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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


藍農家での閑散 [2020年02月28日(Fri)]

まず、藍の葉を刈り入れて醗酵させるのに高い職人技が求められる水師が取り仕切る。藍を育てるために温度・湿度を寝ずの仕事で見守るという。
「藍」という生き物を育てさせてもらっているのだから、節目には神に祈りを捧げ、酒蔵の朴氏のようなものだ。

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門屋から入ると、館の前に広い庭があり、葉の選別作業が行われていたことが想像出きる

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年中下働きの者が常駐していたのだろう。2階建ての屋敷は、当時の騒がしさは遠く、ひっそりとたたずんでいる。

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技は今も継がれ、この瓶に生きているのだろう。

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藍の香りと共に、ゆったりと時間が過ぎていった。

Posted by 林 at 12:48 | 作品 | この記事のURL | コメント(0)
普通/平凡がガラガラと崩れた(こころの会より) [2020年02月26日(Wed)]

2月の「こころの会」はいつもの徳島北教会でした。
まずは、ニックネームを果物にしてもいました。
桃・リンゴ・レモン・葡萄・橙・キィウイ・スイカ・ピノ・分担・イチゴみかんと、
名前紹介と共に、話したいこと、聞いてみたいことを、一言ずつ言葉にしてもらいました。

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睡眠/体重増/結婚ロス/欝から座禅/怪我から筋トレ/クラスで声掛けを続けたら皆が周りに集まってきた/テレビ観ない生活/心が壊れていく様/甘える・頼る/自分を見直したい/つながってあげる/自分は何者か=自分を縛っていたもの→元の自分発見/つながりの変遷→日々形成されている→死/一人・関わりを感じさせられる→関わりの楽しさ発見/居ることが許されている実感→好ましい場所を求める/普通・平凡がガラガラと崩れた/人は一生の内に何度も生まれ変わる。

そんな内容で、話は展開していきます。
今回は「自分は何者か?」→「自分の再発見と生まれ変わる」について色んな意見や考えを聴くことが出来ました。
いつも実感することですが、よく聴いていると、みんな違う体験と意見と気持ちを持っていることが伝わってきます。

 参加者からの感想です。
聞く側に徹したので、いい訓練になった/心の整理は難しい→気持ちを租借したい/自分でもわからないを認める/初発見がいつもある/今まで言う機会がなかった・よく喋った/許されてるんちゃうかな/時が経って話ができた・聞けた/お疲れ様/云える=癒える/知られたら嫌われる→自分が癒える実感/この2時間の体験・すごく共感/ヒント・ON〜OFFはある。

11名と少し多い目、初めての方、久しぶりの方、いつもの方、その中から「10年してから話すことが出来ました。」の一人の言葉に、25年前の辛い体験を初めて話してくださった方が居ました。
その場の誰もが、話してくださった方に感謝と「今までご苦労様でした」と、静まり返った一瞬を共有できました。
Posted by 林 at 18:01 | 活動 | この記事のURL | コメント(0)
年齢は?・・・わからん? [2020年02月12日(Wed)]

ある日、突然に不幸はやってくる。
正に今回の体験はそういって過言ではない。

私が、気づいたのは2月10日(月)朝の時点だ。何となく気づいてはいたはずなのだが、確信が持てないまま、横の妻に「おはよう」と声をかけた。

妻は「おはよう」と返し、「あなた、年はいくつ?」と優しく問いかけた。
私は何気なく、「68歳です」と明るく答えた。
すると妻は「よかった!ほんまに、よかった!」と、涙をうるませていて、私のほうが驚いた。

その後、ポツリポツリと妻から聞いた話が次の内容だ。
前日(日)の18時頃に帰宅した妻は、朝からの講座内容をいつもの様にテンポよく話し、私もうなずいて聴いていたらしい。

 そして、何気なく「背中の薬、張り替えようか?」と声掛けをすると「背中って何?!」というので、鳴門病院での治療のこと、今朝行っていただろう教会でのことを聞いてみると、答えは「わからん?!わからん?」と、頼りない声で繰り返すばかりであった。

 そこで、教会の仲間であり医師でもあるYさんに電話をし、ことの経緯と様子を説明して判断を求めた。
 すると、Yさんからは、直ぐ救急指定総合病院である中央病院に連れて行くことが賢明と促された。

