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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


「変化」とは、親を捨てていく作業 [2026年09月30日(Wed)]
ひきこもり続けている子どもに対して、本人が動かざるを得なくなる提案を、家族からすることは、どうですか?
というご相談を受けました。

それは、わたしも大切だし、必要と考えています。
しかし、そこは本人が自ら動き出すことが原則で、自分のやり方、自分のペースを大切にする必要があります。

多くの方が言う、15年ひきこもっている30歳の青年は、「中身は15歳でストップしてる」という表現も事実かもしれませんが、反面しか見ていないと思われます。
だからこそ、その面では、どんな支援を受ける必要があるのかを、時期を見計らって、丁寧に話し合うことです。

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ただし、30歳であれば、30年生きて来た、人としての経験と自覚も、そこは認めて、評価し、尊重していく姿勢をもって、話し合いを進めるべきです。

「ひきこもってる時間」は、本人を苦しめて来た時間ですが、「家族もずっと傷つけられてきた時間」だということを、お互いに認めることは必要です。

家族も、ずっと傷ついてきたから、「お互いに何とかしたい」という気持ちは伝わるはずです。
親子間の安全と安心の信頼関係を育てつつ、他の提案や新たな関わりを提案し、進めることはいいことです。
伝え方の工夫はありますが、どんな提案も、提案することは、変わり始めるために必要な勇気です。

そこを親の心配や想像で、動けないと思い込み過ぎているところはありませんか?
そう言った中で、「一人暮らしをする」提案を出していくことも、動きを創る1案としていいと思います。
あくまで提案であって、命令や押し付けであってはいけません。
ただ、新たな一人暮らしの提案は、別なスタイルでひきこもることにもつながりかねませんので、要注意です。

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動きを生み、変化し続けるには、スモールステップとしての1か月毎、3か月毎、6か月毎に、変化を振り返り、親子それぞれが、お互いに見直さねばならないとお伝えしています。

さて、お子さんへの関わり方の検討ですが、関わり方を変えてから、1か月、3か月続けてきて、変化が見られないのであれば、やり方を変える必要があります。

例えば、「おはよう」の挨拶、「生活」の一コマのラインを送り続けて、3か月が経って、関係が少しも変るところを見つけられないのなら、内容か、やり方を変えていかねばなりません。
失ってきた関係性を、新たな関係性を生み、育てることを始めようとしているのです。
「おはよう」の挨拶、「生活」の一コマラインは、その動きを創る種でありますから、芽が出ないのであれば、違うやり方に変えていかねば意味がありません。

ひきこもっているご本人に伝えたいのは、「メッセージ」「伝えたいこと」「願い」「希望」等であっては、意味がありません。
文の中に、「メッセージ」「伝えたいこと」「願い」が一言でも入っていたら、変化が始まることはありません。

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では、ご本人に伝えることは何かと言いますと「変化」なのだと、私は考えます。

家族や、親の雰囲気がこういう風に変化しているという、その「変化」を伝えることが重要なのです。
もっと具体的に言えば、ラインの文が、10言だったのが、1言になっていった変化。
「メッセージ」「伝えたいこと」「願い」が盛りだくさんの文から、「気持ち」を伝える一言へと変わっていく「変化」。その変化を伝えることです。

親が言いたいことが一言もなくなっていく、ゼロにする、その「変化」を伝えることです。

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言い換えれば、親の考えや提案を捨ててきた作業を、進めてきた「変化」を、息子さんに解ってもらえるように、表現を工夫していくことです。

そこで、なぜ、そこのポイントが重要なのかを、学んでいただきたいと思います。
そこの学び無くして、ただ続けても、変わり続ける関係性の変化は生まれてこないのです。

関係性を育てていくやり方を、親が身に着けて頂く段階が、先に求められます。
ですから、親の基本的考えに変化が起こっていないと、子どもの気持ちが動きませんから、子どもが自分の意思で動き始めることはありません。
親が変化しなければ、子どもは動き出しませんし、ましてや、動き続けることは不可能です。

