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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


母が家を出ていきます [2025年10月16日(Thu)]
先日の相談で、「息子と二人で住むことは、私がもう限界です。家を出て行きたいのですが、良いでしょうか?」と、あるお母さんから、相談をいただきました。

お母さんが「本当は、私、家を出たいんです。」と、おっしゃる話はよく聞くのですが、何も言わずに、置手紙を残して、そのまま家を出ようという提案は、とても珍しいと思われたので、詳しく聞いてみました。

定年退職後、息子と二人暮らしで、顔を合わせて日常会話はできるのですが、今後のことを話すことはできないのです。
あちらこちらに相談には行き、それも話さないといけないと思いつつ話せず、どうしたらいいのかわかりません。
いっそ、置手紙をして、支援先のパンフレットを置いて、家を出るしかないと思うのですが、それらを息子が観て、どう思うかを考えると、今一つ勇気が出ないのです。

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それを聞いて私は、お母さんがよくそこまで決心されました。家を出るのは一つの方法としていいかもしれませんね。
しかしその前に、ご本人:息子さんの気持ちや意見をお聞きしましたか?お母さんの気持ちや考えも、お伝えしましたか?

話ができるのでしたら、何故、そこの話をしないのですか?
直接に話すことができないのなら、メールで伝えることや、手紙にして読んでもらうこともできます。
まず、そこから始めてはどうでしょうか?

お母さんがいくら考えても、色んなところへ相談に行かれても、ご本人の息子さんが考え、話し、相談し、決心し、外に向かい動くことがかなければ、何も始まりませんね。

お母さんが、何が限界で、どういう思いで家を出ようとしているのか、そして、息子さんに何をしてもらいたいのか?
そこをとりあえず伝えてから、家を出ても遅くはないのではないでしょうか。
と、事例を交えてお話ししました。

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そんなお母さんの一大決心から、家族の、息子さんの動きが始まったご家庭はいくつもあります。
勇気をもって、その一歩を踏み出してもらいたいとお願いしました。

数日後に、お母さんからメールで、お母さんが思っていたこと、考えていたことよりも、ずっと色んな多くのことを思い悩み、実際の気持ちも、長々と話してくれたそうです。
そんな気持ちを知り、お母さんももっと息子の為にしてやれることがあるのではの気持ちになれたそうです。

これからの息子さん、お母さんの歩みは一歩一歩かもしれませんが、現実の動きと共に着実に進めていって貰いたいのです。
私も一緒に考えていきたいと、応援する想いを伝えました。
親を責めるという成長 [2025年06月13日(Fri)]
活動の中で、子どもが親を責め、追及するような攻撃的行動・態度は、よく見かけることです。
そんな時期を一緒に乗り越えることが、父・母・子どもがそれぞれに心の成長を進めていくことだし、何より、家族としての成長を歩んでいる証しでもあります。

何故、ひきこもりという世界に居るのかといえば、今の目の前の問題ではない、家族の問題に向き合い受容する為なのです。
多くの場合、原因を追究しない、誰か一人の責任にしないことを受け入れてから、親も子も、其々が少しずつ穏やかになり、新しい発想で、受容の方向に進んでいきます。

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原因追及は、問題解決に近づいている様でいて、心の成長を見つめる問題解決からは責任回避しているといえます。
どこかで、自分には責任がない、「親より子供に原因:責任がある」「子どもより親に原因:責任がある」と、どこかからそんな言い訳を探し出して、逃げているだけなのです。
原因追及を諦め合い、今の自分を、今のお互いの状況や気持ちを少しでも好くする関係を創ろうとすることが必要です。

「原因は私にあるかもしれない」と気付き、「でも、私一人の努力では、方法では、進め方では、未来がハッキリしない。」
そんな今後の限界を実感した時に、動きは始まります。
なのに、子どもが、母が、父が、自分以外の誰か一人に原因を押し付けている内は、誰の心も、動いて行かないのです。
泥沼化して、長期化することになっていくのです。

