「質素な素食」と、「粗食」のその後?
[2025年09月18日(Thu)]
自分たちの生き方を求めて彷徨う暮らしから、
質素で粗食な食生活は、その後どうなるのか?
私が次世代に、林家を残すという使命の下、残され財産と妻の借金とで、新しく小さな家を建てることになりました。
私としては、両親から譲り受けた、土地・建物と金銭に感謝しつつも、この物価高騰の時代に家を建てることは、我々ではかなわぬと、何度か諦めつつも、前に進めています。
ただ、今も正直、苦心をしていますのも、事実です。
何故なら、この土地には2重3重の法的縛りがあり、いくつもの条件を越えて、やっと建築許可が下りた土地だからです。
いくら土地建物があっても、管理費・維持費・消耗品費と、それに税金、今後死ぬ迄の負担が、私達にのしかかってきます。
そんな無理をして、小さな家を建てるのは、母の願いでもあったと、私は受け止めているのです。

母の声で残っている言葉に「右隣が新しい家を立てたな・・・。家を建ててないのは内(我が家)だけじゃな・・・。」と、ぽそっとこぼした言葉が、長男の私の耳について離れないのでした。
林家を継ぐ役割を考え始めてから、家を継ぐという事は、管理者が次の世代に土地・建物とその維持費を繋ぐ事であり、それが適って始めて、次の代が、またその次の代へと渡す事が出来るという事に至りました。
恥ずかしながら、そんな類の事は一向に考えず、(私は継がないと宣言していた)人生を気ままに過ごしてきた私には、とてつもない大きな宿題を渡されたことになりました。
それが、何とか人生の終わりになるが、次の代の為に小さくてもいい、家を建てようという想いが固まったのでした。

という事は、食べる事、呑む事に、自分なりの趣を持って生活していた私ですから・・・。
私なりにですが、日常の朝・昼・夕の食卓は勿論、外食先にも、それなりのこだわりを持っていました。
頻拍した財政環境の変化は、そんな私達の食生活を考え直さねばならなくなりました。
加えて、ここ2年間の物価の高騰率は目を見張るものがあり、あらゆる食品が5割増しになっている位です。
朝食はお茶漬けか、卵掛けご飯。昼食は、カップ麺。夕食は、おかず1品に漬物と味噌汁で、切り詰めていこうとなりました。
我が家の「粗食」生活の始まりです。

確かに、「素材を生かした菜食中心の食生活が、老後に向けてできるようになればいいね。」と、妻と語り合っていました。
野菜は殆ど自前で作ろうと、夢を語っていました。
私達が本来目指していたのは、「素食」生活であり、質素でも、素材の味と新鮮さを活かした食べ物を丁寧に調理して、美しく配膳し、一食、一食を味わいながら、食生活を豊かにしていきたかったのでした。
外食は、月に1回とし、脂っこい、味の濃い料理は避けることと決まりました。
あっちの店、こっちの新しい店と訪ね歩く「中華そば屋」巡りも、厳選して、月1軒だけと決めました。
それなのに、先日私が県外から来た若者と、近くの中華そば屋に行った事を、話の流れで、妻に言ってしまいました。
それから2〜3日した帰り道、思い出したかのように、「私もラーメンが食べたい!」と、眼を見据えて懇願されました。
後ろめたさもある私は、申し訳なさそうに、味噌ラーメン専門店に行ったのでした。

