• もっと見る

風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


「ハラスメントではない!」とは言えない [2026年08月18日(Tue)]
色んな種類のハラスメントが、世の中で広がりつつあるのは、いいことだとは思うのです。

私自身、子育て時に、子ども達のために善かれと思ってやっていたことが、今の私の視点で見つめ直し判断すると、明らかに「ハラスメント」と責められてもしかたないことが多々ありました。
周りの状況や、私の身勝手な判断では、当時当たり前と信じていたことが、配慮が行き届いていたようなことが、今では自分勝手に思い込みで判断した誤りではなかったかと知り、自分自身が、情けなく、辛くなります。

家族会・コミュニケーション学習会で、親御さんの言葉から感じる、ハラスメントの臭い。

親が放つ「子どものために言っていることだから、よく聞いて、自分でよい判断するように。」との、一見優しそうな表向きの言葉とは違った思いが見えてきます。
「親の言う通りしないと、あなたの不利益になる」と断言し、どこか子どもを脅している言い回し、遠回しに強要しているのと同じではないのか?と、今の私には、思えてくるのです。

CIMG0297.JPG

「自分がやりたいのなら、自分の責任でやりなさい。」と言われたので、子どもなりに考えて提案してきました。
その答えを聴くと、間髪入れずに、「私のやり方に反することを選ぶのなら、私は親として一切の責任を持てないし、今後は祖父母を親と考えたらいい!」といって、娘に親の意見を強要したのは、過去の私です。
そればかりか、娘が大切にしていた私への安心や信頼を裏切るような発言や態度をぶつけていたことにも気づいてはいなかったのでした。

そのような経験を何度も重ねた娘は、それがトラウマになっていることも、私は知っていた筈なのに、つい半年前、「自分が決心したら言ってきなさい。その上で、話し合おう。」と、言葉は違えども、同じ様な、切り捨てるような態度をとってしまいました。

娘の気持ちを支えるような対応を心がけてきていた筈なのに、結論の一言で済まし、悩む気持ちや戸惑う揺れを聴くという大切なところを聴けずに、ピシャリと拒否してしまったのでした。

正に、後悔することになりました。
ここ10年近くは、娘が自分のことをそのままに相談してくれるように接しようと心がけてきました。
そのような感じになっていたのに、何故あんな言葉で、態度で、言い放ってしまったのか?

CIMG0541.JPG

今は、本当に申し訳なく思っています。
しかし、そのことさえも、娘から電話があった数か月後に、やっと気付いたこも重ねて悔やまれます。

気持ちに寄り添い、そのまま聞く:傾聴の学びを続けてきて、今回の講座を受けて気づけたのかもしれません。

今までのことを、心から私が娘に謝れるときは来るので
しょうか?

折角、10年かけて育ててきた信頼と安心を吹き飛ばし
てしまった私の一言を、「ハラスメントではない」と、「子ども想うあまりに出た言葉だ」とは、今の私には、やはり言えないのです。
物の哀れを知る心 [2026年01月07日(Wed)]
明けまして、おめでとうございます!
今年は、正月気分も味わう余裕もないまま日常生活に戻ろうとしています。

それでも毎年の慣例でもあり、2日には書初めを楽しみ、
2種の作品を仕上げました。
去年を振り返り、今年一年を望むときに、心に浮かぶ想いや言葉やイメージから、その年の文字を決めていきます。

ひとつは、私が活動の中で、自分の想いの芯(真意)なっているものを見詰めて探します。
もう一つは、信仰の中で、自分の心のあり様に感性を合わせ、浮かんでくる想いを言葉にしてみようと試みます。

私が活動や信仰で立ち止まり、感じている、考えていることに焦点を当てて、自分の中に、浮かびくるものを探すのですが、今回はキリスト教の機関紙「風:プネウマ」の文章からヒントをいただきました。

それが「物の哀れを知る心」と、「大自然の生命の海」でした。

CIMG0458.JPG

「物の哀れを知る心」を一言でいうと、「造化:ぞうか」と、私は理解しています。
その言葉との付き合いは長く、初めて出会ったのはキリスト教に出会った45歳の頃に、良寛の詩に見つけました。

「物の哀れを知る心」を作句(作歌)の世界でいうところの、芭蕉が「造化:ぞうか」と提唱し、広く知られるようになったと聞いております。
「万葉集」では、その心を読み取れるが、「古今集」以降の歌にはその心がないと、良寛は言っていました。

