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<title>風をあつめて</title>
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<description>不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ！</description>
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<title>春の涙は、風に散れ</title>
<description>すでに新学期が始まり4月も下旬が来てしまいました。私の周りはまだ引っ越しの残骸があちこちです。そんな落ち着かない精神状態に、さらにさらに追い打ちをかけるような出来事が次々と起こりました。　それでなくても、誕生日の前後2週間はいつもの鬱状態に悩まされて、食欲なし、やる気なし、倦怠感満載、自分の愚かさに打ちひしがれ、何もしたくない季節なのです。　あれは3年程前のこの時期に、あちこちへと出かけて、奥さんと仲良く花見を楽しんでいる写真も見つけました。　そうすると、毎年決まって鬱状態を..</description>
<dc:subject>活動</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2026-04-29T18:26:03+09:00</dc:date>
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すでに新学期が始まり4月も下旬が来てしまいました。<br />私の周りはまだ引っ越しの残骸があちこちです。<br />そんな落ち着かない精神状態に、さらにさらに追い打ち<br />をかけるような出来事が次々と起こりました。<br /><br />　それでなくても、誕生日の前後2週間はいつもの鬱状態<br />に悩まされて、食欲なし、やる気なし、倦怠感満載、自分<br />の愚かさに打ちひしがれ、何もしたくない季節なのです。<br /><br />　あれは3年程前のこの時期に、あちこちへと出かけて、<br />奥さんと仲良く花見を楽しんでいる写真も見つけました。<br />　そうすると、毎年決まって鬱状態を引き起こしている訳<br />ではないのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/C3A3C282C286C3A3C281C286C3A3C281C28BC3A3C281C2AEC3A9C287C28CC3A3C280C280C3A6C2A1C29C.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/C3A3C282C286C3A3C281C286C3A3C281C28BC3A3C281C2AEC3A9C287C28CC3A3C280C280C3A6C2A1C29C-thumbnail2.jpg" width="240" height="320" border="0" align="" alt="ゆうかの里　桜.jpg" /></a><br /><br />　それなのに、この春はすでにもう季節は移り、我が家の<br />桜は葉桜となりっております。<br />　ウッドデッキで寝そべりながら、春の強い陽射しと、<br />清々しい風を感じながら、好きな日本酒で、心地よい酔い<br />を味わいたかったのですが、今年は叶いませんでした。<br /><br />　私のクリスチャンとしての信条(心情)で、今回の苦しみ<br />に端を発する言葉は、「人は人を裁けない」です。<br /><br />　「何故、働かない！働かない者は、どうやって食べるの<br />か？」と、親は子供に言い、子どもは親の言うこの言葉を<br />信じて、働けない自分は駄目な人間だと、思い込もうとし<br />ている姿を見ると愕然としてしまいます。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/C3A8C297C28DC3A4C2BDC28FC3A3C280C280C3A5C2B7C2A8C3A6C29CC2A8.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/C3A8C297C28DC3A4C2BDC28FC3A3C280C280C3A5C2B7C2A8C3A6C29CC2A8-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="藍住　巨木.jpg" /></a><br /><br />神は、人の存在そのものを尊重し、この世に生を授けた<br />と、私は思うのです。<br />　誰でも、他者を裁く（人の価値を決めてしまう）ことは、出来るはずもありません。<br />ただ、その価値に、我々が、親が、本人が気づいていないだけだと、私は自分に言い聞かせて、裁くことはできないと自分の中の葛藤が続きます。<br /><br />　自分の生きる価値、生きる楽しみ、生きる苦しみ、そんな生の体験から、すべての人間が個性的に磨かれている筈なのですから。<br /><br />そこに、人の言葉では表現できない豊かな恵みが私達には降り注いでいます。<br />その恵みを、お互いに見つけるために、私達の活動が、あるのです。　　　　　　　　<br /><a name="more"></a>

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<title>春の涙は、風に散れ</title>
<description>すでに新学期が始まり4月も下旬が来てしまいました。私の周りはまだ引っ越しの残骸があちこちです。そんな落ち着かない精神状態に、さらにさらに追い打ちをかけるような出来事が次々と起こりました。　それでなくても、誕生日の前後2週間はいつもの鬱状態に悩まされて、食欲なし、やる気なし、倦怠感満載、自分の愚かさに打ちひしがれ、何もしたくない季節なのです。　あれは3年程前のこの時期に、あちこちへと出かけて、奥さんと仲良く花見を楽しんでいる写真も見つけました。　そうすると、毎年決まって鬱状態を..</description>
<dc:subject>活動</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2026-04-29T11:38:00+09:00</dc:date>
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すでに新学期が始まり4月も下旬が来てしまいました。<br />私の周りはまだ引っ越しの残骸があちこちです。<br />そんな落ち着かない精神状態に、さらにさらに追い打ち<br />をかけるような出来事が次々と起こりました。<br /><br />　それでなくても、誕生日の前後2週間はいつもの鬱状態<br />に悩まされて、食欲なし、やる気なし、倦怠感満載、自分<br />の愚かさに打ちひしがれ、何もしたくない季節なのです。<br /><br />　あれは3年程前のこの時期に、あちこちへと出かけて、<br />奥さんと仲良く花見を楽しんでいる写真も見つけました。<br />　そうすると、毎年決まって鬱状態を引き起こしている訳<br />ではないのです。<br /><br /><br /><br />　それなのに、この春はすでにもう季節は移り、我が家の<br />桜は葉桜となりっております。<br />　ウッドデッキで寝そべりながら、春の強い陽射しと、<br />清々しい風を感じながら、好きな日本酒で、心地よい酔い<br />を味わいたかったのですが、今年は叶いませんでした。<br /><br />　私のクリスチャンとしての信条(心情)で、今回の苦しみ<br />に端を発する言葉は、「人は人を裁けない」です。<br /><br />　「何故、働かない！働かない者は、どうやって食べるの<br />か？」と、親は子供に言い、子どもは親の言うこの言葉を<br />信じて、働けない自分は駄目な人間だと、思い込もうとし<br />ている姿を見ると愕然としてしまいます。<br /><br />（写真;アクエリアス）<br /><br />神は、人の存在そのものを尊重し、この世に生を授けた<br />と、私は思うのです。<br />　誰でも、他者を裁く（人の価値を決めてしまう）ことは、出来るはずもありません。<br />ただ、その価値に、我々が、親が、本人が気づいていないだけだと、私は自分に言い聞かせて、裁くことはできないと自分の中の葛藤が続きます。<br /><br />　自分の生きる価値、生きる楽しみ、生きる苦しみ、そんな生の体験から、すべての人間が個性的に磨かれている筈なのですから。<br /><br />そこに、人の言葉では表現できない豊かな恵みが私達には降り注いでいます。<br />その恵みを、お互いに見つけるために、私達の活動が、あるのです。　　　　　　<br /><a name="more"></a>