それは、何故かというところを、自分の戒めとして、改めて受け止める学習を、親が始めていくことで、親の考えをいったん捨てることと、その実践に、意味が出てきます。

その自分(親)を変えるためには、親が人との交わりの中で、自分を捨てていく作業を進めることなのです。

関わり方も、続けていることで、生きていますので、変化させ、子どもの心に届くまで、伸ばしていくことなのです。
子どもの責任は、親が取れるものか? [2026年08月31日(Mon)]
その責任はだれがとるのだ!
自分でとれるのか!
そう言われて、いつも、親の、大人の、目上の、感情的な理屈に振り回されてきた。

今の私が思うに、自分の責任は、その時代に自分が余裕をもって取れる責任を果たすことで充分のようである。

それを、「責任をとれ!」という言葉で、初心者や未経験者を脅すのは、もってのほかといえる。
責任を果たせるには、果たせるだけの能力を認めて頼むものである。
本人の能力以上のものと分かっていながら、「責任をとれ!」という言葉で強要してくるのはパワーハラスメントと言われても、愛ある親心とは思えない。

依頼する方(親)が解っていなかったし、読み足りなかったのであれば、未経験な子に無理をさせていれば、依頼人(親)の責任と言われても当然である。

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私も子育て時代に、子どもに、その時の能力以上のことを強要してきたと反省しているが、もうその責任は、本人たちにお願いするしかないと、肝に命じている。

子どもの責任は、子供本人が、残りの人生で取り戻してもらうことが責任の取り方だし、人生後半の支えになる。
その子の人生の責任は、その子にしか取れない。
その責任が取れないと本人が言うなら、その自信がないというなら、すべからく、その責任が取れないように育てた親の責任である。

いくつもの社会参加に抵抗があるという現実の壁に向かい、全く何もできないのであれば、それは親の責任と言えるものだが、これから壁を乗り越える責任は、本人にしかできないことなので、親は勿論責任はとれない。

それこそ、親が子供の責任を、親の知らないところや、死んだ後まで持てることにはならない。
子らよ、親も君の責任はとれないと諦めてくれ。

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「死んだ後までは、知らないわよ!」という親の言葉もよく耳にするのだが、それなら、親が責任とれるのは、金銭的に一時の援助くらいしかできないのが正味だ。
親が責任をどこまで持てると言えるのだ?と、責任追及をしてみても、やはり意味のないことだ。

しかるに、責任が取れないのは、お互い様である。
親の責任を子供はとれないし、子どもの責任も親が取れないことを、先ずは認め合おう。

親の責任は親が取るよう努め、子どもの責任は子供が取るように努め、互いに、その結果を比らべて非難するのではなく、その工夫と努力を認め、評価し合い、補い合うところを見つけようではないか。

誰も、人の責任に対して、他の人が責任はとれない。
自分の責任は、自分でとるしかないのだ。
それでいいのだ。

その責任の取り方を、余裕をもって、今の本人の能力でできるように、段階をもって、本人が安心して取り組める提案と、サポートをするのが、先人や、社会や、教師や、支援者や、親の役割であってほしいと思うのです。
「答え」を求めないコミュニケーション [2026年06月01日(Mon)]
日常の何気ない会話を生みだす為には、家族間で話し合う時に、家族間でコミュニケーションの練習:訓練に挑戦していただく意識を持ってほしいのです。

ひきこもりの子どもを持つ家族やスタッフが、生活の中
で、まず初めにぶつかるのは、そのたわいない日常会話ができないという寂しさ:やるせなさ:現実です。

 私たちは、話をするには言葉がなければ、言葉のやり取りがなければ、コミュニケーションができないと思い込んで、もう術がないと決めつけていませんか。

 私たちが普段使っているコミュニケーションは、「言葉:情報:考え方」のやり取りから、情報を整理し、正しく理解をして、それを実践するために情報交換しながら、実行して、善き答え:最善の結果を求めています。

私が提案しているのは「答え」を求めないコミュニケーションです。それがたわいない日常会話に繋がります。

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何故「答え」に意味がないのでしょうか?

