書初め2025 「思風透明」
[2025年01月02日(Thu)]
今年も、2025年の書初めを夫婦でしました。
1月2日の恒例行事となっています。
私たちそれぞれのやり方で、自分たちの支援活動をしていますが、今年の所信表明と、昨年一年の心情に思いを巡らして、言葉を拾い集めて、書初めを楽しんでいます。
年末に入り、自分の一年間を振り返り、来年に思いを馳せる時、「初心に帰ろう」と、ふと思ったのです。
今回、私は、私たち夫婦がともに親愛する佐藤初女さんが思い浮かび、年末から初女さんの本を読んでいました。
大晦日から元旦にかけて、心に留まった言葉が「透明」というものでした。
その「透明」という言葉から、吉村思風さんとの対談の場面へと移っていきました。
無色透明、一点の曇りなし、その人のありのままを「透明」の気持ちで聴くことが、その人と向かい合う時に、あれこれと迷い、詮索することなく、求められている本音だけをそのままに「はい!」と言って、関わってみる。
人の話を聴くときに、人と関わるときに、まず自分の心が、「透明」であることが求められるというのです。
そうしていると、機が熟し、何かと何かが繋がった瞬間に、陶芸でいう1300度に達した時に、命が吹き込まれて、器は「透明」になり、心の情熱が、人の心を「透明」にまでするという内容でした。
昨年の後半から、やるせない気持ちで、風に身を任せた風船のような私には、暮らしの中で気持ちは彷徨っていました。
「透明」の言葉に、その運んでくれている風の思いを感じ取り、そこに身を任せる。
気持ちを「透明」にしようと、心に響いたのでした。
そこで、書として「思風透明」を描こうとなったのでした。
妻も、同じように、生活の指針であり、活動の支えとなる言葉を探していたようです。
妻は、「ゆるゆると、コツコツと、粛々と、淡々と」という言葉を描いていました。
何事も、テキパキと、私の何倍も要領よくことを進める妻が、絞り出した言葉に、温かさを感じていました。
「待つ」という時の流れが育ててくれる、心の成長を信じてやまない私たちの祈りが,感じられたからです。
自分が紡ぎだした言葉を温めつつ、時間をおたためる活動と、透明な暮らしを大切に、精進したいと願っています。