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<title>ダラダラと、精神的に余裕を味わう</title>
<description>2月はブログを1回も配信することができませんでした。個人的には、実家へと引っ越しまして、多忙だったとはいえるのですが、全く出せない月は、昨今はなかったので残念です。自分でも、情けないと思うのですが、それも含めて、風月庵の活動なのかと、見守ってやってください。徳島市の西端に居住していた県営住宅から、北東端の風月庵と同じ敷地内へと、2月23日に引越してきました。15年ぶりに、実家に帰ってきたことになります。母がなくなり、その後の諸々のやり繰りに3年を要して、今回の引っ越しでした。..</description>
<dc:subject>活動</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2026-03-10T13:37:45+09:00</dc:date>
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2月はブログを1回も配信することができませんでした。<br />個人的には、実家へと引っ越しまして、多忙だったとはいえる<br />のですが、全く出せない月は、昨今はなかったので残念です。<br />自分でも、情けないと思うのですが、それも含めて、風月庵の<br />活動なのかと、見守ってやってください。<br /><br />徳島市の西端に居住していた県営住宅から、北東端の風月庵<br />と同じ敷地内へと、2月23日に引越してきました。<br />15年ぶりに、実家に帰ってきたことになります。<br />母がなくなり、その後の諸々のやり繰りに3年を要して、今回<br />の引っ越しでした。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0942.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0942-thumbnail2.JPG" width="320" height="212" border="0" align="" alt="CIMG0942.JPG" /></a><br /><br />私にとっては苦痛でしかなかった実家でしたが、風月庵を始め<br />てからの10年で、両親と私との3人暮らしの中から、親子関係<br />が安らいだものとなっていました。<br />その流れで、自分の存在感が安定し始めた頃に、今の奥さんと<br />出会い、結婚して、親とは別居状態を保ってきました。<br /><br />今回、引っ越しの準備から、ひっこして、その後の片づけの手<br />順など、奥さんの方は、事前から準備も万全で、手筈通りに着々<br />と片づけをこなし、普通の生活に入りつつあります。<br />私はとりあえずのことだけで、必要に応じて、片付けを進めて<br />いくということに、挑戦しております。<br /><br />この挑戦というところは、先先とは考えずに、必要に応じて、<br />思いついたことから着手していくという方式を、最近は心がけ<br />ているということです。<br />これをやろうとしてやって行くと、やっている内に、別のこと<br />を思いつきます。<br />「これをしよう」と思いついたことをやり始めている途中から、<br />その前からしていたことをし忘れが出てきます。<br />それも含めて、思いついたときにやり始めて間に合うものだと、<br />今は思えるようになったのです。<br />やりたいことだけやっていても、何とかなるのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1591.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1591-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG1591.JPG" /></a><br /><br />このダラダラしても、「大概、何とかなる」という体験を重ね<br />ると、何とかならないようなことが起きても、何とかなると、<br />自分で思えるようになり、そうなると、それでなんとかなった<br />ということに落ち着けるのです。<br /><br />「そんなグダグダで物事うまくいく筈がない」という意見も、<br />飛んできそうですが、何事に関しても完璧を目指して、ミスを<br />許さなかった以前の生き方に比べると、どれだけのストレスが<br />減っていることでしょうか。<br /><br />グダグダと生きていても、心の奥で「本当はもう少しちゃんと<br />やるべきだ！」と、繰り返し自分を責めている内は、半人前と<br />言えるのです。<br />怠けていることができるようになった自分を怠けていられる<br />分だけ自分を褒めてあげて下さい。<br />それができてこそ、グダグダ生きることを楽しみ、味わえる様<br />になってきたと言えるのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1700-b8911.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1700-b8911-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG1700.JPG" /></a><br /><br />風月庵のメンバーに、かぜさんのようにグダグダで生きてても、<br />世の中何とかやっていけるのなら、自分もそうやっていこうと<br />真似てくれている青年が出てきました。<br />あるお母さんには、仕事モードから家族モードに脱皮する為に、<br />グダグダ生活に徹してみましょうとお勧めしています。<br /><br />しかし、このグダグダ生活は本当に難しいのですが、ひきこも<br />り経験者は、これの達人と言えます。<br />これをやり切っている方々なので、学ばなければいけません。<br />ただ、やり切れていない方は、まだまだひきこもり生活が続く<br />ことになっているようです。<br /><a name="more"></a>

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<title>人形浄瑠璃から見える「息を合わせる」こと</title>
<description>阿波十郎兵衛屋敷は、徳島県が運営する観光施設であります。屋敷では、人形浄瑠璃に関する多種多様な資料や、様々な人形と頭が3部屋に分かれて展示されています。特に、農村舞台や、正月の箱回し(各家庭を上演して厄払いをする行事)の映像が上映されていることは大いに楽しめる。　ある時期から、定期的に人形浄瑠璃が実際に上演されるようになり、市民の上演団体、高校や中学の園芸部が、上演場で、人形浄瑠璃を実際に観られるようになっています。今回は、10日･11日と「えびす祭り」というｲﾍﾞﾝﾄでもあ..</description>
<dc:subject>本人</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2026-01-31T10:34:40+09:00</dc:date>
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阿波十郎兵衛屋敷は、徳島県が運営する観光施設であります。<br />屋敷では、人形浄瑠璃に関する多種多様な資料や、様々な人形<br />と頭が3部屋に分かれて展示されています。<br />特に、農村舞台や、正月の箱回し(各家庭を上演して厄払いを<br />する行事)の映像が上映されていることは大いに楽しめる。<br /><br />　ある時期から、定期的に人形浄瑠璃が実際に上演されるよう<br />になり、市民の上演団体、高校や中学の園芸部が、上演場で、<br />人形浄瑠璃を実際に観られるようになっています。<br /><br />今回は、10日･11日と「えびす祭り」というｲﾍﾞﾝﾄでもあり、各2団体が、午前･午後の4公演が上演され、其々の演目を演じておられるのでした。<br /><br />私達は、最後の１１日の午後のプログラムにお邪魔しました。<br />屋敷内の展示場を一周して、上演場に入ると、風月庵メンバーの二人は、既に別々に座っていました。<br />90人ほどの見学者と20～30人の上演者とが、会場狭しと、集まっておられました。<br /><br />館長から人形遣いの説明がありました。<br />人形は、左腕と頭、右腕と胴体、そして足の3人が、各々の役割で、人形は生きている温かさを発して動き始め、表情もどんどんと変わっていく様子に、観客は魅了されていくのでした。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/C3A4C2B8C289C3A7C295C2AAC3A5C28FC29F2C3A4C2BAC2BA.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/C3A4C2B8C289C3A7C295C2AAC3A5C28FC29F2C3A4C2BAC2BA-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="三番叟2人.jpg" /></a><br /><br />14時からは、「寿二人三番叟」を(とくしま座)の6人が、演じられました。<br />リズミカルな鈴の音と、コミカルな体と足の動き、トトトトン、トトトトンの足音が、テンポよく会場の雰囲気を徐々に盛り上げていき、観る者の気持ちを上げていき、会場全体に広がっていきました。<br /><br />同じ川内町内の中学校では民芸部があり、娘がその文芸部でこの三番叟の足を演じていました。<br />時に、足を大きく激しく動かしながら、同時に、床を踏みしめるトトトトン、トトトトンの音を、自分の足で打ち続ける必要があるのです。<br /><br />激しい動きで舞台の右へ左へと動きながら、足を上げたり広げたりの動きを演じ、同時にトトトトン、トトトトンを自分の足で会場に響き渡るように叩き続けることは、至難の技だけでなく、どれほど疲れる動作なのかを、娘から強く説明を受けたことを思い出しました。<br /><br />人形を生き生きと動かせるには、黒子3人の息を合わせた、動きがあって、観る者を感動させることが伝わってきました。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/C3A7C28DC285C3A5C2ADC290C3A8C288C29E.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/C3A7C28DC285C3A5C2ADC290C3A8C288C29E-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="獅子舞.jpg" /></a><br /><br />次の演目は、森藤獅子舞保存会の20名の方々が、太鼓と舞いで、伝統芸能を披露してくれました。<br />子ども2人が演ずる獅子の2獅子が、上に下へ、右に左に、竜のごとくに動き続けます。<br />2獅子が交差し、首をひねらせて、舞い続けている子どもの真剣な表情に、思わず拍手が上がっていました。<br /><br />音楽は、竹バチ太鼓が3筒、木製バチ太鼓が2筒、繰り返し、繰り返しリズムで盛り上げていきます。<br />このリズムは、私が子供の時に秋祭りで練習していたあのリズムであることは、すぐ思い出しました。<br />吉野川市の森藤地区の保存会ですが、徳島市川内町で、60年前に打たれていた太鼓のリズムが全く同じだったことに、親しみをジンワリと深められました。<br /><br />続いては、子ども達8人による傘おどりが披露されて、丸1時間の上演は終わりとなりました。<br /><br />さらに、良い縁起を戴くために、舞台から鈴を降りかけてもらい、獅子に頭をかぶりついてもらい、紅白の餅を戴いて、屋敷を離れました。<br /><br />外では、雪が舞い、底冷えで、強い風が吹いていました。<br />懐に温かいものを感じながら、車を走りだしました。<br /><a name="more"></a>