それを体現したのが、観阿弥・世阿弥の「能」や、千利休の「茶道」には、その心が基となり活かされているという。
それこそが日本人の文化:心、そのものだと、本居宣長は言うのです。

若い時から、「日本の心とは、何か?」を考えてきた私は、彼らの意見に耳を傾けつつも、自分の理解や、自分の身になる言葉に出会うように、今も探求を続けているのです。

明治以降の日本の政治は、文化性が失われてきて、いかんともしがたい思いを持ち、今の日本の文化について、今後に辛さを感じていたのは、私だけではなかったと、納得したのでした。
その兆候は江戸末期の本居宣長や、良寛も同じ危惧を抱きながら、未来に託して、書や詩にしたためて来たのかと思うと、心打たれる思いがします。

CIMG0456.JPG

もう一つの「大自然の命の海」は、私の理解では、一言でいえば、「風:プネウマ」となります。

「造化:ぞうか」という言葉にも、創造主とか、大自然の産物とか、その働きとの意味が含まれています。
「風:プネウマ」は、「魂」という意味もあり、個人の魂でもあり、宇宙に広がる生命の全ての魂とも言えます。

ですから、私の理解では、この二つの言葉は繋がっており、同一視もできるのです。

これらの言葉は、今の私からすると、目の前の些細なことをじっくりと観察し、味わっていると、生きること、生きる意味の真意が伝わってくるのだと受け取れるのです。

活動では、日常の些細な変化を、驚きと感動で受け止め、良いことも悪いことも、全体の視点からバランスをもって見直し、人は、おのが人生をゆるりと楽しみながら生きることとして、「おもしろい」と共感していく私でありたいのです。
繰り返し、家を出る、その先 [2025年10月20日(Mon)]
「まだ、息子が帰ってこないのです。」と、あるお母さんから、夕方に連絡が入りました。
いつもなら帰っている時刻を過ぎても帰ってこないし、連絡もないので、心配されていました。

もしかしたら、家出したのかと、私は思いましたが、そんな動きも感じていなかったとお母さんも仰るので、もう少しだけ待ってみましょうと言って返しました
そんなところに、ラインが入り、「今東京。東京で泊まります。」とだけ知らせが入り、ほっとしました。

CIMG0199.JPG

知らせてきてくれたということは、家出ではないのですが、私は「やっぱり、家出かな?」と、感じていました。

私の若い時を思い返すと、昔の若者は、外にひきこもり、一人旅に出ていたと思うのです。
今の若者は内に(家の中で、心の中に)家出して、ひきこもっているのかなとイメージすると、若者の気持ちがわかるように思えたのです。

その家出した「家」と、ひきこもった家の「家」は、もしかすると一緒の「家」ではないのか?と考えると、何となく納得できたのです。

時代が変わり、環境や、表現や、理解の方向性が多様化する中で、同じことを全く違う、正反対のこととして確かめ、体験して吟味しているのではないか?と、いつのころからか、考え始めていたのです。

CIMG0390.JPG

そうみてみると、ここでいう「家」とは、生まれて、この方住み慣れた、育った家の、育った時代の価値観が、この「家」という塊りなのではないか?と、想い至ったのです。

私は、10代では自分の部屋にいつもひきこもっていて、18歳の1年間は、下宿先でひきこもり、大学への不登校をしていました。
20代は家出をし、また舞い戻っては新しいことに挑戦したかと思うと、途中で投げ出し、また家出をすることを、繰り返していました。
30代では、新しい自分の価値観で生活し始め、40代からは自分の生き方を模索し始め、50代から今の生活スタイルが、緩やかに始まり、定着してきたように思うのです。

この私を縛り付け、私が抜け出し、自分の生き方を求めてやまなかった〔この「家」からの脱出(卒業)〕の為に、繰り返してきた、ひきこもりと家出は同じ作業だったのではないかと、こんな経験を持つ私だから思ったのかもしれません。

CIMG0689.JPG

先ほど話題に上った若者は、東京から北海道まで行き、最北端を目指していたが、「もういいや!」と途中断念して帰ってきたそうです。

そんな彼を見て私は、「その内にまた、行きたくなったら家出をしたらいいよ!」と自分の過去の体験を思い出しながら、懐かしく「家出のススメ」を語ることになったのです。
 なんか、ピリピリとしてしまう私なので [2025年10月15日(Wed)]
CIMG0083.JPG

