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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


ゲームばかりでいいのでしょうか? [2021年10月30日(Sat)]

不登校からひきこもりになり、3年以上、主な状態が変わらないのなら、何か外からの刺激が必要だと思います。

何より、ご本人が気持ちを固め、決心することからです。
次に適度に頑張ってもらうことが肝心なのですが、長らく経験がありませんから、この適度さが分からない様です。

折角、動き始めても、ハードルが高すぎたなら、早すぎたなら、無理をしてしまったら、ご本人がやっぱり今の自分では出来ない、無理だったんだと思い込んだら、それこそ次の動きは望めなくなります。

頑張り過ぎないように、ご本人も、ご家族も様子を見ながら進めることが重要です。
無理して出来ることは出来るではなく、無理をしていることなのですから。

その動き出してからの無理していないかどうかを確かめながら進めると、次のステップで、今自分は無理をしているのかどうかの判断が出来ます。

この判断が曖昧なまま進めると、無理かどうかの判断が、ご本人もご家族も分かりませんから、どうしても臆病になり、慎重になりすぎ、不安を抱えてしまい、新しい挑戦が難しくなります。

無理してでもやってみたいことを無理せずに出来るようになることが、先ず外へ出る挑戦の大きな一歩になります。

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ゲームの好きな子は、ゲームに。
アニメの好きな子は、アニメに。
プラモの好きな子は、プラモに出かけることから始めるといいと思います。

少し頑張って出きることを回数こなしていき、何気なく出来るようになったら、次のステップに進みます。
その時に、ご本人とご家族で、どのくらい無理をしているのかを数字(あるいは色)で伝えておくのです。

少しの頑張りなのか、無理をしている頑張りなのかの境目を親に伝えることで、自分の中にも記憶が残ります。
次の挑戦の時に前の挑戦の時と比べて、どんな数値で、回数と共にどの様に変わっていったのかを話し合っておきますと、ご本人の楽になっていく変化が見えてきます。

ある親御さんから、自分の好きなゲームのことでは外出が出来るのですが、仕事につながるような外出は出来ないのです。このままでいいでしょうか?との質問を頂きました。

ご本人のチョット頑張れると無理をする境目がご家族間で分かっていますか? そこの共通理解がないままで、新しい挑戦に不安なまま挑まなければならないのなら、臆病になるのは当たり前です。

いろんなことに挑戦しながら、どんなことなら出きるのか、どんなところから無理をしなければならないのかを、お互いに理解するところがあれば、ご本人も安心して、挑戦も失敗も受け入れ、いろんなことに向かって動き出せるのではないでしょうか?
死に至る病 [2021年10月30日(Sat)]

以前にも「回避性愛着障害」と「愛着障害の克服」をご紹介しましたが、今回も愛着障害についての岡田尊司氏の著書「死に至る病」あなたを蝕む[愛着障害]の脅威(現代人はなぜ幸福になれないのか)をご紹介します。いずれも[光文社新書]です。

内容的には「愛着障害の克服」とそんなに変わらず、この時ほどの感激はありませんが、今回の「死に至る病」が、私には説得力がありました。

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現代社会の課題ともいえる「現代人の生き辛さ」から、愛着障害が時代の流れの中で顕在化してきてことが説明されています。
次に、生命維持と愛着の関連を、生理的・神経的・心理(発達)的・社会的な各視点から説明され、さらにこの病の深刻さと、時代としての大きな課題を提唱されています。

ここで見えてくる発達障害と愛着障害との関連をどう捉え直すのかという点も述べられています。

その個人の成長発達の課題と、家族生活の(子育て・老人介護を含む)コミュニケーションによる課題、見直すことが困難な社会が作り出した課題、其々の課題に向かい我々が出来ることを実践しなければなりません。

不登校・ひきこもりの問題も、同じその課題に含まれると捉えていいと、私は以前より、そう考えているからです。

その意味でも、共感できるところの多い岡田氏が呼びかける「愛着障害」と、「不登校・ひきこもり」への視点とは、大きな繋がりの中で捕らえ直していきたいと考え、20周年記念事業「不登校・ひきこもりに出会ったら」支援テキストに、ページを割いてご紹介させてもらっています。

「支援テキスト」は、11月発行予定で、希望者には無料でお送りする予定です。

「不登校・ひきこもり」の状態にある若者に対する支援についても、「愛着障害の回復」から学び実践することで、家族が、ご本人が動き出す大きな力を生むことになると確信しているのです。
無料相談サイト公開 [2021年10月30日(Sat)]

今年、20周年記念事業として、2つの事業を進めておりましたが、そのひとつ無料相談サイト「不登校・ひきこもり-はじめの無料相談所-徳島県限定」が整いまして、やっと10月20日に公開しました。