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<title>世間の「普通」に縛られている</title>
<description>私たちは、「普通でしょ」という言葉をよく使います。普通のことが普通にできて、当たり前でしょ。それができないのは本人の努力が足りないのだという意見が聞かれます。私達は、自分が何の気なしに出来ることを普通と言っていますが、誰しもが普通にできるわけではないのです。うちの奥さんが、組み立て式家具を買って、「組み立てるのに1日かかると思いますが、時間をかければできますので、頑張ってください」と店員さんに励まされたそうです。奥さんは自分がイメージできないことは、無限の不安が広がっていく癖..</description>
<dc:subject>家族・親</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2026-01-19T15:09:47+09:00</dc:date>
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私たちは、「普通でしょ」という言葉をよく使います。<br /><br />普通のことが普通にできて、当たり前でしょ。<br />それができないのは本人の努力が足りないのだという意見が聞かれます。<br /><br />私達は、自分が何の気なしに出来ることを普通と言っていますが、誰しもが普通にできるわけではないのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1498.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1498-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG1498.JPG" /></a><br /><br />うちの奥さんが、組み立て式家具を買って、「組み立てるのに1日かかると思いますが、時間をかければできますので、頑張ってください」と店員さんに励まされたそうです。<br /><br />奥さんは自分がイメージできないことは、無限の不安が広がっていく癖があり、孫二人に、その組み立てをお願いしました。<br />ところが、二人は1時間であっさりと仕上げてくれました。<br /><br />1日かかるのが、定員さんの普通。<br />2日がかりになるだろうと考えたのは、奥さんの普通。<br />1時間もあればできると判断したのは、孫たちの普通。<br /><br />20歳を過ぎて、自分の部屋の片づけが出来るのは、世間の普通と言います。<br />自分が毎日の生活に追われて、1月に1回、なんとか掃除をしているお母さんは(当然自分はしたくてしているわけではないので)いやいやしている人ならなおさら、「どうして自分の部屋くらいは片づけてくれないの！」と、怒ってしまいます。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1721-1993e.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1721-1993e-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG1721.JPG" /></a><br /><br />自分が苦手な人は、「もうする気がないから」「生活は出来ているから」「自分が我慢したらすむから」と、自分の普通に、たくさんの理由や言い訳をつけてきます。<br /><br />そういう言い訳をつけていることが、「世間の普通」基準に縛られて、自分で自分を苦しめているように見受けられます。<br />あなたも、そんな「世間の普通」に縛られていませんか？<br /><br />長い長い年月に渡って、親から言われてきた、学校の先生を始め、周りの大人たちから言われてきた「世間の普通」とは、本当に私の人生を、豊かに、楽しいものにしていますか？<br /><br />自分が、自分の気持ちで決めて動き出し、やりながらでも、しんどいと感じることもあるが、どこか楽しくて、後からジンワリと幸せ感がしみてくるようなことは、自分が決めたし、余裕をもって続けられていることなのです。<br /><br />「世間の普通」を、しなければならないことと、なんとか言い聞かせて、し始めても、言い訳ばかりが浮かんできて、やる気がどんどん失せてきて、後から、ジンワリと後悔の念と共に、しんどさが体中を包んでくるのです。<br />このやり方は、自分に無理をさせているやり方なので、即刻辞めるべきなのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1190-7b2ca.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1190-7b2ca-thumbnail2.JPG" width="320" height="212" border="0" align="" alt="CIMG1190.JPG" /></a><br /><br />「世間の普通」という基準から、あなたがあなたを解放してあげましょう。<br /><br />「あなたの普通」基準でやるには、自分の気持ちで決めて動き出し、やりながらどこか楽しくて、後からジンワリと幸せ感がしみてくるようなやり方こそが、あなた基準なのです。<br /><br />そして、これからは「私の普通」基準を周りに理解してもらいながら、自分のやり方を進めていく方法や、やり方を身に着けていきましょう。<br /><br />これはひきこもっている若者への提案ではありません。<br />その若者のことで悩んでいる親御さんへの提案なのです。<br /><a name="more"></a>

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<title>物の哀れを知る心</title>
<description>明けまして、おめでとうございます！今年は、正月気分も味わう余裕もないまま日常生活に戻ろうとしています。それでも毎年の慣例でもあり、2日には書初めを楽しみ、2種の作品を仕上げました。去年を振り返り、今年一年を望むときに、心に浮かぶ想いや言葉やイメージから、その年の文字を決めていきます。ひとつは、私が活動の中で、自分の想いの芯(真意)なっているものを見詰めて探します。もう一つは、信仰の中で、自分の心のあり様に感性を合わせ、浮かんでくる想いを言葉にしてみようと試みます。私が活動や信..</description>
<dc:subject>かぜ(プライベート)</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2026-01-07T18:04:42+09:00</dc:date>
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明けまして、おめでとうございます！<br />今年は、正月気分も味わう余裕もないまま日常生活に戻ろうとしています。<br /><br />それでも毎年の慣例でもあり、2日には書初めを楽しみ、<br />2種の作品を仕上げました。<br />去年を振り返り、今年一年を望むときに、心に浮かぶ想いや言葉やイメージから、その年の文字を決めていきます。<br /><br />ひとつは、私が活動の中で、自分の想いの芯(真意)なっているものを見詰めて探します。<br />もう一つは、信仰の中で、自分の心のあり様に感性を合わせ、浮かんでくる想いを言葉にしてみようと試みます。<br /><br />私が活動や信仰で立ち止まり、感じている、考えていることに焦点を当てて、自分の中に、浮かびくるものを探すのですが、今回はキリスト教の機関紙「風：プネウマ」の文章からヒントをいただきました。<br /><br />それが「物の哀れを知る心」と、「大自然の生命の海」でした。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0458.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0458-thumbnail2.JPG" width="240" height="320" border="0" align="" alt="CIMG0458.JPG" /></a><br /><br />「物の哀れを知る心」を一言でいうと、「造化：ぞうか」と、私は理解しています。<br />その言葉との付き合いは長く、初めて出会ったのはキリスト教に出会った45歳の頃に、良寛の詩に見つけました。<br /><br />「物の哀れを知る心」を作句（作歌）の世界でいうところの、芭蕉が「造化：ぞうか」と提唱し、広く知られるようになったと聞いております。<br />「万葉集」では、その心を読み取れるが、「古今集」以降の歌にはその心がないと、良寛は言っていました。<br /><br />それを体現したのが、観阿弥・世阿弥の「能」や、千利休の「茶道」には、その心が基となり活かされているという。<br />それこそが日本人の文化:心、そのものだと、本居宣長は言うのです。<br /><br />若い時から、「日本の心とは、何か？」を考えてきた私は、彼らの意見に耳を傾けつつも、自分の理解や、自分の身になる言葉に出会うように、今も探求を続けているのです。<br /><br />明治以降の日本の政治は、文化性が失われてきて、いかんともしがたい思いを持ち、今の日本の文化について、今後に辛さを感じていたのは、私だけではなかったと、納得したのでした。<br />その兆候は江戸末期の本居宣長や、良寛も同じ危惧を抱きながら、未来に託して、書や詩にしたためて来たのかと思うと、心打たれる思いがします。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0456-599cd.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0456-599cd-thumbnail2.JPG" width="240" height="320" border="0" align="" alt="CIMG0456.JPG" /></a><br /><br />もう一つの「大自然の命の海」は、私の理解では、一言でいえば、「風:プネウマ」となります。<br /><br />「造化：ぞうか」という言葉にも、創造主とか、大自然の産物とか、その働きとの意味が含まれています。<br />「風:プネウマ」は、「魂」という意味もあり、個人の魂でもあり、宇宙に広がる生命の全ての魂とも言えます。<br /><br />ですから、私の理解では、この二つの言葉は繋がっており、同一視もできるのです。<br /><br />これらの言葉は、今の私からすると、目の前の些細なことをじっくりと観察し、味わっていると、生きること、生きる意味の真意が伝わってくるのだと受け取れるのです。<br /><br />活動では、日常の些細な変化を、驚きと感動で受け止め、良いことも悪いことも、全体の視点からバランスをもって見直し、人は、おのが人生をゆるりと楽しみながら生きることとして、「おもしろい」と共感していく私でありたいのです。<br /><a name="more"></a>

