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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


次の寺を、次の寺を! [2019年07月20日(Sat)]

2ヶ月ほどかけて、風月庵のボランティアスタッフのYさんが、四国遍路88箇所を巡ってきた。
特に何の目的はなく、ふっと旅に出たくなったのだという。しかし、何かきっかけになること、今までになんとなく思い描いて、心に潜んでいたものもあったに違いない。

Yさんは徳島県内を歩き遍路で、18番札所:薬王寺から、高知・愛媛・香川とは、自転車で回ったという。
88箇寺あるので、朝起きて、今日巡る寺の予定を立て、後はひたすら歩くだけという。
そんな毎日を重ねていくと、色んなことを考え廻らしながら歩いていた遍路が、[次の寺に向かう]ことしか考えなくなっていたことに、ある日気付いたという。

ひたすら歩き、[次の寺に向かう]ことのみを考えるようになってくると、周りの景色や、吹く風や、草の香に、ふと気づくようになってきた様です。

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そんな時、腰を下ろして、[人生、案外そんなものかな?]
と思い浮かぶ頃、旅の終わりに近づいていたとのことでした。

今日の楽しみを一つ見つけて、それを味わうことで、一日を大切に過ごす。

そんな発想に気づかせてもらった気がしました。
私たち[ひきこもり]の生活をしている者、してきた者も、
もしかすると同じではないでしょうか?

悩み、苦しみ、めぐり巡っているものから離れ、自分の温かな楽しみを一つみつけること、少し大切にすること、そして、出きることならば、その楽しみを誰かに語り、分かち合うこと。

遍路は、そんなことを体で知り、心に刻む、もう一つの人生(旅)を味わえるのかもしれません。

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Posted by 林 at 08:20 | 支援者 | この記事のURL | コメント(0)
聞き下手・聴き上手 [2019年06月18日(Tue)]
人の話を聴くのが上手な人に、話を聴いてもらうと、気持ちが軽くなり、自分の考えが整理でき、安心できると聞きます。

親が聴き上手になることで家族の雰囲気を安心できるものにしようと学習しています。
これは親子関係だけでなく、夫婦間、男女間、異年齢間、職場で、人間関係のあらゆる場面で、活用できる技術です。
身につくと自分も生き方が楽になることを体験します。

話を聴くことを「傾聴」といっていますが、下手な人と上手な人の性格や考え方の傾向を見てみたいと思います。

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○ 傾聴が苦手な人の性格(や考え方):
・先々考える
・気遣いが出きる
・論理的に考える
・沈黙が苦手(テンポよく進める)
・信念がある(自分の考えに固執)
・答えを出したがる(何が言いたいの)
・具体的解決を探る
・正義感が強い(白黒はっきりつけたい)
・言葉を大切にする(言葉に左右され、後までこだわる)
・文脈から大まかな理解では置けない
・答えを予測し、断定している

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○ 傾聴が上手な人の性格(や考え方):
・気持ちを大切にする
・口を挟まない
・相手の気持ち・考えを聴ける
・文脈や流れで大まかな判断で済む
・気持ちの世界で展開する
・自分に浮かんだことは相手とは違うことを知っている
・相手の反応に応じて次の言葉を探す
・自分から言葉は出さない
・コンプレックス(弱み)を大切に受け止める

あなたは、どちららでしょう?

自分を変えることは、コミュニケーションを変えることと考えています。
Posted by 林 at 11:02 | 支援者 | この記事のURL | コメント(0)
学校以外の教育保障 [2019年04月05日(Fri)]
学校という制度に馴染めない子どもの教育保障を
国や自治体はゆるやかに考えてもらいたい。
 子どもが成長の中で個性的に生活する技術や生き方を学び、
身につける教育施設や制度を作って欲しい。

 私の様に集団や一斉講義で学ぶことにアレルギーを感じ、自分に合わない学び方を強いられてきたことを、誰に伝えることもなく今まで生きてきたことを残念に思う。
出きるなら、私の学び方は自分で選びたかった。
 
 小5から不登校で小学と中学は学校に行っていない若者が正社員として仕事を任されている。そんな実例を活動を通していくつも知っている。今でも高校卒業しなくても生きていけるのである。
小学・中学・高校・大学と順に進む以外に社会人となる方法は本当にないのか?そんな神話がいつまで信じられるのか?

学校だけが人生を学び、生きる術を身に付ける場所とは限らないと、私は考えている。
芸術家や芸能界では、弟子入り制度の中で生きる術を学んだ先人は多い。職人世界もかつてはそうだった。自然農を伝える学舎もある。
その世界に飛び込み、生活の中でいろんなことを学ぶ制度、
弟子入り制度で子どもを育てることが、何故教育として認められないのか?
 
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 何歳でも学びたい人には学べるようにすることが、学校教育保障のあり方ではないだろうか?
しかし、学校に行けなかった子どもが、後年小学を、中学を学ぶことは出来ない。行きたくない子どもの教育は、個性や能力を尊重されたやり方で保障されているともいえない。

 何歳であれ、どんな個性も、どんな境遇も、外国人も、学びたい人には学ぶことが出きる教育保証が求められる。

加えて、学校に行きたくない子が、自分の個性や能力に合った学びを探すところからも、教育を考えてもらいたい。
Posted by 林 at 15:28 | 支援者 | この記事のURL | コメント(0)
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