1;他人(親)が出した答えには、必ず「NO!」を唱えて、本人が実行することはないからです。
いやいやながら実行しても、続けられることは望めないので、意味がないのです。

2;何度もお伝えしていますが、自分で決めていただくことと、その自分で決めることを積み重ねて、本人が自ら自分の答えに納得することが必要だからです。

他人が言った提案に素直に従うことはありません。
まず、よく解らないながらも、やってみようということはないのです。
「考えに考えて、失敗することはない」と、自分の中で結論を出せなければ、実行することはないのです。
いつも、「失敗したらどうする?」の不安を抱えたまま、何かを始めて来たし、今もそうだからです。

いつも、自分が決めて、自分のやり方で、自分のペースで進めることがなければ、問題を投げ出してしまいたくなるからです。
そういう性分:身に付いた生き方なのです。

「言葉:情報:考え方」での提案は、全て答えは、自動的に「NO!」「嫌!」なのです。

では、会話は始まらないと、おっしゃられると思いますが、そうではない会話方法を提案します。

お互いに、「気持ち:感情:雰囲気」の思いを込めた言葉で表現することから、コミュニケーションのやりとりをやり直すことなのです。
「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を一つ選んで投げかけ、「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を求めつつ、「気持ち:感情:雰囲気」の言葉で伝えてもらう熱意を示すことです。

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「気持ちのいい風だねえ」と声掛けをすることです。

しかしながら、「気持ちのいい風だねえ」との言葉を、かけるのではないのです。
自分が感じた「気持ち:感情:雰囲気」を込めた言葉で、話しかけることです。
言葉は、同じ「おはよう」でもいいのです。

そこを、「なぜ早く起きれないんだ!」と、解決を強制するような態度や口調で呼びかけては、拒否されます。

(良い風だね?)を感じた気持ちで「おはよう」という

(早く起きて!)と解決を願い、「おはよう」という

同じ「おはよう!」の言葉の伝わり方が、相手にとっては、全く違って伝わることを発見してください。

「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を見つけて、色んな会話で使い込んでいって下さい。

「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を身に着けて、この言葉でのやり取りが生活のいたるところで始まると、何気ない日常会話もでき始めていることに気付く筈です。

「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を、投げかけ続けていく生活を、じっくりと観察してみてください。
見守るとは、そういうことだと思います。
その違いが、いかに大きかったかに、気付かされることになるでしょう。   
世間の「普通」に縛られている [2026年01月19日(Mon)]
私たちは、「普通でしょ」という言葉をよく使います。

普通のことが普通にできて、当たり前でしょ。
それができないのは本人の努力が足りないのだという意見が聞かれます。

私達は、自分が何の気なしに出来ることを普通と言っていますが、誰しもが普通にできるわけではないのです。

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うちの奥さんが、組み立て式家具を買って、「組み立てるのに1日かかると思いますが、時間をかければできますので、頑張ってください」と店員さんに励まされたそうです。

奥さんは自分がイメージできないことは、無限の不安が広がっていく癖があり、孫二人に、その組み立てをお願いしました。
ところが、二人は1時間であっさりと仕上げてくれました。

1日かかるのが、定員さんの普通。
2日がかりになるだろうと考えたのは、奥さんの普通。
1時間もあればできると判断したのは、孫たちの普通。

20歳を過ぎて、自分の部屋の片づけが出来るのは、世間の普通と言います。
自分が毎日の生活に追われて、1月に1回、なんとか掃除をしているお母さんは(当然自分はしたくてしているわけではないので)いやいやしている人ならなおさら、「どうして自分の部屋くらいは片づけてくれないの!」と、怒ってしまいます。

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自分が苦手な人は、「もうする気がないから」「生活は出来ているから」「自分が我慢したらすむから」と、自分の普通に、たくさんの理由や言い訳をつけてきます。

そういう言い訳をつけていることが、「世間の普通」基準に縛られて、自分で自分を苦しめているように見受けられます。
あなたも、そんな「世間の普通」に縛られていませんか?