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<title>　季節の旅に出掛けよう</title>
<description>この秋から、風月庵のクラス企画で、「季節の旅」に出掛けようとの提案があり、N君の提案に皆が乗って、ＪＲで、紅葉の栗林公園に行こうとなりました。11月28日、快晴の秋日和となり、ＪＲ徳島駅に集合した。当初は5人の旅になるはずだったが、集まったのは2人、後の2人は体調不良でキャンセルとなった。　ドタキャンＯＫの風月庵ではよくあることだが、行くのも、行かないのも、その朝に起きた時、決めればいいという判断だ。切符を買って列車に乗ることが久しぶりで、新鮮だ。結局メンバーの3人が不参加と..</description>
<dc:subject>活動</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-12-15T18:09:38+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
この秋から、風月庵のクラス企画で、「季節の旅」に出掛けようとの提案があり、N君の提案に皆が乗って、ＪＲで、紅葉の栗林公園に行こうとなりました。<br /><br />11月28日、快晴の秋日和となり、ＪＲ徳島駅に集合した。当初は5人の旅になるはずだったが、集まったのは2人、<br />後の2人は体調不良でキャンセルとなった。<br />　ドタキャンＯＫの風月庵ではよくあることだが、行くのも、行かないのも、その朝に起きた時、決めればいいという判断だ。<br />切符を買って列車に乗ることが久しぶりで、新鮮だ。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/C3A6C2A0C297C3A6C29EC297C3A3C280C280C3A7C2B4C285C3A8C291C289.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/C3A6C2A0C297C3A6C29EC297C3A3C280C280C3A7C2B4C285C3A8C291C289-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="栗林　紅葉.jpg" /></a><br /><br />結局メンバーの3人が不参加となり、香川のメンバー1人と<br />公園前で合流し、2時間の庭園散策を楽しんだ。<br />平日なのに沢山の人が散策されており、我々も風の吹くまま<br />気の向くままに、一応地図と観比べながら、あっち、こっちと、足を進めていきました。<br /><br />　若いグループ、年寄りの二人連れ、アジアの家族組、目立ったのは新婚さんの写真撮りを、紅葉の前で、山肌錦をバックに撮影をしていたことです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/C3A6C2A0C297C3A6C29EC297C3A3C280C280C3A6C2A9C28B.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/C3A6C2A0C297C3A6C29EC297C3A3C280C280C3A6C2A9C28B-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="栗林　橋.jpg" /></a><br /><br />　驚いたのは大きな池があり、船に揺られながら、秋の風情を味わえるようで、池の中心部に大きな茶室があり、抹茶を堪能できるのでした。<br />　私達は、途中で団子を1本ずついただき、昼をとうに過ぎてから、園外近くの「ガスト」で、食事をしたのでした。<br /><br />　さて引き続き１２月12日には、丸亀城夜景と、満濃公園のイルミネーションを見に行こうとなりました。<br />これは、「丸亀城」のＹ君企画に、Ｈ君が、それなら「満濃公園」も是非に寄ってみたいということになった。<br /><br />　昼過ぎに徳島を出て、高速で丸亀まで2時間、丸亀では超有名な「骨付鳥一鶴」開店と同時に入り、ジューシーで濃いタレの熱々もも肉を、かぶりついていただきました。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/C3A4C2B8C2B8C3A4C2BAC280C3A5C29FC28E.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/C3A4C2B8C2B8C3A4C2BAC280C3A5C29FC28E-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="丸亀城.jpg" /></a><br /><br />　丸亀城は、改築20周年記念で、天守閣までの各櫓や登り道がライトアップされていました。そこから眺める丸亀の夜景も寒さを忘れて、堪能するには十分でした。<br /><br />　丸亀から30～40分ほど、まっすぐに走り続けて山の料金所に到着。一人450円の入園料と、車1台320円の駐車料を求められ、しぶしぶ払って園内に向かいました。<br /><br />入口の門をくぐったところで、私たちはイルミネーションの世界を前に、料金のことなど忘れていました。<br />長いイルミネーションのトンネルを潜り抜けると、色とりどりのイルミネーションが、地を這い、天を仰ぎ、見渡す限りに、どこまでも広がっているのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/C3A6C2BAC280C3A6C2BFC283C3A3C280C280C3AFC2BDC2B2C3AFC2BEC299C3AFC2BEC290C3AFC2BEC288C3AFC2BDC2B0C3AFC2BDC2BCC3AFC2BDC2AEC3AFC2BEC29D.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/C3A6C2BAC280C3A6C2BFC283C3A3C280C280C3AFC2BDC2B2C3AFC2BEC299C3AFC2BEC290C3AFC2BEC288C3AFC2BDC2B0C3AFC2BDC2BCC3AFC2BDC2AEC3AFC2BEC29D-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="満濃　ｲﾙﾐﾈｰｼｮﾝ.jpg" /></a><br /><br />園内を軽く2周しましたが、飽きることがありませんでした。<br />人出が多いのに驚き、夜道がわかりにくく、足元に気を付け、仲間とも離れないように声掛け合いながら回りました。<br /><br />帰路は残りのガソリンを気にしながら、高速を避けて、脇町まで下道を行き、脇町の24時間ガソリンスタンドで給油して、高速に乗り、予定の22:30には風月庵に到着していました。<br />運転担当のＨ君、お疲れ様でした。無事で何より！<br /><a name="more"></a>