自分でもどうしようもなくイライラしていて、命令的に何か言われると、その内容に関係なく、怒りっぽくなってしまっている自分がいて、情けなくなります。

先日も私の通う教会で、些細な規約改正について、ある人が提案した意見を、満場一致で即決したのです。
教会から帰宅して、モヤモヤと湧き上がるものがあり、何か引っかかっているのでした。

その提案者に腹を立てているのではないのですが、もしかすると、そうかもしれませんが、それにしても思った以上に腹立たしさが大きいので、「自分の中に何かがある」と思うことにして、自分の気持ちを見つめてみました。

ひきこもり特性を持つ者として、自分をないがしろにされたのではないかとの被害者意識も思いましたが、そんな不安も感じつつ、どうもそうではないと思われました。

CIMG0222.JPG

考えている内に解ってきたことは、提案者が無理にその日に決定して、規約にし、すぐに実施するようにというニュワンスで、やり取りが進んでいったからなのではないでしょうか?

確かに、私は、その規約の内容について話し合っている時に会議を退席し、決定されたことをはっきり記憶になかったのも正直なところでした。
「私は、その内容に同意していない」と、思いつつも、同意したようにも思い、どっちだったか考えあぐねていたのです。

そういえば、彼が何故か急いでこの規約を通そうとしていたようにも思われ、提案者は何か意図(想い)があり、急いだのではないかと想像してみました。

しかし今までなら、私の想像の範囲内では納得できる場面が浮かばなくて、くよくよと悩んでは、自分の中だけでグルグルと回って、気持ちを複雑化させてきました。

そこからが、わたしとしてはポイントで、ラインで、その規約を再度議題に挙げてほしいと、勇気を出して提案しました。
そして、私のような物忘れ役員も増えてきていますから、規約の決定は、役員会で3回以上は協議していただき、その結果を、1〜3か月実際にやってみて、全員が納得いく様なら規約として決め、今後も実施していくことを検討していただきたいと考えるようになりました。
その辺で、私の気持ちはほぼ落ち着いてきました。

CIMG0185.JPG

私のことを無視された訳ではないのですが、そんな感じも受けて、私が誤解していたのかもしれません。
そして、その提案者も、もう一度話し合いましょうとの返信が返って来て、私の気持ちも落ち着きました。

奥さんに、その流れを話すと、私の気持ちに同感してくれながらも、「そこまでこだわることもないと思うよ」と、たしなめられ、「スッキリしなかったのだから、仕方ないね。それでいいと思う。」と言ってくれ、ほっと安心しました。

イライラしていると、直ぐ感情的に反応し、自分勝手な理屈を掘り出してきて理由付け、自分の中だけでグルグルと、悶々とする私のひきこもり特性に出会い、戸惑いましたが、今回は、改善できる方法を見つけたと思うと、ニヤリとできました。
「質素な素食」と、「粗食」のその後? [2025年09月18日(Thu)]
自分たちの生き方を求めて彷徨う暮らしから、
質素で粗食な食生活は、その後どうなるのか?

私が次世代に、林家を残すという使命の下、残され財産と妻の借金とで、新しく小さな家を建てることになりました。

私としては、両親から譲り受けた、土地・建物と金銭に感謝しつつも、この物価高騰の時代に家を建てることは、我々ではかなわぬと、何度か諦めつつも、前に進めています。
ただ、今も正直、苦心をしていますのも、事実です。
何故なら、この土地には2重3重の法的縛りがあり、いくつもの条件を越えて、やっと建築許可が下りた土地だからです。

いくら土地建物があっても、管理費・維持費・消耗品費と、それに税金、今後死ぬ迄の負担が、私達にのしかかってきます。
そんな無理をして、小さな家を建てるのは、母の願いでもあったと、私は受け止めているのです。

CIMG1096.JPG

母の声で残っている言葉に「右隣が新しい家を立てたな・・・。家を建ててないのは内(我が家)だけじゃな・・・。」と、ぽそっとこぼした言葉が、長男の私の耳について離れないのでした。

林家を継ぐ役割を考え始めてから、家を継ぐという事は、管理者が次の世代に土地・建物とその維持費を繋ぐ事であり、それが適って始めて、次の代が、またその次の代へと渡す事が出来るという事に至りました。