長い長い年月に渡って、親から言われてきた、学校の先生を始め、周りの大人たちから言われてきた「世間の普通」とは、本当に私の人生を、豊かに、楽しいものにしていますか?

自分が、自分の気持ちで決めて動き出し、やりながらでも、しんどいと感じることもあるが、どこか楽しくて、後からジンワリと幸せ感がしみてくるようなことは、自分が決めたし、余裕をもって続けられていることなのです。

「世間の普通」を、しなければならないことと、なんとか言い聞かせて、し始めても、言い訳ばかりが浮かんできて、やる気がどんどん失せてきて、後から、ジンワリと後悔の念と共に、しんどさが体中を包んでくるのです。
このやり方は、自分に無理をさせているやり方なので、即刻辞めるべきなのです。

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「世間の普通」という基準から、あなたがあなたを解放してあげましょう。

「あなたの普通」基準でやるには、自分の気持ちで決めて動き出し、やりながらどこか楽しくて、後からジンワリと幸せ感がしみてくるようなやり方こそが、あなた基準なのです。

そして、これからは「私の普通」基準を周りに理解してもらいながら、自分のやり方を進めていく方法や、やり方を身に着けていきましょう。

これはひきこもっている若者への提案ではありません。
その若者のことで悩んでいる親御さんへの提案なのです。
動きの連鎖が始まっている [2025年10月31日(Fri)]
風月庵での活動をしていると、時々、信じられない様なことが起き、時が過ぎると、正に奇跡といってもいいのではないかという出来事がやってくるのです。

親子間のやり取りは一切ない親子で、同じような変化が起き、別々に同じような心の動きが始まることがあるのです。
お互いに、どこかから視ていたのではないのかと思われるくらい、同じ時期に、同じようなことが起こるのです。
私たちの活動はそんな驚きの連続で成り立っています。
しかし、そんな出来事が毎月起こるのではなく、1年に一回かもしれませんが、ある親子間では起こりうることなのです。

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「動きの連鎖」もまた、それに似ています。

私達が直接に関わってるご家族の変化だからわかってくるのでしょうが、毎月、家族会に参加されているお母さんから、「子どもが優しい言葉をかけてくれました。20年間こんなことは思いもよらないことでしたから、思わず涙ぐみました。」と、話してくれました。

同じ家族会で、訪問しているあるご家族では、一切話をしてくれなかった息子さんが、数年ぶりに、お母さんに話をしてくれました。
「その時は驚きましたが、普通にやり過ごしました。後で思うと信じ切れませんでした。」と、お母さんはその時の気持ちを興奮して話してくださいました。

同じような時に、ある若者に、就職の話がいきなり舞い込みました。
自分が長年ひきこもっていたことも了解してくれて、面接もしてくださり、慣れるように、少しずつゆっくり勤務に慣れていってくれていいという、理解のある内容でした。

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地球のマグマレベルの影響か?
季節の気候変化の影響か?
社会事象の変化が影響しているのか?
各家庭が風月庵を通じてリンクし、共鳴しているのか?
ある家族が動き出すと、不思議に他の家族も動き始めることが、よくあるのです。

そして、連鎖するように、各家族がそれぞれ動きを始めます。
逆に、動かない時は、どのご家族も動くことがないのです。

この10月、連鎖して何組かのご家族が動き始めています。
貴方の家でも動き始めていませんか?
丁寧に、丁寧に、自分の、子どもの、親の、家族の、変化を見つめてみましょう。
何かヒントが、チャンスが、動いているかもしれません。
男は黙って、サッポロビール [2025年08月02日(Sat)]
黙って見守り…微笑む。
「男は、黙って、サッポロ・ビール」というコマーシャルがありました。
当時は、男らしさの表現として、もてはやされました。
今なら、パワハラか、モラハラと若い子に指摘されそうです。