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<title>天国はここにある</title>
<description>前回の「天国はどこにある」の続編です。クリスチャンとしての私が、ひきこもり支援活動で、「天国」は、死後の世界ではなく、現世で作ることを目指しましょう。と考えるようになったのは、Ｋ牧師と色々なことを語り合っていた時に芽生えてきた発想でありました。20代の私では、「天国」など、この世で作れるはずもなく、そんな感覚が味わえるはずもないと、確信じみた感覚に、自分で自分を縛り付けていました。何かしなければならないという強迫観念の中から、新しい仕事に、ボランティア活動にと、次々と挑戦して..</description>
<dc:subject>ひきこもり</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-12-13T12:27:52+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
前回の「天国はどこにある」の続編です。<br />クリスチャンとしての私が、ひきこもり支援活動で、「天国」は、死後の世界ではなく、現世で作ることを目指しましょう。と考えるようになったのは、Ｋ牧師と色々なことを語り合っていた時に芽生えてきた発想でありました。<br /><br />20代の私では、「天国」など、この世で作れるはずもなく、そんな感覚が味わえるはずもないと、確信じみた感覚に、自分で自分を縛り付けていました。<br /><br />何かしなければならないという強迫観念の中から、新しい仕事に、ボランティア活動にと、次々と挑戦しては長続きせず、半ば無責任に放り出しては、家出を繰り返していました。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/IMG_20250908_205756.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/IMG_20250908_205756-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="IMG_20250908_205756.jpg" /></a><br /><br />世間に認められない自分を呪い、情けなさに自分は死ぬしかないと思い込んで、鬱状態に落ち込むのですが、そんな姿は誰にも見せることはありませんでした。<br />自分の弱みを見せるどころか、他者に対しては120％で動き回っている姿しか見せることはなかったので、周りの人間は、そんな私の姿も、ましてや心の内は知らなかったと思います。<br /><br />行き詰っては、自責の念に、さらに自分を縛り付けます。<br />じりじりと首を締め付けていることが少し快感の様な感覚で、自分の存在感を緩く感じながら、「生きてるのかなあ？」と、ふっとそんな言葉が心の奥から浮かんでくるのです。<br /><br />「こんな地獄のこの世を捨てて、あの世に行けば楽に暮らせるのかなぁ！」「首を吊って、そのまま記憶がなくなり、痛みがないのなら、それでもいいのになぁ」とつぶやいていた若者は、1か月後に、その言葉通り、先に行ってしまいました。<br /><br />皆、「天国」はあの世で待っているという言葉を簡単に信じすぎているのではないのか？<br />Ｋ牧師が語っていたような、あの世に「天国」があるということは、世の中の支配者のまやかしに他ならない。<br />ただ、そんな想像をする心の余裕は、先に行った彼と同じに20歳代の私には感じられない、想像すらできないことだったので、「天国」は、あの世にあると信じていたのでした。<br /><br />40歳代から人生の後半を今までよりかは「少し楽に、少し自分らしく生きよう」と準備してきた私は、50歳を過ぎて初めて、Ｋ牧師のこの世に「天国」を創ろうという発想が想像できるようになっていったのでした。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/IMG_20251212_202648.jpg" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/IMG_20251212_202648-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="IMG_20251212_202648.jpg" /></a><br /><br />「この世に天国を創ろうとすることを諦めることはない」<br /><br />私達ひきこもり経験者だからこそ、人生の前半を苦しみ、自分の孤独を心の底で味わってきたからこそ、人生の後半では、楽しく、自分らしく生きる生き方を作り出すことができるのではないのか？と、自分に問いかけ続けてきた活動でした。<br /><br />そんな発想の転換を求めてきた私が、その年齢と研鑽の末にたどり着いたからこそ、Ｋ牧師の「この世に天国を創ろう」の言葉が、他の人とは違った響きと輝きを放ち、私の心に、種をみつけ、芽生えさせ、育むことができたのではないか。<br /><br />「天国はあの世にあるのだから、この世で望むことは苦しみでしかない」という、のうのうと支配する権力者の構造的な発想支配に呑まれることはないのだと言いたい。。<br /><br />私達の「天国」は私たちの手で、私たちのやり方で、私たちのテンポで、じっくりと味わいつつ、自分のものにしていこうと、いま改めて、Ｋ牧師に語りたい。<br /><br />自分らしい生き方ができる楽園は、私達ひきこもり経験者だからこそ、今ここから、種を見つけて育てていけば、芽生える時が来ると、同じ生き方で苦しんできた仲間として信じつつ、これからも、そんな出会いを祈り続けたいのです。<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　かぜ<br /><a name="more"></a>

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<title>天国はどこにある</title>
<description>私はクリスチャンで、毎週日曜には礼拝という名の集会:話し合い？に参加している。プログラムの進行表通りに、前奏で始まり→教会の祈りを唱和し→讃美歌を歌い→聖書の一部を読み→その内容の説き明かしを聞き→皆で感想などを話し合い→各自の祈り→献金を捧げ→牧師が社会への祈りをし→後奏で終わる。この一連の進行をもって、礼拝という儀式なのだ。28年間、毎週日曜にはこの日程をこなしている。途中、なぜこんなことを毎週続けているのかと自問自答した年もあった。そんな時も、いやそんな時ほど、礼拝に参..</description>
<dc:subject>総論</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-12-11T20:18:56+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
私はクリスチャンで、毎週日曜には礼拝という名の集会:話し合い？に参加している。<br />プログラムの進行表通りに、前奏で始まり→教会の祈りを唱和し→讃美歌を歌い→聖書の一部を読み→その内容の説き明かしを聞き→皆で感想などを話し合い→各自の祈り→献金を捧げ→牧師が社会への祈りをし→後奏で終わる。<br />この一連の進行をもって、礼拝という儀式なのだ。<br /><br />28年間、毎週日曜にはこの日程をこなしている。<br />途中、なぜこんなことを毎週続けているのかと自問自答した年もあった。<br />そんな時も、いやそんな時ほど、礼拝に参加すると、次の週も何とか頑張ろうという気持ちがわいたものだ。<br />ある種の自己洗脳していたのか？<br />それほどは戒めをもってこだわっていたとも、今は思えない。<br /><br />ある時から、この儀式を含めた信仰活動と、私が求めているひきこもり支援活動との接点が見えるようになってからは、出席することにストレスを感じることはなくなっていった。<br /><br />自分の中に基本的な視点が、元々の自分が育ててきた視点に、46歳から信仰活動の視点が入ってきて、同時に私の場合は心理的視点がブレンドされ、50歳からは、ひきこもり支援活動の視点が付加されてきて、3つ以上の視点で自分や周りを観るようになったことが、自分を安定させてきたと思われる。<br /><br />そういう意味で、人生の後半では楽に生きられるようになっていたいと願った想いは、今現実に実現できているということで、とても幸せなことと実感している。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0609-3b2ff.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0609-3b2ff-thumbnail2.JPG" width="320" height="212" border="0" align="" alt="CIMG0609.JPG" /></a><br /><br />私が信仰活動で得た奇抜な視点が与えられたのは、今の教会にやってきた当時のＫ担任牧師との出会いが大きかった。<br />私達は、孤独に世間(社会)と戦い、差別される苦しみに耐えながら、自分の天国を求めて、果敢な戦いを続けてきた同志として出会うことになった。<br /><br />その孤独な戦いの姿勢(ﾗｲﾌｽﾀｲﾙ)は、お互いにどこかで感じ合い、存在を認め合うように成長できたと、私には思えた。<br />そのＫ牧師が説き明かしの中で、「天国」という来世の平和を求めることで、差別されている自分を容認させられている。そんな差別者達の言いなりになることはない。と切り込んだ。<br /><br />イエスは、今のこの世に「天国」を作る為に、現世にやってきた、差別と闘い続けた、とても弱いが神の荷姿の様に生きた、静かに戦った戦士なのだというのです。<br /><br />「クリスチャン」とは、イエス・キリストのように生きる人という意味であり、イエス・キリストは、平和なる神のように生きた人という意味だと、私は解釈している。(クリスチャンにも様々な考えの方がいらっしゃいますので、ここはあくまで私個人の勝手な見解としてご理解ください)<br /><br />Ｋ牧師は、「天国」が死後の世界にあり、死後の世界では天国が待っていると思わせている発想は、当時の社会を支配する人間が、支配しやすいように、世相をコントロールするための都合の良い発想の押し付けではなかったかというのです。<br /><br />ちがう！<br />「天国」は、今住んでいる、生きている、現世で、今の社会の生活で、「天国」と感じられる生活を求めるのだと、その為に一緒に戦おうと言いたいのだった。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1462-fc569.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1462-fc569-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG1462.JPG" /></a><br /><br />11月23日に、私たちの教会では、教会活動に連なる先人たちに対して祈念する集会がもたれました。<br />Ｋ牧師もその中の一人です。<br />言葉では、「天国で、安らかに安息の時を楽しんで下さい」とつぶやきつつ、私は内心、「あなたと共に蒔いた種を、私は今も『天国』という場を求めて育てています。しっかりと気を緩めずに、私達を見守っていてください」と祈りました。<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　かぜ<br /><a name="more"></a>