風月庵が活動し始めた頃には、不登校・ひきこもりについて相談をし、支援を受けられる所は、限られていました。

現在では、相談・医療・福祉・就労・教育で、公的・民間で支援が受けられる機関・団体・会社が増え、復学や社会参加の可能性は格段にあがっています。

また、それらのサービスを受けやすい社会へと変わって来ています。不登校・ひきこもりの状態で、5年、10年、20年と社会と関わる事を避けて生活してきますと、その変化にも気づく事ができません。

そんな情報と共に、身近な生活のヒントも一緒にお伝えし、ご本人やご家族が動き出すきっかけになって下さればと願い、「不登校・ひきこもり無料相談所」サイトを開設しました。

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このサイトには、ひきこもりの体験談と相談応答例がありますので、お気軽にお読みいただきたいと存じます。

ご相談への応答は、大まかな捉え方・家族の接し方・近くの支援先の紹介と相談ポイントの提案・ご本人への提案を、お返事させていただきます。

そのような内容でよろしければ、是非、相談欄(フォーマット)にすぐ書ける内容をご記入いただき、送信してください。
出来る限りは早くお返事いたしますが、場合によっては1週間程時間をいただくこともあると存じます。

相談内容の秘密は厳守します。
応答は、風月庵代表の私と、スタッフ男子1名、女子1名が行い、それ以外の者が目にすることはありません。

相談応答例でご紹介させていただいている内容は、実在の事例ではなく、過去の事例を元にいくつかの事例を交えて、創作したものです。
興味のある方は、Tokusou.halfmoon.jp で、検索いただくか、
「不登校 無料相談 徳島」「ひきこもり 無料相談 徳島」で、
検索いただくと、サイトを開くことができます。
自己発見のコマーシャル [2021年10月15日(Fri)]

テレビを見ていて、「このコマーシャル、このタレントさんに変わったのか?」と思い、「なるほど!」と来るときと、「そうかな?」と首をかしげるときもある。
奥さんには、それらに何の関心も持たない様である。

最近、車のコマーシャルが各社個性を競っているように見える。
各車種をアピールするものが大半だが、社名のイメージチェンジを図っているのかと思われるのが、日産と豊田だ。

日産は、矢沢永吉から木村拓哉に代わった。豊田は香川照之が、社長を取材する形で、話題性を提供している。
個性派の役者を使うことが多く、其々のタレントが持つイメージがその商品をアピールしている。

ご本人の生き方よりも単純に人気やカッコよさで表現しようとする日産は、世間に迎合してきている様でつまらない。
矢沢永吉がイメージキャラクターとして登場したときは、日産が何を大切にやっていきたいのか共感できたが、キムタクが現れたときは、「そうかな?」と首をかしげることとなった。

スズキ、ホンダ、ダイハツ、三菱も、今迄通りのタレント起用でアピールしているが、スバルとマツダは違っている。
スバルは音楽でメッセージの中心に持ってきて(ミーシャの映像が出るが、あれはいらない)やはり歌だと見える。

特にマツダは、言葉と映像から、さらに映像に磨きがかかってきたと思う。
あの「be a driver 」に執着して、映像に訴えかけてきた流れは注目に値する。

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そして今回の「CX-8」の映像表現にはゾクッとさせられた。
感性の高い写真の様な動画が流れていく。画面が次々と変わり、生活の質の高級感がにじみ出ている。

 以前も、車体のフォルムと色と光沢だけで、車の性能に込めるマツダの意気込みを伝えてきたときも驚いた。
マツダのコマーシャルから、目を離せない。

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もうひとつ、ロングランの何気ないコマーシャルだが、気になっているのがダイハツのキャンパスだ。
これもタレントを起用していないが、藤原さくら歌う大瀧永一の歌詞「思い出はモノクローム、色をつけてくれ」が耳に残ってくる。
最近、街でキャンパスをよく見かけると、あのコマーシャルの影響の大きさと想像してしまうのである。

これらの癖は、私がカメラマンを目指していた頃の後遺症かもしれないが、社会を生きる小さな楽しみ方の一つでもある。

「このコマーシャルの何が自分をひきつけるのか?」
そんなことを、つらつらと思い巡らすのも、楽しいものである。
お父さん、こわい! [2021年10月15日(Fri)]

家族間で、息子とお母さんは話をしているが、父親とは殆ど話をしていないというご家庭が多いようです。

用事があれば話すが、それ以外に何の話しがあるの?というお父さんの意見も出てきます。
そのお父さんが、息子が何を考えているのか分からないと、困惑した気持ちも出てきます。

