時代の流れを読む
[2024年10月29日(Tue)]
先日、面談の中で、
「今の時代は何某」とか「これからの時代は、こうなるよね」等と、語る人がいますよね。
私もよくそういう言い方をしている自分を発見して、驚く。自分ながらに、何を偉そうに、知ったかぶりをしているんだ!
と、自分をいさめている。
そういう人は、決まって、独自の情報を沢山持っていて、多様な情報網をキャッチするだけでなく、専門書も読み、広い視点で物事をみて、深く思慮している人の様に思われがちである。
私は、この活動を始めて、放送大学で学び、心理・福祉・教育・哲学・芸術等、自分の興味と活動に直結する科目を選択して、授業を受けてきた。
その中に「図像学」という科目があり、図(意匠・デザイン・表現されたもの)で、時代の思想や価値基準を読み取るというものである。
絵画や彫刻、建物など、現存するものの意匠から、その時代を読み取る事が可能だというのである。
私は、この発想にピンと来た。
時代の流れを読み取ることを、私はテレビのCMから判断しているからだ。
パラパラと眺めているCMで、車のデザインや色がどのように換わり、人気が移っていくのかを眺めていると、その時代が、どの様に移り・換わっているのかが浮かび上がってくるように思われるからだ。
ある時から私は、日々の暮らしの変化を観るのではなく、換わりゆく緩やかさの中に変遷を見守る事で、10年単位で時代の流れを写し取る様な味わい方を心がけるようになった。
そういう意味では、新聞も20歳の頃から読んだ事はないし、テレビも独身・子育て時代は見ないことを基本としていた。
ここ10年は、奥さんがテレビのドラマ・ニュースを見ているので付き合っているが、観ているところはまるで違っている。
私がテレビで注目するのは、ドラマの色合いとCMの視点だ。
ドラマは、脚本家グループが時代を読み取り、切り取って、ドラマという表現媒体としてメッセージを発している。
CMは、制作者が時代のニーズと好奇心を敏感に反応しながら制作している短いドラマだと感じている。
そんな感覚でテレビを見ていると楽しくて仕方ない。
情報としてのニュースを聞いている部分はあっても、ニュースを見ることで、自分の人生を豊かにし、学び、私の価値基準を震えさせてくれるとは思えない。
ニュースは通り過ぎる言葉群であり、そんな情報に支配されていては、感情が、感性が潰されていくだけなのである。
温かいニュースなどは存在しない。
ニュースを見た者が温かく感じたいのか、冷たく感じたいのかと、様々に受容体として、己の感性と価値観で、全ては左右(温寒)されているだけなのである。
なにやら、言いたい事が解らなくなってしまった。
時代は10年単位で感じ取りながら、分析し、沈下させて、その変遷を感受するので十分味わえるということなのです。
新聞・テレビのニュースを見て、世の中の流れに乗るかどうかで神経をすり減らすのは、私の性に合わないのです。
基本、ニュースをそ、のままで信用できるものではないし、心の毒になっても、薬にはならないと信じているのです。
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