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<link>https://blog.canpan.info/kazetuki/archive/290</link>
<title>人柄で語る「普通のことなんですよね」</title>
<description>風月庵；秋の総合研修を、公民館で開催しました。徳島県地域共生推進課からの呼びかけで、孤独･孤立の対策事業として、心のサポーター養成講座を、多くの人に受講してもらい、お互いの心の通った声掛けから、支え合う社会の実現を目指そうというものでした。私達;風月庵では当講座の開催を早くから決めて、会報「風と月と」にも連載して案内していました。ひきこもりの若者と共に生活するご家族には、響くものが、きっとあると直感したからでした。当日は沢山の会員が参加してくださり、甲田宗良(こうだむねなが;..</description>
<dc:subject>活動</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-11-08T10:51:58+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0515-b361b.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0515-b361b-thumbnail2.JPG" width="320" height="212" border="0" align="" alt="CIMG0515.JPG" /></a><br /><br />風月庵；秋の総合研修を、公民館で開催しました。<br /><br />徳島県地域共生推進課からの呼びかけで、孤独･孤立の対策事業として、心のサポーター養成講座を、多くの人に受講してもらい、お互いの心の通った声掛けから、支え合う社会の実現を目指そうというものでした。<br /><br />私達;風月庵では当講座の開催を早くから決めて、会報「風と月と」にも連載して案内していました。<br />ひきこもりの若者と共に生活するご家族には、響くものが、きっとあると直感したからでした。<br /><br />当日は沢山の会員が参加してくださり、甲田宗良(こうだむねなが;徳島大学大学院･准教授)氏からは、ゆっくりと、一つ一つ丁寧に説明して下さった内容が、柔らかな雰囲気の中、学習する楽しさと共に伝わってきました。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1069-d860d.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1069-d860d-thumbnail2.JPG" width="320" height="212" border="0" align="" alt="CIMG1069.JPG" /></a><br /><br />皆さんからは、とても好評で、わかりやすかった。<br />時間を感じなくて、気付いたら、お話が終わっていた様に、すっきりとした気持ちを感じられたようです。<br />それは、氏の話す口調とﾃﾝﾎﾟと間の取り方等々、人柄が語る、その温かさを感じさせられたからだと、私は思います。<br /><br />傾聴の学習会といえばそれまでですが、氏の語りこそ、学ぶに値するものと、聞くよりも見入っていました。<br /><br />内容は、精神的病いも、普通のことであり、長い人生、誰しも出会う時期があるというのが、常識らしい。<br />そんな社会で暮らす私達が、何気なく気になっている人に、それとなく声をかけ、それなりにお話を聴き、よければと支援先をさらりと提案してみる。<br />それだけのことです。<br /><br />心の病気の回復と共に、各自が自分らしい人生を回復する道とその方法を認め合えれば、普通に尊重し合えることで好しとする提案であったと思います。<br /><br />「普通に、できることを、普通にやってみましょう。」<br />難しいことをすることは、なんら無いのです。<br />お互いを大切にする認め合いが、自然に広がって行く時に、私達は安心と信頼を取り戻すことを気づくからです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1727.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1727-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG1727.JPG" /></a><br /><br />氏の話を聴いている内に、私にも出来る事があるかもしれないという気持ちにさせられました。<br />長年悩んでおられる各ご家族のひきこもり問題にも、少しは希望が持てた様に感じられたようです。<br />ありがとうございました。<br /><br />様々な気付きをいただきましたが、私としては、<br />「何も、普通のことなんですよね」が、<br />講座が終わって後、何度も心の中で、リフレインしているという不思議な体験となりました。<br />「人柄で語る」ってことが、やれたらなあと思いました。<br /><a name="more"></a>

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<title>動きの連鎖が始まっている</title>
<description>風月庵での活動をしていると、時々、信じられない様なことが起き、時が過ぎると、正に奇跡といってもいいのではないかという出来事がやってくるのです。親子間のやり取りは一切ない親子で、同じような変化が起き、別々に同じような心の動きが始まることがあるのです。お互いに、どこかから視ていたのではないのかと思われるくらい、同じ時期に、同じようなことが起こるのです。私たちの活動はそんな驚きの連続で成り立っています。しかし、そんな出来事が毎月起こるのではなく、１年に一回かもしれませんが、ある親子..</description>
<dc:subject>家族・親</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-10-31T11:36:12+09:00</dc:date>
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風月庵での活動をしていると、時々、信じられない様なことが起き、時が過ぎると、正に奇跡といってもいいのではないかという出来事がやってくるのです。<br /><br />親子間のやり取りは一切ない親子で、同じような変化が起き、別々に同じような心の動きが始まることがあるのです。<br />お互いに、どこかから視ていたのではないのかと思われるくらい、同じ時期に、同じようなことが起こるのです。<br />私たちの活動はそんな驚きの連続で成り立っています。<br />しかし、そんな出来事が毎月起こるのではなく、１年に一回かもしれませんが、ある親子間では起こりうることなのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1039.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1039-thumbnail2.JPG" width="320" height="212" border="0" align="" alt="CIMG1039.JPG" /></a><br /><br />「動きの連鎖」もまた、それに似ています。<br /><br />私達が直接に関わってるご家族の変化だからわかってくるのでしょうが、毎月、家族会に参加されているお母さんから、「子どもが優しい言葉をかけてくれました。20年間こんなことは思いもよらないことでしたから、思わず涙ぐみました。」と、話してくれました。<br /><br />同じ家族会で、訪問しているあるご家族では、一切話をしてくれなかった息子さんが、数年ぶりに、お母さんに話をしてくれました。<br />「その時は驚きましたが、普通にやり過ごしました。後で思うと信じ切れませんでした。」と、お母さんはその時の気持ちを興奮して話してくださいました。<br /><br />同じような時に、ある若者に、就職の話がいきなり舞い込みました。<br />自分が長年ひきこもっていたことも了解してくれて、面接もしてくださり、慣れるように、少しずつゆっくり勤務に慣れていってくれていいという、理解のある内容でした。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG1030-26aad.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG1030-26aad-thumbnail2.JPG" width="320" height="212" border="0" align="" alt="CIMG1030.JPG" /></a><br /><br />地球のマグマレベルの影響か？<br />季節の気候変化の影響か？<br />社会事象の変化が影響しているのか？<br />各家庭が風月庵を通じてリンクし、共鳴しているのか？<br />ある家族が動き出すと、不思議に他の家族も動き始めることが、よくあるのです。<br /><br />そして、連鎖するように、各家族がそれぞれ動きを始めます。<br />逆に、動かない時は、どのご家族も動くことがないのです。<br /><br />この10月、連鎖して何組かのご家族が動き始めています。<br />貴方の家でも動き始めていませんか？<br />丁寧に、丁寧に、自分の、子どもの、親の、家族の、変化を見つめてみましょう。<br />何かヒントが、チャンスが、動いているかもしれません。<br /><a name="more"></a>

