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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


快適な生き方を拒む人 [2026年08月31日(Mon)]
今の私は、快適な、楽な生き方を選べる人間になりつつあると思っているが、昔はそうではなかった。

昔というのは、物心ついてから、自分の人生を生き始めた46歳頃までのことだ。
これまでの私の生きざまは、言い換えれば、しんどい、厳しい、苦行に向かう生き方が、自分をたくましく育てると勘違いしていたのだ。
何かわからない完璧にしか、安全・安心がないと自分を信じ込ませていたようだ。

ようだというのは、自分ではそうは思ってはいないはずなのに、他人から、友人から、親からも、よくそういう言い回しで呆れられてきたからだ。

「好き好んで、しんどい生き方をすることはないじゃないか。」友人から視ると、楽な生き方、もう少し自分に相応な生き方を選べばいいのに、あえて厳しい、自分のハードルにするには高すぎるくらいの目標設定をする傾向がいつも自分にはあった。知らず、知らずに。

そして、ことの末に行き詰ってしまい、逃げ出すしかないような袋小路の出口を見つける。
家出だ!

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すると、なんと出口と思った光の先は、絶壁から飛び降りるしかない羽目になった自分と気付き、ぎょっとする。

これは夢ではないのかと、思いつつも現実に違いないことは痛いほどに知っている。
ただただ布団にもぐって、眠気に身を預けて、ひたすら膝を抱えているしかない現実という大海の真ん中に身を浮かべているのである。

私にとっての、ひきこもり時代の毎日は、行き詰まる・逃げ出す・出口を見つける・出口と思った光の先は絶壁・飛び降りる、飛び降りれない、その繰り返しであったように思う。

私の場合、出口の光を見つけ、それを希望として走り続けることは容易だった。
そのがむしゃらな姿は、他者からの評価も得やすくて、その評価にしがみついて、さらに走り続けると、足をすくわれて、大海の真ん中に舞い戻っていることに気付く。
すると、死ねなくて、またも「家出」だ!

それでも、走り続けるしか、自分には方法がないと信じ込んで、前しか見ていなかった。
景色を見ていなかった。
過ぎ去ったやさしさをねじて捨ててきた。

今の景色の美しさや、過去に感じたやさしさや、これからやってくるだろう温もりに、出会っていたはずなのに、受け取り拒否で、神様に送り返していた。

CIMG0441.JPG

この今も届く、私へのメッセージや贈り物は、色んな人の顔をしてやってきては、神様からのほほえみとジョークであることが、最近になって心に沁みている。

「楽しく、気軽に、生きよう!」
どうなるかは神に任せて、委ねて、大海の真ん中でやってくる漂流物に、自分を映し出して、漕ぎ始めよう。

今の楽な生き方の少しを、十分に味わいながら!
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