恥ずかしながら、そんな類の事は一向に考えず、(私は継がないと宣言していた)人生を気ままに過ごしてきた私には、とてつもない大きな宿題を渡されたことになりました。
それが、何とか人生の終わりになるが、次の代の為に小さくてもいい、家を建てようという想いが固まったのでした。

IMG_2527.JPG

という事は、食べる事、呑む事に、自分なりの趣を持って生活していた私ですから・・・。
私なりにですが、日常の朝・昼・夕の食卓は勿論、外食先にも、それなりのこだわりを持っていました。

頻拍した財政環境の変化は、そんな私達の食生活を考え直さねばならなくなりました。
加えて、ここ2年間の物価の高騰率は目を見張るものがあり、あらゆる食品が5割増しになっている位です。

朝食はお茶漬けか、卵掛けご飯。昼食は、カップ麺。夕食は、おかず1品に漬物と味噌汁で、切り詰めていこうとなりました。
我が家の「粗食」生活の始まりです。

IMG_2528.JPG

確かに、「素材を生かした菜食中心の食生活が、老後に向けてできるようになればいいね。」と、妻と語り合っていました。
野菜は殆ど自前で作ろうと、夢を語っていました。
私達が本来目指していたのは、「素食」生活であり、質素でも、素材の味と新鮮さを活かした食べ物を丁寧に調理して、美しく配膳し、一食、一食を味わいながら、食生活を豊かにしていきたかったのでした。

外食は、月に1回とし、脂っこい、味の濃い料理は避けることと決まりました。
あっちの店、こっちの新しい店と訪ね歩く「中華そば屋」巡りも、厳選して、月1軒だけと決めました。

それなのに、先日私が県外から来た若者と、近くの中華そば屋に行った事を、話の流れで、妻に言ってしまいました。
それから2〜3日した帰り道、思い出したかのように、「私もラーメンが食べたい!」と、眼を見据えて懇願されました。
後ろめたさもある私は、申し訳なさそうに、味噌ラーメン専門店に行ったのでした。

IMG_2533.JPG

これは、粗食の反動なのか?
食生活の変化に、体が、心がついていけないのか?
こんな事件が起こることは目に見えています。

「粗食」生活の1ヶ月が過ぎようとしています。
これは、「素食」生活へと、成長していくのか?
食の貧困に耐えかねて、ご飯に味噌汁をぶっ掛けただけの食生活を守り続ける「米依存症」の食卓となるのか。(今は、米高騰の折、それも贅沢に違いないのだろうが、米は何が何でも食べていきたいと考えると、こうなると思った)

来年は、前者になったよと、ご報告できることを祈りつつ。
160年のモヤモヤから [2025年09月08日(Mon)]
 「明治からの160年の宿題」と言っても、実に分かりにくい。
私達が、直面している不登校・ひきこもりについて考えると、「何故、学校へ行かないといけないのか?」という疑問が当然湧いてくる。

明治時代には、「なんで、学校へ行くんだ?時間の無駄だ」とも言われていた。
大正に入り、私の父は小学校へ行けなかった組で、母は、人並みに高等小学校を卒業し、洋裁の学校に通ったりもしていた。
どうも、その辺が境目で、学校に行かない子は貧乏で、家庭環境が悪いとされており、それでも、そういう家庭は珍しくはなかった。

小学校へ行き、中学校へも行けることは、本当にありがたいことで、親に、お国に感謝するべきこととされてきた。 
60年の年月を経て、「学校へなんぞ行くものか」が、「学校へ行けることはありがたいこと」となってきた。

CIMG1725.JPG

そして100年を経て、今は、苦しい思いをして、ストレスを積み重ねて、家族がいがみ合ってまで、学校へは通うべきことなのだと、言うことが当たり前になってきた。
日本の就学率は高い。そして、高校を卒業していなければ、就職もできず、生活していけないという思い込みが社会を苦しめている。

「それは、日本だけだろう」と、私は文句を言いたくなる。
私達は、何時の頃から学校へ通わねばならないという認識を受け入れ、憲法のように守らねば非国民と言われると思い込んで、自分たちを縛り付けてきたのかと、自分に問うている。