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<title>繰り返し、家を出る、その先</title>
<description>「まだ、息子が帰ってこないのです。」と、あるお母さんから、夕方に連絡が入りました。いつもなら帰っている時刻を過ぎても帰ってこないし、連絡もないので、心配されていました。もしかしたら、家出したのかと、私は思いましたが、そんな動きも感じていなかったとお母さんも仰るので、もう少しだけ待ってみましょうと言って返しましたそんなところに、ﾗｲﾝが入り、「今東京。東京で泊まります。」とだけ知らせが入り、ほっとしました。知らせてきてくれたということは、家出ではないのですが、私は「やっぱり、家..</description>
<dc:subject>かぜ(プライベート)</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-10-20T11:39:19+09:00</dc:date>
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「まだ、息子が帰ってこないのです。」と、あるお母さんから、夕方に連絡が入りました。<br />いつもなら帰っている時刻を過ぎても帰ってこないし、連絡もないので、心配されていました。<br /><br />もしかしたら、家出したのかと、私は思いましたが、そんな動きも感じていなかったとお母さんも仰るので、もう少しだけ待ってみましょうと言って返しました<br />そんなところに、ﾗｲﾝが入り、「今東京。東京で泊まります。」とだけ知らせが入り、ほっとしました。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0199-f0d3e.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0199-f0d3e-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG0199.JPG" /></a><br /><br />知らせてきてくれたということは、家出ではないのですが、私は「やっぱり、家出かな？」と、感じていました。<br /><br />私の若い時を思い返すと、昔の若者は、外にひきこもり、一人旅に出ていたと思うのです。<br />今の若者は内に(家の中で、心の中に)家出して、ひきこもっているのかなとイメージすると、若者の気持ちがわかるように思えたのです。<br /><br />その家出した「家」と、ひきこもった家の「家」は、もしかすると一緒の「家」ではないのか？と考えると、何となく納得できたのです。<br /><br />時代が変わり、環境や、表現や、理解の方向性が多様化する中で、同じことを全く違う、正反対のこととして確かめ、体験して吟味しているのではないか？と、いつのころからか、考え始めていたのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0390.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0390-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG0390.JPG" /></a><br /><br />そうみてみると、ここでいう「家」とは、生まれて、この方住み慣れた、育った家の、育った時代の価値観が、この「家」という塊りなのではないか？と、想い至ったのです。<br /><br />私は、10代では自分の部屋にいつもひきこもっていて、18歳の1年間は、下宿先でひきこもり、大学への不登校をしていました。<br />20代は家出をし、また舞い戻っては新しいことに挑戦したかと思うと、途中で投げ出し、また家出をすることを、繰り返していました。<br />30代では、新しい自分の価値観で生活し始め、40代からは自分の生き方を模索し始め、50代から今の生活スタイルが、緩やかに始まり、定着してきたように思うのです。<br /><br />この私を縛り付け、私が抜け出し、自分の生き方を求めてやまなかった〔この「家」からの脱出(卒業)〕の為に、繰り返してきた、ひきこもりと家出は同じ作業だったのではないかと、こんな経験を持つ私だから思ったのかもしれません。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0689-18ec1.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0689-18ec1-thumbnail2.JPG" width="320" height="212" border="0" align="" alt="CIMG0689.JPG" /></a><br /><br />先ほど話題に上った若者は、東京から北海道まで行き、最北端を目指していたが、「もういいや！」と途中断念して帰ってきたそうです。<br /><br />そんな彼を見て私は、「その内にまた、行きたくなったら家出をしたらいいよ！」と自分の過去の体験を思い出しながら、懐かしく「家出のススメ」を語ることになったのです。<br /><a name="more"></a>

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<title>母が家を出ていきます</title>
<description>先日の相談で、「息子と二人で住むことは、私がもう限界です。家を出て行きたいのですが、良いでしょうか？」と、あるお母さんから、相談をいただきました。お母さんが「本当は、私、家を出たいんです。」と、おっしゃる話はよく聞くのですが、何も言わずに、置手紙を残して、そのまま家を出ようという提案は、とても珍しいと思われたので、詳しく聞いてみました。定年退職後、息子と二人暮らしで、顔を合わせて日常会話はできるのですが、今後のことを話すことはできないのです。あちらこちらに相談には行き、それも..</description>
<dc:subject>長期対応</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-10-16T13:28:04+09:00</dc:date>
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先日の相談で、「息子と二人で住むことは、私がもう限界です。家を出て行きたいのですが、良いでしょうか？」と、あるお母さんから、相談をいただきました。<br /><br />お母さんが「本当は、私、家を出たいんです。」と、おっしゃる話はよく聞くのですが、何も言わずに、置手紙を残して、そのまま家を出ようという提案は、とても珍しいと思われたので、詳しく聞いてみました。<br /><br />定年退職後、息子と二人暮らしで、顔を合わせて日常会話はできるのですが、今後のことを話すことはできないのです。<br />あちらこちらに相談には行き、それも話さないといけないと思いつつ話せず、どうしたらいいのかわかりません。<br />いっそ、置手紙をして、支援先のパンフレットを置いて、家を出るしかないと思うのですが、それらを息子が観て、どう思うかを考えると、今一つ勇気が出ないのです。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0406.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0406-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG0406.JPG" /></a><br /><br />それを聞いて私は、お母さんがよくそこまで決心されました。家を出るのは一つの方法としていいかもしれませんね。<br />しかしその前に、ご本人:息子さんの気持ちや意見をお聞きしましたか？お母さんの気持ちや考えも、お伝えしましたか？<br /><br />話ができるのでしたら、何故、そこの話をしないのですか？<br />直接に話すことができないのなら、メールで伝えることや、手紙にして読んでもらうこともできます。<br />まず、そこから始めてはどうでしょうか？<br /><br />お母さんがいくら考えても、色んなところへ相談に行かれても、ご本人の息子さんが考え、話し、相談し、決心し、外に向かい動くことがかなければ、何も始まりませんね。<br /><br />お母さんが、何が限界で、どういう思いで家を出ようとしているのか、そして、息子さんに何をしてもらいたいのか？<br />そこをとりあえず伝えてから、家を出ても遅くはないのではないでしょうか。<br />と、事例を交えてお話ししました。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0373.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0373-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG0373.JPG" /></a><br /><br />そんなお母さんの一大決心から、家族の、息子さんの動きが始まったご家庭はいくつもあります。<br />勇気をもって、その一歩を踏み出してもらいたいとお願いしました。<br /><br />数日後に、お母さんからメールで、お母さんが思っていたこと、考えていたことよりも、ずっと色んな多くのことを思い悩み、実際の気持ちも、長々と話してくれたそうです。<br />そんな気持ちを知り、お母さんももっと息子の為にしてやれることがあるのではの気持ちになれたそうです。<br /><br />これからの息子さん、お母さんの歩みは一歩一歩かもしれませんが、現実の動きと共に着実に進めていって貰いたいのです。<br />私も一緒に考えていきたいと、応援する想いを伝えました。<br /><a name="more"></a>

