もうひとつの「対話」という切り口
[2023年05月01日(Mon)]
以前の研修で、フリースクール「まなび場」の幸伊知郎さんの「対話の場をつくる」という話が、とても気になり、今年の風月庵スクーリングのプログラムに「対話・個人クラス」を設けました。
「対話」とは、「話」よりも「対」にポイントを置いて見つめてもらいたいとの説明に、納得できました。
「対」とは、「1対1」「対等」「対峙する」「対面」「対応」「対比」「対決:向かい合う」等、そこに自分が向かい合い、直面するというイメージが、私には見えてきました。
「体験」して、自分の気持ちに対面し、向かい合い、素直に生まれ出る気持ちを、率直に言葉にすること(コミュニケーション)を「対話」という様に思われました。
話を、単に言葉の伝達や、巷に流れる情報の提供だけで終わらせず、生の話でやり取り(相互の心地よい刺激が得られる)をすることで、自分の心の奥から気持ちや実感を通して流れ出た言葉をアレンジしてやり取りすることを、私は「対話」と読んできた様に思う。
「雑談」もコミュニケーションとしては大事なことなのですが、それに加えて、「会話」の要素(双方向理解)が取り入れられて、「対話」へとコミュニケーションを成長させていってもらいたいのです。
4月に入って、プログラムをそしゃくすることを進めていた時に、一冊の本に出会いました「14歳の教室」(どう読み、どう生きるか)若松英輔著が、それです。
この本には、私が求めてきた「対話」というエッセンスが盛りだくさんに隠れていました。
読み進むにつれて、いろんなことがつながって動き出す感覚を覚えたのです。
この本は若松英輔さんが、ある中学3年生のクラスで、生徒達と共に、7回に分けて行なった授業内容だそうです。
さて、風月庵では、スクーリングは勿論のこと、家族会でも取り上げて、この「対話」について1年間、考え、話し合い、生活の中で身につけていけたらと願っています。
私は、生活の中で、少しずつ、「対話」をいうコミュニケーションが身に着いてきたら、様々な人間関係の問題がゆっくりと紐解かれていかれる様に考えられるのです。
それは、22年間「ひきこもり」と対話してきた私の直感といえるものなのです。