元々強い家父長制があり、家単位で統制が取れるように制度化した。
学校で教育することで、思想統制もできると考えていたのだろうか?
一家の長が決めたことは一家全員が一丸となり守らねばならないという思考パターンが、国家の長、天皇が決めたことは国民全員が一丸となり従わうことになり、清く、正しく、美しい教えとして、学校で教育されてきた。

天皇制の復権は、明治政府が新しい日本を掲げるのに、必要不可欠の様に扱われてきたが、追いつき、追い越すためには、やり易かった何かがあったのではないだろうか。
しかるに、明治以前の、江戸時代での「人」としての認識と、どこが大きく違ってきたのか。
明治から160年を経て、さらに変化して今に至ったのかを、想像して戸惑うのは私だけだろうか。

CIMG1645.JPG

これも明治からの宿題が積み上げられて、今の動かしがたい石(意思)になったと言える。
何やらわからない内に、160年が経ち、就学率や就労率は、高い数字になっていることが当たり前になっている。
その合理主義的やり方に、反省する点は、振り返るべき点は、全くなかったのだろうか?

300年のひきこもり江戸時代を過ぎて、内乱があり、新制府が作られた。
その時に「これからの日本人」を考えていた人は、どんな未来の人間をイメージして制度を作っていったのだろう。
国民として、市民として、人間として、自立して成長する人の姿を、その先を、見据えていたのだろうか?

ただ、西洋の制度を模倣して、猿真似と陰口を言われながら、一心不乱に富国強兵の流れから、世界戦争へとなだれ込んで行ったかに読み取れてしまうのが、日本の近代史である。

それが、単純に負の歴史だと思っている訳ではない。
果たして、日本という若者は、300年のひきこもり時代を、どのように温めてきていたのかに、思いを馳せる時、自立する国民として成長し、世界に対して、日本らしさを、自国の「ことば」で、語れているのだろうか?

一心不乱な富国強兵は、家父長制と天皇制をアレンジして、素早く行動し、いち早く正解を出すことで結果をだす生産絶対主義を進める事で、目標とした地点に達する事で、「見事だ!」と名誉にしてきた。
今私たちが抱え込んでいる、ひきこもり易い国民性は、その負債だと考えられるが、豊かな財産にも目を向けたい。

CIMG0372.JPG

ひきこもり支援を進める中で、自分で決める事が出来にくい若者の、上手い同調的自己主張のやり方に出会うことがある。
何か、はっきりとして主張や意見というより、「その方向で考えよう」とか、「どういう方向が望ましいのだ?」とか、自分の意見や主張とは思えない表現が目立つのです。
その特性は、負債でしょうか?財産でしょうか?

反面、最近の若者が物怖じせずに自分の才能に開花したかのように自分流のやり方や、オリジナルな発想で多くの人の共感を得て、様々な分野で活躍し始めている記事を見ると拍手を、おくっています。

一心不乱の完ぺき主義が大好きな国民は、一心不乱にやることで完璧を得られる意外は価値無しとされる、極端な基準に縛られているように思われます。

明治からの160年を問い直し、現代社会の世界的感性を学び、男女を始め、あらゆる差別に、個性を認め合い、日本人としての魂の復活は自分にとってどういうものなのかを求めつつ、未来の自分が安心・安全にどう暮らすのか?
一人一人の繋がりと、その関わりを紡いでいくことから始めたいものです。

グローバルな人間観で、未来へと続く差別のない感性を持ち、土と歴史に問われ続けた日本文化を楽しむ心を温め続けることを、皆さんにも提案させてもらいたいのです。
友人と酒を呑む [2025年04月23日(Wed)]
去年の春に、大学時代からの友人を亡くし、会うことの叶わなかった思いが、ずっと心に引っかかっていた。

数少ない友人であり、「友」というものがよく解らない私を「親友」と呼び続けてくれて、変わらぬ態度で長年付き合ってくれました。

気遣いの過ぎる奴で、「葬儀が終わってから知らせる様に」との遺言を守った奥さんから、電話をもらった時のこみ上げる無念は忘れられません。もう一度逢えると思っていたのに…。

そうなると、もう一人、その知らせからずっと、気になっていた奴がいて、去年の3月末に連絡を取ったが会えずじまいで、もうかれこれ5年は会えていない飲み友達である。
私をクリスチャン道に引きずり込んだ張本人であるAだ。