原因よりも、今の子どもの気持ちを、混沌とした心の世界を、穏やかにして、親子関係をゆったりとしたものへと変え:成長させるには、自分は何が出来るのかと考え行動するようになると、しかも、家族各々全員が、そんな気持ちになった時点で、心の解決への道のりを歩み始めます。

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子どもにすれば、既に長い時間、24時間365日、親から責められ、学校や社会から責められ、自分を守り、維持することだけを懸命に続けながら生きながらえてきたのです。

ある若者の叫びです。
母親から、謝りの言葉を貰って、すっきりしたいが、謝ってくれても、スッキリには至らない;限界で、腹立つ、母にぶつけても、何も返ってこない→6年前から何も変わっていない→この6年間を返せといいたい。

親や、他の家族からは、そうは見えないと思います。
しかし、ひきこもった人間からは、自分の苦しみを分かろうともせず、言いたいことを言って、責めてきているという風にしか思えないのです。
だからこそ、自分の今までの苦しみや、辛さや、戸惑いや、やるせなさや、絶望感を、少なくとも親には知らしめたい。
その実感を、その時間を、背負い、味わい苦しむ義務があると思い始めるのです。

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ところが、心のおくには、親を責めたいのではなく、自分の苦しんでいた心のやるせなさを知ってもらい、自分の味方になってほしいと、望んでいるのです。
これは社会に向かっての提案であり、抗議であり、繋がりを求めている叫びでもあります。
「親を責める」という行為は、直接社会に向かって叫べない子どもが、親を練習台にして、叫び、要求し、わがままを言い、社会での受け入れを、求める提案を始めた証明なのです。

ですから、親は子供から責任追及を、今さらされているのではなく、これから動き始め、社会に出ていくための、第一歩の訓練を:社会参加のリハビリを始めたばかりなのですから、根気良く付き合ってあげてほしいのです。

言葉は、親を責め、改善を迫るところから始まります。
しかしそれはいつしか、社会への要望であり、生き方の指針となり、今までの「自分を許す勇気」へと成長していくことで、
安心した生き方を身につけていかれると思います。
「自分の場」を、耕す [2025年02月23日(Sun)]
我が家の借家を解体して、10か月になろうとしています。
その解体後に空いた土地の活用を考えていました。
その広さを説明しますと、我が家の門を入ると、玄関まで真
っすぐに舗装された道が続いています。
借家2件分の広さが、その道の両側に空いていますから、普通乗用車が15〜20台ずつは、駐車できる空間といえます。

現在その右側は駐車場として使っていて、手前だけで5台はゆったりと置けますので、従来の駐車スペース5台分と合わせて、10台分の駐車として活用でる様になりました。
そして、左側は、木製の柵を作り、周りには実のなる樹木を植えて、真ん中を畑にしようという夢を描いています。

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その為に、粘土質の堅い土を鍬で掘り返すことになりました。
ところが、掘ると直ぐに建築廃材の欠片ブロックの大小が、
次々と出現しては、鍬がカチン・カチンと音を立てて、はじかれるのです。
また、その土の堅いことといえば、正に粘土で、水を透過すことはかなわないような岩質の土で、サラサラ・ホコホコした土とは全く異質な、そう岩の塊りかと思うのです。

建築物の下の土は、10年、20年、30年、40年、50年も経つと、こんなにも堅い土に育てられるのですね。
農業経験のある知人に聞きましたら、耕運機で耕し、あらゆる肥料を混ぜ込んで、また耕し、小石片をとり、また耕す等と、畑の土づくりだけに、3年はかかると言われました。

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さて、長年ひきこもっていた末に、社会に出る準備をしている若者は、現実という道なき道に道筋をつけていく、稚拙で、自信の持てない歩みを進めていきます。
その現実は、出来ていたことができない、考えていた通りに進まない、人の反応が怖くて自信が持てないなど、自分が考えていたこととは全く違う答えがやってくるものです。

