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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


育て方が悪いと信じ込ませる学校神話? [2022年12月13日(Tue)]

不登校・ひきこもりの支援活動を進めてきて、よく聴く話しのひとつに、「原因探しはやめましょう」といわれますが、多くのお母さんは、「私の子育てが悪かった、間違っていたのでしょうか?」と自分を責められる場面によく出会います。

正直、ご本人(子ども)が今求めている関わり方に、親が応えられていないという事実はあるでしょうが、だからといって、今までの子育てが悪いとか、間違っているとはいえません。

悪いとか間違いというなら、本人も、親も、学校も、社会も悪いし、間違っているのであって、お母さんだけが悪いと思ってしまうところに、今の子育ての落とし穴があると考えます。

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以前私は、娘と息子の二人の子どもを育てていて、片親であることに恥じない、人並みとは一味違う子育てを貫くことで、離婚して母親がいない子育てにおけるハンディを、ごまかそうとしていました。

そんな後ろめたさから、回りからどう思われているのだろうかと、とても気にしながら、自分の子育てを点検していた様に思われます。その片親というところを気にしていますから、何か子育てで困ったことが起きると、【やはり片親だからそうなったのか?】と自分を責めることを始めてしまいます。

そんな考えは、学校が教育の全てを担っていると思いこんでいる神話だと私は思うのです。子育てをしているのは親です。学校はその一部を担っているに過ぎません。そこを忘れていては、子育てに迷いが生じるのも無理はありません。

逆に、今の時代は、子どもに、回りの社会が、大人が、学校が、マスコミが影響を与え、育てているのであって、親はその役割の一部しか担えさせて貰ってないとさえ見えるのです。

子育ては母親の責任としてしまう社会(教育)の考え方はいつから始まったのでしょうか?

江戸時代の子育て書には、衣食住の世話をするのは母親の役目であり、子どもが社会で生きていけるように一人前に育てるのは父親や在所(社会)の役目だという記事を思い出します。

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今は、子育てしている学校と、生活している家庭と、親が働いている職場とが別々で、親の働く姿、生きている姿を自分の子に、生活の中で味わうことが出来にくい社会です。どちらかというと、子育て、家庭生活、仕事(社会生活)の場面は、違っていて当然(健全)だと思っておられる方が、ほとんどなのではないでしょうか。

江戸時代での子育ては、子育て、家庭生活、仕事(社会生活)の場面は同じであり、近くで想像出きるエリア (範囲)で、黙っていても伝わり、分かることが多かったのです。

今の時代は言葉にしなければ伝わらず、言葉にしただけでは誤解を生むような、其々が別の世界(世界観)で生活しています。
共有体験が乏しく、想像してお互いに理解できるような関係を作ることが、難しくなっているのです。

時代の流れのままでは、親の価値観が子どもに伝わらない時代といえます。親の価値観の違いを伝える最適な方法として、「絵本の読み聞かせ」があります。父親、母親、祖父母と、其々違った雰囲気で絵本を読んであげることは、大人の価値観を子どもに伝えている作業だと私は考えているのです。

絵本でなくても構いませんが、ゲームでも、遊びでも、親子で一緒に行動する、工夫する、楽しむこと、その時間が親から子どもへの価値観を伝授している時間となり、言葉でのしつけなどは必要が無くなると、私は考えるのです。

「子どもとの遊びの時間を大切に育て直しましょう」
というのが「不登校・ひきこもり支援」の真骨頂との提案です。
タグ:支援活動
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