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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


喪中の第一歩 [2023年03月31日(Fri)]

母が、3月25日夕刻、亡くなりました。93歳でした。
去年の6月に、3ヶ月もつかと伝えられ、案じておりましたが、11月に妹の法事に出て、孫と過ごす時間が作れました。

その後、無理を言って、サービス付き高齢者住宅に入居させて頂き、コロナ感染対策が緩くなれば、面会・外出も、入院中よりは出来るとお聞きし、期待していました。

2月の末に、面会が出来、3月に入って直ぐに外出が出来、一度自宅でお茶を呑み、そんな時間を過ごしました。
これから暖かくなり、こんな時間を重ねていけるものと思いこんでいました。

IMG_1882.JPG

ところが4日に、胸の痛みを訴えて、検査後直ぐ6日には再入院したのでした。
その頃は、まだ断定はできなかったのですが(医療側は、分かっていたようでしたが)、私達は、退院できる可能性を考えるしかありませんでした。

18日に様子を伺いましたら「覚悟してください」と伝えられたものの、1週間は考えて、24日に再度伺いますと「次に急に事態が急変しましたら、手の施し様はありません」と、お聞きしました。

その翌昼に一報が入り、夕方に電話があり、その数分後には、臨終の知らせとなっていました。

身近な家族から連絡を取りながら、当然喪主である私は、通夜と告別式の日時を決めなければなりません。
それからというもの、葬儀社に導かれて、時間の上をトボトボと歩いてきたのでした。

今朝、奥さんは仕事に出掛け、自分の部屋で、今、一人きりになり、気持ちを落ち着けようと文章にし始めたのでした。
今、気付けば、写真の一枚も撮っていないのでした。

何か気落ちするほどの気持ちも分からず、自分の存在が不確かな実感のまま、身の置きどころが分からない様です。

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この気持ちは何なのだろうと考えていましたら、母親を亡くした喪失感というものもあるのでしょうが、いよいよ、次は自分の番なのだという武者震いのようにも思えます。

若いときには、「死」を想像すると、恐くて、不安に襲われ、眠られない夜を、何度も過ごしました。

その私が、いつの頃からか、自分の「死」を受け入れるようになってこれたのは、俗に言えば、信仰の賜物でしょう。
もう一つは、風月庵の活動を通じて、多くの人生の彩に染められて、「受け入れる」「許す」ということを、身に付けてこられたからではないでしょうか。

その不確かな心持を味わいつつ、ここまで言葉にしました。
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