私の個人的見解ですが、この表現は、「男なら、細かいことは言わずに、行動で語れ!」という解釈ですが、男に限定しているところが、ハラスメントっぽいと言えます。
私は、ひきこもりの状態にある若者の親御さんの姿勢として提案したいのです。

グチグチ言わず、黙って見守り、まずまずできたのなら、大きな気持ちで「よかったね!」と一言で、今までの努力をまとめて労ってあげてほしいのです。

ここで「よくやった!」と、結果を褒めるのは、ご本人に次の結果を要求してしまい、本人への負担を作ってしまうので、そこの視点は要注意!なのです。

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この黙って見守ることが至難の業なのです。
「祈りつつ、待つ」の心境に尽きます。
極めて、宗教的な極意と言っても、まんざら的外れではないくらいなのです。
それほどに、不思議で、奇跡的な出来事を生みます。

黙って見守っている姿勢には、「問題を解決できるのは、本人だけだ」というご本人の存在を丸ごと信じて、ことの流れの全てを、ご本人に任せているからできるのです。

そこには、出来る、出来ないという結果を気にする葛藤が、気持ちの中で戦い、常に行き来しています。
それなのに、ご本人を信じようと、口も、手も出さない。
それでも見守り続けて、応援してくれると実感できた時に、ご本人に奇跡的な決断が、天から降りて来るようです。

本人の自主性に任せ、本人のやり方に驚いても、そこに気付いたことを認め、今後の成り行きを見守ります。
出来る、出来ないも、本人が決めるまで待ちましょう。

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お互いが楽しくなります
私達外野は「安全・安心の環境」を温めながら、ひたすら、祈りつつ、ただ待つという精神力、人を信じられない人を、最大限の可能性を信じて、待つことで、伝えるのです。

その「安心・安全の環境」が、本人の心を温めていることを見つけてください。
さすれば、目の前の塵を気にせず、未来が見え始め、さらに温めることに専念できると、面白くなってきます。
人が、ポロリ、ハラリと変わっている音が、変化が、響きが、伝わってくると、私たちはワクワクしてきます。

社会への、人への信頼を、その温かさで、自らが育ってくれる変化を、見つけて、耳を傾けると、お互いが楽しくなります。
お互いが楽しくなってきた変化は、成長と言えます。

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人は黙って、どう伝える
そこは、祈るように、待ち続け見守るエネルギーが積み重なり、少しずつ溢れ出るようになると、そのエネルギーはお互いにあふれ出ることに気付くはずなのです。
それが、外の世界への第一歩がやってきたのです。

これは、大きな第一歩になります。
この「よくやった!」は、結果や成果に対する評価や判断で、終わってしまうのです。
「よかったね!」に、評価はなく、気持ちの共感なのです。

自分で考え、自分でやることを決め、自分のやり方で、自分のペースで進め、自分の何かしらの達成感で、今を迎えている。
その経緯や、プロセスに対する、ご本人の絶え間ないエネルギーこそ、「よかったね!」と、ねぎらいの想いを、言葉とせずに、黙って伝えてほしいのです。

黙って、伝えることを、自分から作り出してみてください。何かを伝えたい人が身近にいるのでしたら。

人が黙って、何かを伝えた瞬間から、未来が始まります。
「私」発信メッセージ [2024年12月16日(Mon)]
「私と話をしてもらえないのです。」と、あるお母さんが、
「どうするすべもありません」と、相談に来られました。

同じ家の中でいても、会話ができないのです。
「話ができないのなら、もうどうすることもできません」と、訴えておられるようでした。

必要なことはラインで伝えてきますが、必要なことだけで、「元気なの?」と、一言送っただけでも、返信はありません。
最近では、ラインだけが唯一のコミュニケーションなのに、返事をしてもらえない時が増えてきました。
どうしたらいいのでしょうか?