大阪で暮らしていた15年間の後半に入る頃、再離婚で落ち込んでいた私を、馴染みのあった教会へと、私を連れて行ってくれたことが、唯一感謝できる気持ちになる。

IMG_9932.jpg

いつものことだが、会って、呑み始めると、いきなり悪口雑言だ。「その口先で、何人の女をたぶらかしてきたのだ!」「そんなに次々と、適当な言葉が出てくるものだ」とかの類だ。

元々は、27歳頃に、徳島県で、全国(西日本)ボランティア全国集会を徳島まで開催した時に、私は世話役の責任者をしていた。バスから降りてきた彼の姿は、同級とは思えない程に飄々とした振る舞いに、親近感を抱き、私から声をかけたのが始まりだった。

後に、彼が曰くには、「こいつとは関わりたくない」という旋律を覚え、集会中、私から逃げ回っていたというから、出会ったときから、相当に相性が良かったに違いない。

今回は、事前に連絡を取り、新大阪周辺の飲み屋で過ごす事になり、32階のAPAホテルタワーに泊まることになった。

IMG_9936.jpg

新大阪駅で合い、席に着くなり、私の悪口が先ず飛び出し、「よくこんな男と結婚したな! それだけで、あなたは素晴らしい女性だ」「口から先に生まれたのは、お前だろう」と返しつつ、彼と妻と3人の語らいは始まった。

そうなのです。内は奥さんと二人連れで、Aは、いつも一人参加なのです。2012年の新婚旅行で、一緒に呑んで、5年前に呑んで、3回目の対面だったが、3人は、キリスト教の話、自分の老化現象、共通の友人の近況など、3時間はあっという間に、過ぎさっていった。

IMG_9933.jpg

話の中で分かった事なのだが、昨日家族旅行から帰ってきたのはいいが、旅行最終日に嘔吐下痢で悩まされ、今朝、おかゆ1杯を食べただけで、ここにやってきて、シャブシャブ鍋の〆うどんをすすっただけで帰って行ったのは、申し訳なかった。
書初め2025 「思風透明」 [2025年01月02日(Thu)]

今年も、2025年の書初めを夫婦でしました。
1月2日の恒例行事となっています。

私たちそれぞれのやり方で、自分たちの支援活動をしていますが、今年の所信表明と、昨年一年の心情に思いを巡らして、言葉を拾い集めて、書初めを楽しんでいます。

年末に入り、自分の一年間を振り返り、来年に思いを馳せる時、「初心に帰ろう」と、ふと思ったのです。
今回、私は、私たち夫婦がともに親愛する佐藤初女さんが思い浮かび、年末から初女さんの本を読んでいました。

大晦日から元旦にかけて、心に留まった言葉が「透明」というものでした。
その「透明」という言葉から、吉村思風さんとの対談の場面へと移っていきました。

CIMG0288.JPG

無色透明、一点の曇りなし、その人のありのままを「透明」の気持ちで聴くことが、その人と向かい合う時に、あれこれと迷い、詮索することなく、求められている本音だけをそのままに「はい!」と言って、関わってみる。

人の話を聴くときに、人と関わるときに、まず自分の心が、「透明」であることが求められるというのです。

そうしていると、機が熟し、何かと何かが繋がった瞬間に、陶芸でいう1300度に達した時に、命が吹き込まれて、器は「透明」になり、心の情熱が、人の心を「透明」にまでするという内容でした。

昨年の後半から、やるせない気持ちで、風に身を任せた風船のような私には、暮らしの中で気持ちは彷徨っていました。
「透明」の言葉に、その運んでくれている風の思いを感じ取り、そこに身を任せる。
気持ちを「透明」にしようと、心に響いたのでした。

そこで、書として「思風透明」を描こうとなったのでした。

妻も、同じように、生活の指針であり、活動の支えとなる言葉を探していたようです。

CIMG0292.JPG

妻は、「ゆるゆると、コツコツと、粛々と、淡々と」という言葉を描いていました。

何事も、テキパキと、私の何倍も要領よくことを進める妻が、絞り出した言葉に、温かさを感じていました。

「待つ」という時の流れが育ててくれる、心の成長を信じてやまない私たちの祈りが,感じられたからです。

自分が紡ぎだした言葉を温めつつ、時間をおたためる活動と、透明な暮らしを大切に、精進したいと願っています。
時代の流れを読む [2024年10月29日(Tue)]