 すぐさま、うつろな私を連れて、車で病院へと急ぐ。
その車中では、私が妻に「何処、行ってるん?」妻が私に「中央病院よ」それを聞いて私は沈黙。
 すぐさま、再び私が「何処、行ってるん?」妻が私に「中央病院よ」それを聞いて私は沈黙。
 到着までの15分ほどがなんと長く感じたことだろう。

 あたりはすっかり暗闇の中、妻は私の手を引いて、緊急外来の裏口に駆け込んだ。
受診票を書くように云われ、手渡すと、私は名前だけを書いて、じっと受診票を見つめたままだった。病態や病歴は勿論のこと、年齢も書けないでいたらしい。
 そこから診察が始まり、脳梗塞か認知症か脳腫瘍かの疑いを医師と話しながら、妻はうろたえるばかりであったという。 
 MRIでの画像待たなければ何も判断できないとの事で、MRI室に入る。
待っていた妻は、不安なこれからの人生を想像し、神に祈るしか出来なかったという。
画像がきれいということで、まずそれらの心配は無いと医師に告げられ、脳波検査と様子見に、翌朝、再受診することで、22時頃に帰路についてらしい。

 途中のコンビニで、おにぎりとうどんを買って帰り、家で温めて食べたが、妻は食欲も無く1個のおにぎりも残したのだが、当の私は、おにぎりもうどんも、ペロリと平らげたという。

 それでも、会話や妻の雰囲気から、私自身も不安を実感していたのだろう。いつもなら直ぐ寝入る私が、この夜はなかなかいびきが聞こえてこなかったらしい。

 未だに私は、日曜の、妻が帰宅して寝入るまでの記憶は全く無いし、朝の教会でのことや、その行き帰りも記憶がおぼろげで、映像では全く思い出せない。

診断名は「一過性健忘症」。数時間の記憶がすっぽりと抜け落ちるだけで、日増しに回復し、原因は不明とのことでした。

 もしかすると、一過性でなかったら、あのまま記憶のない状態で、私は余生を妻に委ね、風月庵も教会もわからないまま、残りの人生を生き、時が来て、死んだのだろうか?

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 月曜の朝、「会話が出きる。ちゃんと話しが出きる。」と何度も独り言のように妻はつぶやきながら、今朝は、中央病院の表玄関から、たわいもない話をしながら、診察へと二人で歩いていったのだった。
グループ学習「非言語コミュニケーション」 [2020年02月12日(Wed)]

風月庵のグループ学習で必ずする課題に「非言語コミュニケーション」
と「発達心理学」がある。

今回は私が「一過性健忘症」になり、2月9日の記憶がほとんどなくなった話から始まった。
その内容は次のブログで紹介しますが、生命体として存在していることと、心で自分の存在を確認できていることは、全く別に考えた方がよいという経験をした。

心の中も、言葉で表現出きる言語世界感と言葉では表現できない非言語世界感が別々にあることを体感したのだ。

このタイミングで、少し難しいと思ったが「非言語コミュニケーション」について、表現クラスで学び合おうと直感した。

コミュニケーションは、2割の「言語」と8割の「非言語」により成立していて、言葉で伝わる割合はかなり少ないと学んだ。

「言語」は、言葉や文字による会話や文章のやり取りにより意思疎通が出きる割合ということだが、それは2割しかない、大半の8割のコミュニケーションは「非言語」でやり取りし、しかも、そのやり取りに人は無頓着で意識をしていないのが常だ。

「非言語」とは、表情(顔・声・体・空気・場・気持ち・感情)を
いい、その「非言語」を読むことで正にコミュニケーションが理解出き楽になってくる。これを「非言語リーディング」という。
 これが難しい人のことを、俗に[KY]というのだろう。

その観点から「挨拶」は、どうしてするのだろう?
その意味は、言語「おはよう」で伝え合っているが、言葉に乗っかっている非言語「表情」で、人はコミュニケーションを判断して気持ち・感情のやり取りをしている。
言語:「朝だ」→非言語:「眠い?しんどい?元気ない?」と
気持ちの表情を表現しやり取りする。

若い時に父から聞かされた「人は感情の動物だからね」の意味がずっと分らなかった。
最近コミュニケーションが少しずつ楽になり解ってきた気がする。

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Posted by 林 at 16:02 | 活動 | この記事のURL | コメント(0)
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