私がそのラインの内容を受け取ったとしても、同じように、一方的に切ってしまうと思います。

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それ迄に、子どもは、何度も話をしようと努力し挑戦したが、何度も裏切られて、聴いてもらえなくて、親から相手にしてもらえなくて、もう諦めてしまった経験が何度もあります。

返事をしても意味がないし、余計に傷つくだけならしないと、確信を持っていて、これ以上は、傷つかない方法をとっているだけなのです。

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そこで、提案されるのが、傷つかない方法があることに出会ってもらうことです。

それが、「私」メッセージです。

「寒くなりました。ストーブを出してきました。」は、「私」メッセージなのですが、「寒くなりました。風邪をひかないようにね。」は、「あなた」メッセージになります。
その違いを意識してもらいたいのです。

「私」メッセージは、安心できるが、
「あなた」メッセージは、拒否されるということです。

「私」メッセージは、「私」のことを伝えているだけで、「あなた」に、メッセージはないのです。
「あなた」メッセージは、お節介、要望、お願い事、あるいは、要求、追及、命令として受け取られてしまいます。

「あなた」メッセージには、圧を感じるし、自己防衛をするように反射的に心が動いてしまうのです。
それでは、親の気持ちや本音が子供に届くはずもありません。
まず、この鎧(壁)を取り除かなければ、コミュニケーションが始まることはないのです。

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そのためには、「私」メッセージだけを送り、責められることはない、要求されることもないメッセージを送り続けることで、送るメッセージに、安心感を持ってもらうことから始める必要があるのです。

「私」メッセージは、「あなた」を傷つけませんが、「あなた」メッセージは、「あなた」を傷つけているのです。

「あなた」を気遣うことも、「あなた」に、何かを求めていることになると、忘れないでほしいのです。
「あなた」に、何かを求めるのではなく、「私」からのメッセージを伝えたいことだけに注意を払ってください。
「ファシリテーター」の役割を持ちつつ [2024年10月29日(Tue)]

会話に入って行くマナー
お母さんと、子どもが話している場面に、いきなりお父さんが入ってくる場合とか、その逆の場合も含めて、会話に入って行く時のマナー:必要最低限の配慮を求めなければなりません。

「ごめん!今は、〇〇と話しているから、一旦話を終わらせて、一緒に話しましょう」と、「3」の人へのお願いと、相談が必要です。

逆に、3の人は、「1対1」参加者に敬意をはらい、配慮する事で、互いに、安心・安全の「3」の会話を始める事へと、繋がります。

キャッチボールや、「第3の答え」
それでは、「1対1」は、そのような配慮や工夫が必要ないのでしょうか?
一番大切なのは、会話がお互いの一方通行になっていないかということに注意することが必要です。
話がキャッチボールで、そのやり取りに楽しさを感じ合えて
いるのかを意識して見守る視線を忘れてはなりません。

 基本的なファシリテーターとしての役割は、「1対1」では、双方共で、その役割が可能ならよいと思うのですが、そうではないことの方が多いようです。
 その場合は、相手に対して、自分がファシリテーターとしての役割を担う事を決心し、話の進行や、キャッチボールのやり取り、「第3の答え」や話題が出るような展開になっているのか? 等を、自分と相手とに問いかけながら進めることで、話が活発になることに挑戦してみましょう

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「3」以上の人間関係を支える目線
「3」以上の関係や、会話では、ファシリテーターは、なくてはならない存在となるでしょう。

先ず、大切にしなければならないことは、参加者は、誰もが、「対等」であり、「敬意」を持って扱ってもらえる事が、保証されている必要があります。

その点をお互いに認め合い、それにそぐわない態度や言葉掛け、言葉使いには、真摯に受け入れて、お互いを大切に扱う努力を重ねる事で、その「場」が温められるのです。

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「場」は、誰かが努力や工夫をして生まれ、作られたりするものではありません。

その場に参加している全員で作られると考えるべきです。
その仕掛けをしたり、見守りをしたり、時には修正をして、「場」が動く様に勤めるのは、ファシリテーターとしての役割:仕事といわなければなりません。