先日、面談の中で、
「今の時代は何某」とか「これからの時代は、こうなるよね」等と、語る人がいますよね。

私もよくそういう言い方をしている自分を発見して、驚く。自分ながらに、何を偉そうに、知ったかぶりをしているんだ!
と、自分をいさめている。

IMG_1995.JPG

そういう人は、決まって、独自の情報を沢山持っていて、多様な情報網をキャッチするだけでなく、専門書も読み、広い視点で物事をみて、深く思慮している人の様に思われがちである。

私は、この活動を始めて、放送大学で学び、心理・福祉・教育・哲学・芸術等、自分の興味と活動に直結する科目を選択して、授業を受けてきた。
その中に「図像学」という科目があり、図(意匠・デザイン・表現されたもの)で、時代の思想や価値基準を読み取るというものである。
絵画や彫刻、建物など、現存するものの意匠から、その時代を読み取る事が可能だというのである。

IMG_2045.JPG

私は、この発想にピンと来た。

時代の流れを読み取ることを、私はテレビのCMから判断しているからだ。

パラパラと眺めているCMで、車のデザインや色がどのように換わり、人気が移っていくのかを眺めていると、その時代が、どの様に移り・換わっているのかが浮かび上がってくるように思われるからだ。

ある時から私は、日々の暮らしの変化を観るのではなく、換わりゆく緩やかさの中に変遷を見守る事で、10年単位で時代の流れを写し取る様な味わい方を心がけるようになった。

IMG_2379.JPG

そういう意味では、新聞も20歳の頃から読んだ事はないし、テレビも独身・子育て時代は見ないことを基本としていた。
ここ10年は、奥さんがテレビのドラマ・ニュースを見ているので付き合っているが、観ているところはまるで違っている。

私がテレビで注目するのは、ドラマの色合いとCMの視点だ。

ドラマは、脚本家グループが時代を読み取り、切り取って、ドラマという表現媒体としてメッセージを発している。
CMは、制作者が時代のニーズと好奇心を敏感に反応しながら制作している短いドラマだと感じている。

そんな感覚でテレビを見ていると楽しくて仕方ない。
情報としてのニュースを聞いている部分はあっても、ニュースを見ることで、自分の人生を豊かにし、学び、私の価値基準を震えさせてくれるとは思えない。
ニュースは通り過ぎる言葉群であり、そんな情報に支配されていては、感情が、感性が潰されていくだけなのである。

温かいニュースなどは存在しない。
ニュースを見た者が温かく感じたいのか、冷たく感じたいのかと、様々に受容体として、己の感性と価値観で、全ては左右(温寒)されているだけなのである。

IMG_2375.JPG

なにやら、言いたい事が解らなくなってしまった。
時代は10年単位で感じ取りながら、分析し、沈下させて、その変遷を感受するので十分味わえるということなのです。

新聞・テレビのニュースを見て、世の中の流れに乗るかどうかで神経をすり減らすのは、私の性に合わないのです。
基本、ニュースをそ、のままで信用できるものではないし、心の毒になっても、薬にはならないと信じているのです。
よく、空を飛んだ [2024年10月16日(Wed)]

CIMG0004.JPG

よく、空を飛んでいた
時々、思い出すのは、高校時代の授業中
教師の声が遠くから聞こえ、僕は空想の世界にいたのだろう

CIMG0012.JPG

気づくと、僕は知らない場所にいる
けど、どこか懐かしくて、怖い感じはしない

CIMG0040.JPG

今までの世界は、何だったのだ…
混沌とした闇の中で、ぐっすりと眠ってしまっていた

CIMG0047.JPG

気づくと、世界は始まろうとしていた
新しい世界にやってきたのだ

CIMG0053.JPG

遠くから、誰かが、僕を呼んでいる
知らない人のはずなのに、懐かしい響きだ?

CIMG0052.JPG

ここにいるのか!
今は、2023年10月30日19時43分;福岡

CIMG0069.JPG

おはよう! 今朝の僕は元気かい?
そこらじゅうを、駆けまわってみよう

CIMG0079.JPG

「おはよう」今日の僕は、どこにでかけよう
行先は、この一歩先から繋がっている

CIMG0093.JPG

| 次へ
検索
検索語句
タグクラウド
プロフィール

フリースクール阿波風月庵さんの画像
https://blog.canpan.info/kazetuki/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/kazetuki/index2_0.xml