ハウスレスとホームレスの違い
[2022年12月30日(Fri)]
先日、「孤独・孤立対策シンポジウム」ZOOM開催に参加しました。今後「孤独・孤立対策官民連携プラットホーム」により、政策を市町村や地域ネットワークの連携により進めていくための、啓発的シンポジウムとして開催されたようです。
この「プラットホーム」という言葉が、異彩を放って、私に語りかけてきます。横文字がだんだんと苦手になっているので、アレルギー化しているのでしょう。それでも、少しずつ変わっている社会認識に期待しつつ、何か関われないかとの思いは募らせています。
このシンポジウムで共感を持って、心引かれたのが、次にご紹介したい奥田知志さんのお話しでした。
彼は長年ホームレス支援活動をしてこられ、教会牧師として赴任されてからは、北九州で活動をされていたことを、以前に一度講演会でお話しをお聞きし、存じ上げていたので直ぐ思い出しました。
奥田さんは、(ハウスレス:ホームレス)と(何が必要か:誰が必要か)と(解決型支援:伴走型支援)を対比させながら、支援には二つの側面から関わることが重要であります。
特にホームレス生活が長い方に、前向きに働きかけても、「生きる意欲」や「何かをしたい気力」を持っていただくこと、その心が動くことは難しいとおっしゃっていました。その気持ちが動くことが、支援の入り口とも説明されました。
「生きる気力も失われている人」という表現に、ひきこもり支援にも全く同じ要素が、ずっとのしかかっていると直感しました。この「人の気持ちが動き、生きてみよう」と思える気力の掘り起こしは、周りの人間と、ご本人との共同作業と、時間と運命の賜物的な所産であり、制度とは違うもう一方の側面支援が必要なのです。
奥田さんのお話しは続きます。単身家庭が(20%→38%)と増加する社会で、家族という土台を見直し、地域が家族としての役割「出会いから看取りまで」を担うことが求められていると説明され、仲間で告別式をされている様子を紹介されました。
そこで問われるのは、「誰がその方の横にいられるのか?」そして、その気がない人に、気持ちが育つことを、横で一緒に待ち続けてくれる人の存在が、家族機能をもつ社会をつくっていく為に必要な一歩だとおっしゃっておられました。
私達ひきこもり支援においても、誰が一緒に横でいられるのか、気持ちが動き育っていくところに伴走して、寄り添い、味方であり、見守り合ってくれるのか、そこには対等な人間関係に立った安心と信頼が宿るものであって欲しいのです。