ファシリテーターの仕事は、植物を育てる時の土の管理をして、植物がすくすく育つ様に手をかけることですが、手はかけすぎると自分が育つ力を奪ってしまう事にもなりかねません。

そこは、なかなかに難しいのです。

安全・安心・信頼のある「場」を温める為に、私は、活動の場で、支援の場で、家庭の場で、親子の場で、「場」を温めて、育てる役割を、どう進めることが、皆を、各自を大切にする関わり方になるのだろうかと、そういう目線で観るように努めています。
努めると、出来ているとは違いますが、務めています。。

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ファシリテーター学習として
風月庵活動の中で、「こころの会」というグループ・カウンセリングの試みを、長年積み重ねてきました。
 5〜10人程の参加で、4つの守って欲しい(気にかけてくだされば、OK!)ルールをお願いして、基本は、各自のニックネームで会話を進めます。

・会での話は、個人情報を尊守し
他所では口外しない

・話す人以外の全ての人は、そのまま聴く
 終わるまで聴く(常に話している人は一人)

・質問に対する応答はせず、自分の経験や
気持ちを大切にしたことのみを話す

・司会・議長はおかず、ファシリテーターが
「場」の調整を行う

私は、「こころの会」で、ファシリテーターの役割を担当させてもらい、多くのことを学ばせてもらいました。

また、教会での話し合いの雰囲気が、以前に比べて、随分と話しやすくなりました。
毎週日曜日に、礼拝という集会があるのですが、ここでの「分かち合い」という話し合いの時間があります。
その内容が豊かに広がっているのも、教会員として賜物です。

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家族や親子でも、話すことに不安や苛立ちを持たずに、話を進めることができるようになっています。

家族や、職場や、何かの集まりで、自分がファシリテーターとしての役割が、少しずつ担えるようになっていけば、もっと話し合うことが、豊かに広がり、自分も楽になっていけるのではないでしょうか。
「1対1」から「3の場」に [2024年10月12日(Sat)]
「1対1」から始まる
1対1の関係作りも「場」を作ることを意識するところから始めます。
この「場」は、両者間に漂う空気感や、気持ちでの安心感、関係性の信頼感等と同じ意味を持つと考えています。

日常の会話や、やり取りの中で、「安全」と「安心」と「信頼」が、そこはかとなく空気に漂い、心の奥でジンワリと響きあっているようなエネルギー(動き)を感じあえている状態だともいえます。

「場」作りは、そんな「1対1」の関係作りから始まります。

それは、支援者と父、支援者と母、支援者と当事者、支援者Aと支援者B、父と母、親と子と、それぞれの関係において、「場」を作り、豊かなものに育てていき、互いが刺激し、支えあえる関係へと成長させていきます。

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「1対1」から「3の場」へ
「1対1」で生まれた「場」を実感しつつ、成長させていくのですが、そこに広がりを持たせることが「3の関係」への発展です。

皆さん、家族、仕事場の同僚、趣味の仲間、諸々のコミュニティでの集団の関係性の中で、安心でいて、安全に関わりを進展させる事は、誰でも容易ではありません。

特に、私たちタイプの人間は、その技術や感覚が分からないから、コミュニケーションで悩み、戸惑い、苦しんできたのですから。

「第3の人」の表現・理解能力を計る
集団の多くは、「3」以上の関係と言ってよいでしょう。

いよいよ、3の関係作りが始まります。
自分と相手との「1対1」の関係を意識しながら、同時に、もう独りの「第3の人」の存在や、話題の情報共有が出来ているのか?
2人の会話に入ってこられているのか? 
時々は「第3の人」に話題を振り、問いかけたりしながら、「3」の会話が、「場」として温まっているのか? 
共有できているかを確かめ、サポートしながら話を進めます。

「第1の人」は、「第2の人」との会話を進めながら、同時に「第3の人」の表現や理解能力を計り、スムーズに会話に入ってこられる手助けやチャンスを作り、話を進めます。
これは、見えにくい、難しい役割なのです。