困難に当たる度に、石をのけて、土を耕し、肥料をやり、水をやり、また耕し、2年、3年と準備しなければ、社会で生活することは始まりません。

そこから、種をまき、世話をして、肥料をやり、水をやり、野菜が育ち、実がなるまでには、こんなにも手間暇がかかることを知らなかったのです。

ひきこもっていた5年、10年、15年は、建物の下で、重くのしかかった建物を支えつつ、堅く岩のようになった土と、どこか似ている気がしたのです。

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さて、そんなひきこもっていた若者が、歩みだす為に、自分の心や体を耕し、肥料や水をやり、周りの家族や、社会資源とともに、人の手を借りながら、手間をかけてもらいながら、自分の歩みができるまで、どのように、自分の心や、周りの環境(家族)を耕せばいいのでしょうか?   

土づくりのために、自分の心の石をのけて、土を耕し、肥料をやり、水をやり、また耕すこと、周りの環境(家族)の石をのけて、土を耕し、肥料をやり、水をやり、また、耕すことを、
2年、3年と準備しなければなりません。

そんな土づくりから、家族とともに、準備を進めていくことが求められています。
社会という畑を耕す前にすることがあるのです。
そのことを、自分にとっては、我が家にとっては、どういうことなのかを考えていただきたいのです。      /かぜ
心の癖との付き合い方 [2021年12月08日(Wed)]

9月の中旬から無気力状態が、2ヶ月位続いていました。

その状態の中では、自分は能力がない、役に立たない、この活動を続ける意味があるのだろうか? 色んなこと、些細なことにまで無力感を抱いている自分を見つけ、こんなことではいけないと思うと余計に負のループに入り込むのです。

今回のうつ症状は、いつもの症状とは違っていました。
胃の痛みもあり、気持ちはやる気がなく、特にパソコン作業に入るととたんに拒否感が出てくるのです。
パソコン作業に没頭した7〜9月の記念誌編集作業の燃え尽き症候群かと思えました。

いや、原因追求は不毛だと言い聞かせ、ありのままを受け入れようと、マインドフルネスを心がける。
マインドフルネスとは、今の自分をそのまま味わい、受け止め、それでいい状態と許す作る作業を言います。

あえて、ダラダラしてみて、その自分を許す。
感覚を味わえるような、散歩をしながら写真撮影をする。
音楽に合わせ、自分の気持ちで体を動かすダンスをする。
ふっとしたいと浮かんだことを、素直にしてみる。
寒風の中、スクーターを飛ばし、雲の流れを感じる。

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私の場合はそんなことを思いつくままにしてみる。
同時に考えることを感じることに向けるように努める。

これを来る日も来る日も繰り返していると、何となく負の気持ちが薄らいでいることに、なくなっていることに気付く時がやってくる。

いつもなら、2週間もすれば、その時はやってくるのだが、今回は違っていて、2ヶ月と長かった。

胃の痛みは内科に行くと、服薬で楽になった。
記念誌の印刷が出来上がり、発送を済ますと、胃の不調は全く気にならなくなってきた。

やっぱり、そのストレスだったのか。
自分の「気にする気質」が自覚以上であることを再確認した。

自律→自分の心をコントロールする方法はいくつもあるのでしょうが、自分にあったやり方を身につけるには、自分で開発するしかないのです。

その開発の仕方を、風月庵学習クラスでは、自分の体験を踏まえて学んでいるのです。

ひきこもりからの躾 [2021年12月08日(Wed)]

