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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


「相談」という和平交渉 [2025年03月03日(Mon)]
ひきこもっている若者が外の世界(社会)に出ていくためには、
父親との和やかな関係が不可欠だと、家族会でよく訴えている。

若者は子どもの時から父親(両親かも)に支配されてきているので、それに加担してきた母親の優柔不断な態度も、同じく自分の敵だと思ってしまうのが通常だ。

その支配的空気感(雰囲気)に、訳もわからずに縛られてきていたのだが、自我の目覚めとともに、「なんだ、この支配的圧力は?」と感じ始め、だが、それに抵抗する術をあれこれやってみるのだが、全て失った時にひきこもりが始まるのだろう。

そういう意味では「ひきこもり」とは、精神的圧力に対する自己防衛する自死できない者の最終手段である訳だ。

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それは、「ひきこもり」そのものが何とかしてほしいという子どもから親へのメッセージなのだが、親も当事者の本人も、「もう自分だけではどうにもできないよ!一緒に、何とかする方法を考えてよ」という心の叫びであることを知らない。

親にしたら、懸命に親をやっている者への反発・反抗・攻撃・挑戦・責任回避・逃避と見えてしまう様だ。
「親だって、どうすればいいかわからない。だから、どうしたらよいか教えてくれ!出来る限りはしてあげたい。」と言いたくなる。
が、もし言ったら言ったで、「そんなことは、親の方で考えるべきだろう」と返されたら二言もないと考えてしまい、足止めとなる。

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親ができること、子どもが今自分で出来ることを相談できたら、道は開かれると思うのだが、そこまで行けない。
そんなこと出来るはずもないと、進もうとはしない。

親も、子どもも、「出来ることは何でもするよ。」の気持ちは持っているが、それが相手側には伝えられないし、お互いに伝わらないと決めつけているから、「ひきこもり」という状態が、ジリジリと現状維持でどこまでも続くようだ。

「できれば、投げ出したい!」と、時に家族会で、親の口から出てくるが、「きっと本人も同じような気持ちでいるのだろうから」との言葉も出てくる。
じゃあ、どうすればいい?

親子の冷戦がいつまで続くのかと思うと、暗い気持ちがより重く感じられてしまう

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さて、喧嘩にどちらがどれだけ悪いのか?の論議は、最も意味を持たないことである。
「喧嘩は両成敗」という言葉を私流に解釈すると、「双方が至らないところがあり喧嘩となったのだから、双方の至らなさを認め、仲直りする工夫と努力を双方でしてみる方法しかないよ」と、捉え直している。

その双方、お互いに至らぬところがあったと認め合えるのか? お互いに認め合い・仲直りする為の努力をする気持ちがあるのかを、問われていると考えるのです。

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何年間、10年・20年間と、この関係維持の冷戦状態を、和平へとつなげる交渉は、お互いの決心と、素直な心からの一言に、「相談」への第一歩の歩みが掛かっている。

自分の至らなさを認め、「ごめんよ」と親が謝り、「こちらも至らないところはある」と、子どもが謝り返す場面から、「相談」という対話の一歩が始まるのでしょうか。/かぜ
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