これは、粗食の反動なのか?
食生活の変化に、体が、心がついていけないのか?
こんな事件が起こることは目に見えています。
「粗食」生活の1ヶ月が過ぎようとしています。
これは、「素食」生活へと、成長していくのか?
食の貧困に耐えかねて、ご飯に味噌汁をぶっ掛けただけの食生活を守り続ける「米依存症」の食卓となるのか。(今は、米高騰の折、それも贅沢に違いないのだろうが、米は何が何でも食べていきたいと考えると、こうなると思った)
来年は、前者になったよと、ご報告できることを祈りつつ。
質素で粗食な食生活は、その後どうなるのか?
私が次世代に、林家を残すという使命の下、残され財産と妻の借金とで、新しく小さな家を建てることになりました。
私としては、両親から譲り受けた、土地・建物と金銭に感謝しつつも、この物価高騰の時代に家を建てることは、我々ではかなわぬと、何度か諦めつつも、前に進めています。
ただ、今も正直、苦心をしていますのも、事実です。
何故なら、この土地には2重3重の法的縛りがあり、いくつもの条件を越えて、やっと建築許可が下りた土地だからです。
いくら土地建物があっても、管理費・維持費・消耗品費と、それに税金、今後死ぬ迄の負担が、私達にのしかかってきます。
そんな無理をして、小さな家を建てるのは、母の願いでもあったと、私は受け止めているのです。
母の声で残っている言葉に「右隣が新しい家を立てたな・・・。家を建ててないのは内(我が家)だけじゃな・・・。」と、ぽそっとこぼした言葉が、長男の私の耳について離れないのでした。
林家を継ぐ役割を考え始めてから、家を継ぐという事は、管理者が次の世代に土地・建物とその維持費を繋ぐ事であり、それが適って始めて、次の代が、またその次の代へと渡す事が出来るという事に至りました。
恥ずかしながら、そんな類の事は一向に考えず、(私は継がないと宣言していた)人生を気ままに過ごしてきた私には、とてつもない大きな宿題を渡されたことになりました。
それが、何とか人生の終わりになるが、次の代の為に小さくてもいい、家を建てようという想いが固まったのでした。
という事は、食べる事、呑む事に、自分なりの趣を持って生活していた私ですから・・・。
私なりにですが、日常の朝・昼・夕の食卓は勿論、外食先にも、それなりのこだわりを持っていました。
頻拍した財政環境の変化は、そんな私達の食生活を考え直さねばならなくなりました。
加えて、ここ2年間の物価の高騰率は目を見張るものがあり、あらゆる食品が5割増しになっている位です。
朝食はお茶漬けか、卵掛けご飯。昼食は、カップ麺。夕食は、おかず1品に漬物と味噌汁で、切り詰めていこうとなりました。
我が家の「粗食」生活の始まりです。
確かに、「素材を生かした菜食中心の食生活が、老後に向けてできるようになればいいね。」と、妻と語り合っていました。
野菜は殆ど自前で作ろうと、夢を語っていました。
私達が本来目指していたのは、「素食」生活であり、質素でも、素材の味と新鮮さを活かした食べ物を丁寧に調理して、美しく配膳し、一食、一食を味わいながら、食生活を豊かにしていきたかったのでした。
外食は、月に1回とし、脂っこい、味の濃い料理は避けることと決まりました。
あっちの店、こっちの新しい店と訪ね歩く「中華そば屋」巡りも、厳選して、月1軒だけと決めました。
それなのに、先日私が県外から来た若者と、近くの中華そば屋に行った事を、話の流れで、妻に言ってしまいました。
それから2〜3日した帰り道、思い出したかのように、「私もラーメンが食べたい!」と、眼を見据えて懇願されました。
後ろめたさもある私は、申し訳なさそうに、味噌ラーメン専門店に行ったのでした。
これは、粗食の反動なのか?
食生活の変化に、体が、心がついていけないのか?
こんな事件が起こることは目に見えています。
「粗食」生活の1ヶ月が過ぎようとしています。
これは、「素食」生活へと、成長していくのか?
食の貧困に耐えかねて、ご飯に味噌汁をぶっ掛けただけの食生活を守り続ける「米依存症」の食卓となるのか。(今は、米高騰の折、それも贅沢に違いないのだろうが、米は何が何でも食べていきたいと考えると、こうなると思った)
来年は、前者になったよと、ご報告できることを祈りつつ。
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