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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


人生初の草抜き・1 [2020年06月21日(Sun)]

4月20日母が急に右膝の痛みを訴え、歩きにくいのはみてとれました。医者に安静といわれてもいつもの様に生活し、遂に痛みで歩けなくなり4月30日の入院となりました。

家内をいつも通り歩き回っていたのが治癒を妨げていたので、入院といっても基本治療は安静ですから、状態は日増しに改善し5月22日には退院しました。

退院後は、翌々日24日の父の命日を前に美容院に行くと言い出し待っていた帰宅生活を満喫している様でしたが、3日後に庭の雑草が気になり草抜きをすると言い出しました。

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早速弟は出かけ、草抜きをしているとのことで、様子を見に行くと、母も一緒に膝をまげて草抜きをしているのです。
何の為に3週間入院したのでしょう?
さすがに、その翌日には痛みがぶり返したと、受診する始末です。それで膝に注射をするしかないといわれると、貼るシップ薬をもらって帰宅しました。

私が高校2年の頃でしょうか?それまでは正月以外は顔を見ることのなかった父が、日曜日を仕事の定休と定め、毎週日曜日に庭の手入れとをするようになったのでした。
妹と弟は、毎回草抜きなどの庭の手入れを父と一緒に手伝っていたのを知っています。私は大学受験を言い訳に、自室で一人の時間を過ごしていました。

CIMG0975.JPG

外から家族の話し声が届いてくるのです。休憩で茶菓を囲む家族の様子は楽しそうでした。
一番風呂に父が入り、夕食の支度が整い私が呼ばれます。気の重い私が入っていくと、私の知らない明るい雰囲気が
食卓に拡がり、父の入った家族感に馴染めない私は、疎外感を感じて、暗い気持ちのまま席について居ました。

私はずっとその疎外感の中で生きてきたように思われます。私が抱き続けた疎外感と似た気持ちを、ひきこもっている若者もずっと感じている様に、私には思えます。

父との違和感は何だったのか?
母への拒否感は何だったのか?
私はずっとこの課題に向き合ってきたようです。

家族に独りぼっちにされ続けられてきた違和感・拒否感こそが、69歳の今日まで草抜きをできなかった私のこだわりで、今回を機会に人生初の草抜きを始めてみたのでした。

わからないが、分からなかった親 [2020年06月21日(Sun)]

先日の面談で、当時の私は子どもの言う「わからない」が、分からなかったのですと、お母さん。

不登校・ひきこもりに何故なったのか?
今後は、どうしたいのか?
親は何とかしてやりたいとの思いで、懸命に問いかけてくる。子どもにすれば、責められ、叱られているようにしか映らない。

「わからないものは分からない」と何度か答えるが、「ちゃんと説明して!」と責め、「ちゃんと言葉で説明して!」と繰り返えされる。
子どもには答えがわかっていて、何か知っている筈と思い込んでおり「ちゃんと説明して!」と母は連発したという。

そんな出来ない要求を何度も迫られている内に、「親は話を聞いてくれない」と子どもは悟り、親に話をしなくなる。
話しても、親の納得出きる答えしか聴いてくれないと解り、それなら意味がないとしない決心することに至る。

元々争いごとも嫌いだし・・・
だから、避ける。
だから、顔を合わせない。
だから、話さないで澄む行動しかしなくなっていく。

男の子って無口で、思春期からは特に母親とは口もきかなくなりますから?(父親とは、それ以前から話さない子どもが大半であるが)
だが、無口な若者は風月庵には居なかった。皆徐々にお喋りになり、雄弁で文句を言うようになり、僕を叱る迄になる。
そこで、家族間での会話の為に、新たな試みを提案したい。

「わからない」というのが正直なことだし、あの頃は言葉にできなかった。それどころではなかったという気持ちもあったし、そんな余裕がなかったと、ある若者から聞いた。

親子間で再び会話が始まるには、どんな些細なことでも、
「今はわからない、言葉に出来ない。」こともあると認める。
 そこから、始めてみませんか。

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