私自身は躾けられたくないので、この「躾」という言葉は嫌いです。何か枠に押し込められるようなイメージを持ってしまいます。

しかし、以前も提案させてもらいましたが、見よう見まね型や、弟子入り制度の、勝手に身につけろ的な教育スタイルは、日本人に、ひきこもり気質にもあっていると思います。

「背中をみせて、育てよ」というのも同じでしょう。

「絵本の読み聞かせ」も同じと思っています。
後で感想文を書かせては、全く台無しになってしまいます。
絵本の後は後味を噛み締め、じっくりと自分の中に落としこむ作業に没頭してもらいたいと、私は考えます。
いい絵本の場では、終わると一瞬、シーンとしますから。

「絵本の読み聞かせ」のボランティア活動で、小学校にお邪魔していますが、私の読みきかせが終わると直ぐに、教師が正解を言って、説明されることがあります。
あれは止めてほしいのです。

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子どもが行動する前に、あれこれ質問し、心配という余計な注文をつけてくる親の言葉も、これに似ています。

どの様に落とし込むかは、各自違っていていいのです。
そこに正解・間違いは、存在しないし、本物の応えは自分の中の何年後かに見えてくるものだと思うからです。

一人ひとり違って、みんな正解なのである。
直ぐに答えを出してしまう教育や躾で、人生の生き方をつまらなくしてしまっている人が多く、「ねばならない!」の縛り付けに、自分から苦しんでいる様にも見えます。

折角、不登校・ひきこもりに出会ったのですから、色んな体験を細かく味わい、自分にとっての本物を落とし込める生き方を自分で工夫してもらいたいものです。

ご家族には、その個性的な発想ややり方を、身近で認め、応援してあげて下さいとお願いしたいのです。

家族内であっても、一人ひとりの考えを尊重し合える関わり方が、「自分らしく生きる力」を養う躾といえるのではないでしょうか。

困った時には、誰にでも相談出きる・助けてもらえる感性を身につけることで、多様性の社会を自分流に生きることが出来れば、それが今風の「躾」になると思うのです。
長期→支援者の協力を得て、新しい生き方に出会う [2021年03月03日(Wed)]

支援テキストを制作するに当たり、不登校・ひきこもりの状態を初期(3カ月〜1年)・中期(6ヶ月〜3年)・長期(3年以上)に分けて、総論・本人・家族(親)・支援者別に、支援に関する提案をご紹介していこうと考えています。

不登校・ひきこもりの状態、長期(3年以上)は、ひきこもり生活にある種の安心と安定を保持されていますから、本人から動き出す気持ちは、生まれないと考えてよいでしょう。
「将来どうするんだ!」と問うと、「その時になったら考える」か「生活保護で、独りで老衰」と答えます。

家族との会話もほとんどなく、子どもが何を考えているかわからないと親は途方に暮れた気持ちで相談に来られます。

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お互いの存在感を認め合うところからやり直さなければ、初期・中期の様に、自分で動き出すことへの期待はできないと思われます。

何気ない日常会話を取り戻し、気兼ねのない雰囲気を約束し、本人の味方になり、本人が出来るだろうやり方と方法で、時間をかけて、ゆっくりと家族から動き始めることです。

「お互いの存在感を認め合う」とは、お互いの存在自体に価値を認め合い、そこから少しでも生活や心が豊かになることを双方で創意工夫し、実践することに他なりません。

喜怒哀楽が表現し合える関係、喜ぶのも、怒るのも、哀しむのも、楽しむのも、生きている証拠です。
実生活で、この喜怒哀楽を家族が素直に出せ、互いに受け止め合えていますか?
それぞれに我慢や無理をしていませんか?
家族全員が、今までよりはゆったりと安心出来る生活や暮らしの雰囲気作りに挑戦していただきたいのです。

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家族が家族の育て直しを全員で始めるつもりになっていただきたいのです。
個人の生きる力は、家族という土壌の質でいかようにも育つというところを見直してください。

このひきこもり生活を新しい生活様式に変える為に、家族の気持ちを一つにして、「心を養う新たな土壌作り」が必要だと提案しているわけです。
Posted by 林 at 15:05 | 長期対応 | この記事のURL | コメント(0)
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