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「場」に、ファシリテーターの役割
話を進める時に、そういう話の進行と動きを手助けし、話しやすくなるように調整する役割が必要です。
その役割を担う人を、「ファシリテーター」と言っています。

ファシリテーターの役割が十分に反映されていると、話しやすいばかりでなく、言葉遣いや、発想も緩やかになり、信頼を持って、その話の「場」に居られて、安心して積極的な参加へと促されていくことに成ります。

「3」の場に入る時の配慮
「3」の場では、特に「1対1」の話の中に第3の人が入ってきた場合は、第3の人への配慮や、気遣いが必要となります。

同時に、「1対1」から「3」の場へと、雰囲気や会話の流れを説明し、「場」を作り直すことを始めます。

第3の人が参加することを認められるのか?どうか等、暗黙の中でことを進め、其々が了解できるところから、「3」の場を整え、温め、会話を始めなければなりません。

そういう意味では、「1対1」の会話の場に、第3の人として入っていく場合は、周りから様子を伺い、「1対1」の2人に了解を得る手順を経る等の、会話に入る許可を貰う必要があるでしょう。                  →つづく
「ひきこもり」は、動かないのがいい! [2023年05月30日(Tue)]

「もう、自分は、どうなってもいい。」「どうかなる筈もなく、存在さえなくなればいいのに」「どう考えても、失敗するしか頭に浮かばないから」「とりあえず、死ねないから、生きているだけだから」等と真剣に思いつつ、全てのことに諦めている人の心を動かすのは至難の技であろう。

「動きたくない時は、動かないのが妙案である」
 良寛禅師のコトバに似たようなものがあった。

はてさて、そんな思い、気持ちに時間をかけて、てこをねじ曲げ、動かしてきた自分(私自身)は、一体どうしてここまで来たものかと振り返ると、頭を抱えてしまうのです。

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 動きたくない人間を無理に動かそうとすると、お互いにストレスになるのは当たり前ですね。
 ぶつかり、お互いの感情もすり減らすことになりますね。
 そんなことが続くと、憎しみも生まれたりしませんか?

 正直、ふっと、動きたくない気持ちも分からぬでもないのなら、いっそ、認めて、「お互いに、動きたくない気持ちは分かるよ」までで止めておきませんか。

 そこを、自分だって動きたくないところを、これではいけないと、自分に言い聞かせて頑張っているんだから、あなたも頑張って生きろ! 等と、自分の考えを押し付け始めるところから、関係が、気持ちが、ややこしくなってくる。

 人は動きたい時に動き、動きたくない時には動かぬ方がよいと、そのままに読み込めれば、それでいいのだ。
と、バカボンのパパの言葉が、天から降りてくる。

 しかし、凡人の我々は、それでは人に迷惑が掛かる。
自分の食いぶちくらいは自分で稼ぎ、自分の身の回りのことぐらいは他人様の世話にならず、自分の及ぶところで満足できてこそ、一人前に生きているといえるらしい。

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 誰がそんなことを言い、現実離れの教訓がまかり通るのだ?
 しかし、しかしだ、今の世の中で、他人様に迷惑をかけずに生きていられる人は誰もいない。

それならば、50歩100歩の違いであり、それ程の違いはなく、皆、全ての人間は他人様に迷惑を駆け回って、何となく、其々に、命をつないで生きていると、神の目からは見えるのでありましょう。

私は、何を言っているのでしょうか?
ただ、真剣に、
「動きたくない時は動かないのが妙案である」と、
1週間だけ自分に言い聞かせてみませんか?
その結果、どんな風に自分が変わっていけるのか、冒険するのは恐いですか?

でも、ひきこもっている若者に、冒険をしろ・挑戦しろといい続けているのは、「動きたくない時は動かないのが妙案である」と、言い聞かせる冒険(挑戦)をしていないあなたと、同じようにも見えるのですが・・・。

今回は、すごく投げやりな内容になってしまいましたね。
すみません。
そんな時もありますよねと、許していただけると助かります。
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