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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


失業保険を知らなかった [2022年10月30日(Sun)]

私は何をやっても続かない。飽き性な子だと、親から散々言われてきた。確かに、これまで30種を越える職業に就き、3ヶ月、半年、長くて1年で転職を繰り返してきた。
30代で7年、40代で7年続いた会社もあったが、その2社くらいで、その頃にも1年や2年で辞めたこともあった。

母親に言われていたことに反発を感じながらも、何か正しいことの様に思い込んでいる節があり、一人で決断するようになると、その価値観が顔を出して、勝手に決めてしまっていた。

家出をしていた時期は別として、若い頃は母親からのそんな刷り込みを信じて、実践していたのが「仕事を辞める時は、次の仕事を決めてから辞めなさい」というものだった。

私はそれを守り、次の仕事を見つけてから、今の仕事を辞めることに徹していた。何故、そうしなければいけないのかを考えることもなく、母親のいうことは信頼する気もなかったのに、そのことは申し送りをされていた。

「頑張って、1年は働けよ。そうしたら失業保険をもらえるから」と、ある友達から聞いた。1年以上勤めたことのない私は、失業保険を知らなかった。

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この失業保険、今は雇用保険といわれており、この保険は失業した時にもらえる保険ではなく、雇用される時にもらえる保険なのだと発想を替えてもらいたかったらしい。

兎に角、ある時期からはこの雇用保険で生活を支えながら、今までの仕事が何故続かなかったのか? 次はどんな仕事をしたいのか? そんなところをじっくりと考える時間をもつことにその保険の受給期間を有効に使うことにしてきたのだ。

今なら、転職により、キャリアのスキルアップを図っているような見方もあるが、昔は、一つ仕事を続けられない駄目な奴というイメージが重くのしかかっていたことは確かだ。

私もそんな卑屈な気持ちを抱えながらも、次々と採用してもらえる状況をチャンスと捉えて、転職に身を任せていた。

失業保険を貰いながら、その都度に、私は自分のやりたかった仕事に近づいてこられた様に思うのである。今さらにして、失業保険の制度を「お前そんなことも知らんのか!」と馬鹿にしながらも、丁寧に教えてくれたその友人にとても感謝しているのである。

あ〜あ、あれからも、そう雇用保険以降も、雇用を促進する為の色んな制度が整備されてきていることを、ひきこもっている若者は知る由もないのだろうなぁ〜。
仕事を探す前に、どんな雇用促進制度があるのか調べてみてはどうだろうか?
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