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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


天国はここにある [2025年12月13日(Sat)]
前回の「天国はどこにある」の続編です。
クリスチャンとしての私が、ひきこもり支援活動で、「天国」は、死後の世界ではなく、現世で作ることを目指しましょう。と考えるようになったのは、K牧師と色々なことを語り合っていた時に芽生えてきた発想でありました。

20代の私では、「天国」など、この世で作れるはずもなく、そんな感覚が味わえるはずもないと、確信じみた感覚に、自分で自分を縛り付けていました。

何かしなければならないという強迫観念の中から、新しい仕事に、ボランティア活動にと、次々と挑戦しては長続きせず、半ば無責任に放り出しては、家出を繰り返していました。

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世間に認められない自分を呪い、情けなさに自分は死ぬしかないと思い込んで、鬱状態に落ち込むのですが、そんな姿は誰にも見せることはありませんでした。
自分の弱みを見せるどころか、他者に対しては120%で動き回っている姿しか見せることはなかったので、周りの人間は、そんな私の姿も、ましてや心の内は知らなかったと思います。

行き詰っては、自責の念に、さらに自分を縛り付けます。
じりじりと首を締め付けていることが少し快感の様な感覚で、自分の存在感を緩く感じながら、「生きてるのかなあ?」と、ふっとそんな言葉が心の奥から浮かんでくるのです。

「こんな地獄のこの世を捨てて、あの世に行けば楽に暮らせるのかなぁ!」「首を吊って、そのまま記憶がなくなり、痛みがないのなら、それでもいいのになぁ」とつぶやいていた若者は、1か月後に、その言葉通り、先に行ってしまいました。

皆、「天国」はあの世で待っているという言葉を簡単に信じすぎているのではないのか?
K牧師が語っていたような、あの世に「天国」があるということは、世の中の支配者のまやかしに他ならない。
ただ、そんな想像をする心の余裕は、先に行った彼と同じに20歳代の私には感じられない、想像すらできないことだったので、「天国」は、あの世にあると信じていたのでした。

40歳代から人生の後半を今までよりかは「少し楽に、少し自分らしく生きよう」と準備してきた私は、50歳を過ぎて初めて、K牧師のこの世に「天国」を創ろうという発想が想像できるようになっていったのでした。

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「この世に天国を創ろうとすることを諦めることはない」

私達ひきこもり経験者だからこそ、人生の前半を苦しみ、自分の孤独を心の底で味わってきたからこそ、人生の後半では、楽しく、自分らしく生きる生き方を作り出すことができるのではないのか?と、自分に問いかけ続けてきた活動でした。

そんな発想の転換を求めてきた私が、その年齢と研鑽の末にたどり着いたからこそ、K牧師の「この世に天国を創ろう」の言葉が、他の人とは違った響きと輝きを放ち、私の心に、種をみつけ、芽生えさせ、育むことができたのではないか。

「天国はあの世にあるのだから、この世で望むことは苦しみでしかない」という、のうのうと支配する権力者の構造的な発想支配に呑まれることはないのだと言いたい。。

私達の「天国」は私たちの手で、私たちのやり方で、私たちのテンポで、じっくりと味わいつつ、自分のものにしていこうと、いま改めて、K牧師に語りたい。

自分らしい生き方ができる楽園は、私達ひきこもり経験者だからこそ、今ここから、種を見つけて育てていけば、芽生える時が来ると、同じ生き方で苦しんできた仲間として信じつつ、これからも、そんな出会いを祈り続けたいのです。
                       かぜ
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