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<title>　なんか、ピリピリとしてしまう私なので</title>
<description>自分でもどうしようもなくイライラしていて、命令的に何か言われると、その内容に関係なく、怒りっぽくなってしまっている自分がいて、情けなくなります。先日も私の通う教会で、些細な規約改正について、ある人が提案した意見を、満場一致で即決したのです。教会から帰宅して、モヤモヤと湧き上がるものがあり、何か引っかかっているのでした。その提案者に腹を立てているのではないのですが、もしかすると、そうかもしれませんが、それにしても思った以上に腹立たしさが大きいので、「自分の中に何かがある」と思う..</description>
<dc:subject>かぜ(プライベート)</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-10-15T11:04:36+09:00</dc:date>
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<a href="/kazetuki/img/CIMG0083.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0083-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG0083.JPG" /></a><br /><br />自分でもどうしようもなくイライラしていて、命令的に何か言われると、その内容に関係なく、怒りっぽくなってしまっている自分がいて、情けなくなります。<br /><br />先日も私の通う教会で、些細な規約改正について、ある人が提案した意見を、満場一致で即決したのです。<br />教会から帰宅して、モヤモヤと湧き上がるものがあり、何か引っかかっているのでした。<br /><br />その提案者に腹を立てているのではないのですが、もしかすると、そうかもしれませんが、それにしても思った以上に腹立たしさが大きいので、「自分の中に何かがある」と思うことにして、自分の気持ちを見つめてみました。<br /><br />ひきこもり特性を持つ者として、自分をないがしろにされたのではないかとの被害者意識も思いましたが、そんな不安も感じつつ、どうもそうではないと思われました。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0222.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0222-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG0222.JPG" /></a><br /><br />考えている内に解ってきたことは、提案者が無理にその日に決定して、規約にし、すぐに実施するようにというニュワンスで、やり取りが進んでいったからなのではないでしょうか？<br /><br />確かに、私は、その規約の内容について話し合っている時に会議を退席し、決定されたことをはっきり記憶になかったのも正直なところでした。<br />「私は、その内容に同意していない」と、思いつつも、同意したようにも思い、どっちだったか考えあぐねていたのです。<br /><br />そういえば、彼が何故か急いでこの規約を通そうとしていたようにも思われ、提案者は何か意図（想い）があり、急いだのではないかと想像してみました。<br /><br />しかし今までなら、私の想像の範囲内では納得できる場面が浮かばなくて、くよくよと悩んでは、自分の中だけでグルグルと回って、気持ちを複雑化させてきました。<br /><br />そこからが、わたしとしてはポイントで、ﾗｲﾝで、その規約を再度議題に挙げてほしいと、勇気を出して提案しました。<br />そして、私のような物忘れ役員も増えてきていますから、規約の決定は、役員会で3回以上は協議していただき、その結果を、1～3か月実際にやってみて、全員が納得いく様なら規約として決め、今後も実施していくことを検討していただきたいと考えるようになりました。<br />その辺で、私の気持ちはほぼ落ち着いてきました。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/CIMG0185-ba356.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/CIMG0185-ba356-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="CIMG0185.JPG" /></a><br /><br />私のことを無視された訳ではないのですが、そんな感じも受けて、私が誤解していたのかもしれません。<br />そして、その提案者も、もう一度話し合いましょうとの返信が返って来て、私の気持ちも落ち着きました。<br /><br />奥さんに、その流れを話すと、私の気持ちに同感してくれながらも、「そこまでこだわることもないと思うよ」と、たしなめられ、「スッキリしなかったのだから、仕方ないね。それでいいと思う。」と言ってくれ、ほっと安心しました。<br /><br />イライラしていると、直ぐ感情的に反応し、自分勝手な理屈を掘り出してきて理由付け、自分の中だけでグルグルと、悶々とする私のひきこもり特性に出会い、戸惑いましたが、今回は、改善できる方法を見つけたと思うと、ニヤリとできました。<br /><a name="more"></a>

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<title>自分のことしか言わない</title>
<description>「どうして、そんなこともできないんだ！　何歳だと思っている。自分の年も考えろ！」という言葉を、父親が息子に向かって、感情に任せて言ったとする。その父親は、自分が経験した基準に振り回され、その基準に縛られて、自分と同じような息子を、単純に反発してしまう。自分のその基準を、周りの人に、何の疑いもなく、振りかざしている自分を発見するはずだ。俗にいう、「ハラスメントの連鎖」と、言える。少し冷静になって、自分の子供時代をふり返ってみよう。また、常々言っている、何気ない、しかも何回も、よ..</description>
<dc:subject>中期対応</dc:subject>
<dc:creator>林</dc:creator>
<dc:date>2025-10-01T19:50:18+09:00</dc:date>
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「どうして、そんなこともできないんだ！　何歳だと思っている。自分の年も考えろ！」という言葉を、父親が息子に向かって、感情に任せて言ったとする。<br /><br />その父親は、自分が経験した基準に振り回され、その基準に縛られて、自分と同じような息子を、単純に反発してしまう。<br />自分のその基準を、周りの人に、何の疑いもなく、振りかざしている自分を発見するはずだ。俗にいう、「ハラスメントの連鎖」と、言える。<br /><br />少し冷静になって、自分の子供時代をふり返ってみよう。<br />また、常々言っている、何気ない、しかも何回も、よく使う言葉を思い出してみよう。<br />それが、例えば、「どうして、そんなこともできない！」の言葉(基準)に繋がっている。<br /><br />「どうして、そんなこともできないの！　」と、優しく言われてきた自分がいませんか？<br />「どうして、そんなこともできない！　」と、毎日気にして、一日に何度も、言われないように先先考えて、自分をチェックして、行動してきた自分がいませんか？<br /><br /><a href="/kazetuki/img/IMG_1959.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/IMG_1959-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="IMG_1959.JPG" /></a><br /><br />「どうして、そんなこともできないんだ！　」に悩まされて、自分は出来ない駄目な人間だと思っている人。<br />「どうして、そんなこともできないんだ！　」言われる前にきちんとして、言われたことのない人。<br />その言葉(基準)に苦しんできたことに思い当たる筈です。<br />「駄目な人間だと思っている人」も、「きちんとして、言われたことのない人」も、おなじ基準に縛られ、苦しんできて、なのに他者である息子にもぶつけてしまうのです。<br /><br />平気で他者に、その基準を振りかざして押し付けて、怒っている人になるのは、両者ともに、同じ基準に縛られている人なのです。<br />なのに、だからこそ、自分の目の前の息子の、父が情けないと思っている態度を観ると、認めたくない自分の姿を息子に映し出して、感情顕わに、「どうして、そんなこともできないんだ！　」と怒っている自分を発見することになる。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/IMG_2022-c6d8b.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/IMG_2022-c6d8b-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="IMG_2022.JPG" /></a><br /><br />自分は、何故、こんなにも感情的に怒ってしまうのか？<br /><br />「どうして、そんなこともできないんだ！　」と言われても、「初めては、そんなもんさ！」「やっていく内に出来るようになるよ」「それでもわからない時は、一緒にやってみようよ」と、根気よく一緒に方法を見つけようとする考え方の基準や、表現の仕方を知らないからではないだろうか。<br /><br />「僕ができるようになるまで教えてよ。」と言われると、教えることに全く自信がなかったり、そんな矛先を自分に向けられることさえ逃げ出したい人間は、言ってくる前に子供が無能である様に言いながら、教え方がわからない人だったりする。<br /><br />自分が丁寧にやさしく教えてもらった経験がないから、自分に責任を問われないように避けているのでしょう。<br />自分の基準で、考え方で、感情的にしゃべる人は、その言葉の内容にある一つの基準にとらわれ、縛られて、悩まされた基準を経験してきているから、その基準で人を攻撃することで、先に自分を守る方法をとっているのでしょう。<br /><br /><a href="/kazetuki/img/IMG_2114.JPG" target="_blank"><img src="/kazetuki/img/IMG_2114-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="IMG_2114.JPG" /></a><br /><br />感情的にぶつけてくる言葉には、その人が経験して、縛られ、苦しんできた価値基準があり、その価値基準から解き放たれなければ、息子さんと安心して話ができる時代は来ないように、私には思われます。<br /><br />自分のこだわりの価値基準は、自分の中を探っていくと、これもあれもと出てきて、驚かれることでしょう。<br />それを見つけて、じっくりと自分を冷静に顧みるところから、息子との対話は始まると思うのです。<br /><a name="more"></a>

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