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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


天国はどこにある [2025年12月11日(Thu)]
私はクリスチャンで、毎週日曜には礼拝という名の集会:話し合い?に参加している。
プログラムの進行表通りに、前奏で始まり→教会の祈りを唱和し→讃美歌を歌い→聖書の一部を読み→その内容の説き明かしを聞き→皆で感想などを話し合い→各自の祈り→献金を捧げ→牧師が社会への祈りをし→後奏で終わる。
この一連の進行をもって、礼拝という儀式なのだ。

28年間、毎週日曜にはこの日程をこなしている。
途中、なぜこんなことを毎週続けているのかと自問自答した年もあった。
そんな時も、いやそんな時ほど、礼拝に参加すると、次の週も何とか頑張ろうという気持ちがわいたものだ。
ある種の自己洗脳していたのか?
それほどは戒めをもってこだわっていたとも、今は思えない。

ある時から、この儀式を含めた信仰活動と、私が求めているひきこもり支援活動との接点が見えるようになってからは、出席することにストレスを感じることはなくなっていった。

自分の中に基本的な視点が、元々の自分が育ててきた視点に、46歳から信仰活動の視点が入ってきて、同時に私の場合は心理的視点がブレンドされ、50歳からは、ひきこもり支援活動の視点が付加されてきて、3つ以上の視点で自分や周りを観るようになったことが、自分を安定させてきたと思われる。

そういう意味で、人生の後半では楽に生きられるようになっていたいと願った想いは、今現実に実現できているということで、とても幸せなことと実感している。

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私が信仰活動で得た奇抜な視点が与えられたのは、今の教会にやってきた当時のK担任牧師との出会いが大きかった。
私達は、孤独に世間(社会)と戦い、差別される苦しみに耐えながら、自分の天国を求めて、果敢な戦いを続けてきた同志として出会うことになった。

その孤独な戦いの姿勢(ライフスタイル)は、お互いにどこかで感じ合い、存在を認め合うように成長できたと、私には思えた。
そのK牧師が説き明かしの中で、「天国」という来世の平和を求めることで、差別されている自分を容認させられている。そんな差別者達の言いなりになることはない。と切り込んだ。

イエスは、今のこの世に「天国」を作る為に、現世にやってきた、差別と闘い続けた、とても弱いが神の荷姿の様に生きた、静かに戦った戦士なのだというのです。

「クリスチャン」とは、イエス・キリストのように生きる人という意味であり、イエス・キリストは、平和なる神のように生きた人という意味だと、私は解釈している。(クリスチャンにも様々な考えの方がいらっしゃいますので、ここはあくまで私個人の勝手な見解としてご理解ください)

K牧師は、「天国」が死後の世界にあり、死後の世界では天国が待っていると思わせている発想は、当時の社会を支配する人間が、支配しやすいように、世相をコントロールするための都合の良い発想の押し付けではなかったかというのです。

ちがう!
「天国」は、今住んでいる、生きている、現世で、今の社会の生活で、「天国」と感じられる生活を求めるのだと、その為に一緒に戦おうと言いたいのだった。

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11月23日に、私たちの教会では、教会活動に連なる先人たちに対して祈念する集会がもたれました。
K牧師もその中の一人です。
言葉では、「天国で、安らかに安息の時を楽しんで下さい」とつぶやきつつ、私は内心、「あなたと共に蒔いた種を、私は今も『天国』という場を求めて育てています。しっかりと気を緩めずに、私達を見守っていてください」と祈りました。
                       かぜ
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