子どもがどんなことを考え、どんな気持ちでいるのかを知りたいというお父さんの気持ちも、やはりあるのです。

では、お母さんはどうかというと、当たり障りのない話しは出来ているかもしれないけど、肝心な話はお父さんにしてもらいたいと、よく聞きます。

お父さんに話すことを避けている息子さんに、「どうして、お父さんに言わないの?直接言った方が効果的なのよ」と、あるお母さんが聞いてみましたら、言葉が出てきません。
「もしかして、お父さんが怖いの?」と、まさかと思いつつ聞いてみましたら、返事が返ってこず、無言のままでした。

そこで始めてお母さんは、この子はお父さんが怖いのだということを知ったのでした。

お母さんには気軽に言えるようなことも、お父さんにはためらってしまう何かがあるのです。
お母さんにしたら、「あのお父さんのどこが怖いの?」としか思えない様ですが。

なぜ、怖いのでしょうか?

そこを、お父さんも、息子さんも越えなければ、気軽に話し合うことは、いつまでもやってこないでしょう。

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では、お父さんのお父さん、おじいさんのことを今もお父さんは怖がっていますか?
死んだおじいさんを今も怖がっているお父さんなら、息子さんから怖がられるお父さんでいても不思議ではありません。

だって、おじいさんからお父さんが、父として子どもにどう接したらよいかの本音を学んでいない、教えてもらっていないということですから。

お父さんとしての生き方を、お父さん世代も、お爺ちゃん世代も知らなかったということですか。

ではどうしたらよいのでしょうか?

目の前の子どもに聞きながら、新しい親子関係を二人で創るところから始めるしかないと思うのです。

先ずは、二人で居ることに慣れる時間を増やすところから始めてみませんか。
相談できる家族 [2021年10月05日(Tue)]

「ほうれんそう:報連相」→報告・連絡・相談を、大切に!
いろんな場で、この言葉を聞くことがあります。

場面により解釈は違うのかもしれませんが、私達の場合は、「報告」とは、自分の気持ち・考えが言える
「連絡」とは、相手の理解度を図り、相手の言いたいことをそのまま受け入れる(求めていることを確認する)
「相談」とは、コミュニケーションから第3の答えが出る
ことではないかと、考えています。

多くの家族の会話では、親が言いたい事を言うだけで、子どもは聞く気もなく、無視か拒否を演じているかに見えます。
まずは、言いたいことが言える雰囲気を保障することが、「報告」を気軽に生み出せるということなのでしょう。

お互いに言いたいことだけを言って、自分の価値基準で切り取り、「何を考えているのか分からない」と、自分の価値基準から外れたものは、切り捨ててしまいます。

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相手の考えや気持ちをその場で受け止めずに、言い放しですが、後から相手の気持ちや考えを察して、気遣っている親子(人間)関係は多いものです。
この時点では、相手が本当はどう思っているかが、お互いに分からない、「連絡」確認が済んでいない状態と思われます。

私は、この段階では会話は出来ていないと考えています。
自分の話した内容を相手がどのくらい理解できているかをその場で図りながら話すことが求められると思うのです。

人は其々に、自分の価値基準で判断し、そこから外れたことはその場で切り捨てていると先程も伝えました。
この捨てていたことを、自分の心の隅においておくことが出きると、その後にそれに似た体験をすることになります。

その体験時に、やっと自分で納得できる(腑に落ちる)ことになります。
あの時には理解が及ばなかったが、「もしかすると、こういうことだったか」と、相手を受け入れられる気持ちになります。

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それが出来てくると、相手の話をそのまま聴くことができるようになれる様です。

自分の言っていることは、相手には何割しか伝わらないという前提で話をしていると、何割くらいが伝わったのかがわかるようになってきます。
ですから、相手に何割伝わっているかは、伝える側の責任だとかんがえていると、何となく分かってきます。

これを、相手のことは分かるはずがないと決め付けて話をしていると、その何割かはいつまでも見えてきません。

その様な配慮が届いた関係で、話しながら聞き、聞きながら話している内に、相手の考えでもなく、自分の考えとも違う、第3の答えが出てくるようになってきます。
ここに至ることで「相談」できていると、私は思うのです。

自分の言いたいことが相手に何割伝わり、相手の言いたいことが自分にも何割受け入れられ、双方の考えや気持ちの違いをすりあわせしながらやり取りしている内に、双方の気持ちで、スッキリ出きる答えが生まれてきた時に、それを第3の答えと言えるのです。

相談のできる家族になることが、私達家族会が求めるゴールなのではないかと、考えるようになりました。
いのちを見守る [2021年10月05日(Tue)]

雲の形に誘われて、出かけることになった

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風のやつが、少し冷たく

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「こっちへおいでよ」と、つぶやいた

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誰もいないじゃないか!

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何にもないじゃないか!

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いのちのささやきだったのか?

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営みは、美しくつづき

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やがて、土へとたどりつく

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 空は静かに見守ってくれている
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