気づかれたのです。
だから、お父さんも、他のご家族も、お母さんのその気持ちを認めてあげてほしいのです。
お互いが、自分を優先することを尊重しあえる心の余裕を持たれることが求められているのです。

ご本人と各家族がバランスよくかかわり、各々が無理をし過ぎないやり方の工夫が、家族の重い空気を、1段軽やかになることへとつながると思うからです。

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