ひきこもりからの躾
[2021年12月08日(Wed)]
私自身は躾けられたくないので、この「躾」という言葉は嫌いです。何か枠に押し込められるようなイメージを持ってしまいます。
しかし、以前も提案させてもらいましたが、見よう見まね型や、弟子入り制度の、勝手に身につけろ的な教育スタイルは、日本人に、ひきこもり気質にもあっていると思います。
「背中をみせて、育てよ」というのも同じでしょう。
「絵本の読み聞かせ」も同じと思っています。
後で感想文を書かせては、全く台無しになってしまいます。
絵本の後は後味を噛み締め、じっくりと自分の中に落としこむ作業に没頭してもらいたいと、私は考えます。
いい絵本の場では、終わると一瞬、シーンとしますから。
「絵本の読み聞かせ」のボランティア活動で、小学校にお邪魔していますが、私の読みきかせが終わると直ぐに、教師が正解を言って、説明されることがあります。
あれは止めてほしいのです。
子どもが行動する前に、あれこれ質問し、心配という余計な注文をつけてくる親の言葉も、これに似ています。
どの様に落とし込むかは、各自違っていていいのです。
そこに正解・間違いは、存在しないし、本物の応えは自分の中の何年後かに見えてくるものだと思うからです。
一人ひとり違って、みんな正解なのである。
直ぐに答えを出してしまう教育や躾で、人生の生き方をつまらなくしてしまっている人が多く、「ねばならない!」の縛り付けに、自分から苦しんでいる様にも見えます。
折角、不登校・ひきこもりに出会ったのですから、色んな体験を細かく味わい、自分にとっての本物を落とし込める生き方を自分で工夫してもらいたいものです。
ご家族には、その個性的な発想ややり方を、身近で認め、応援してあげて下さいとお願いしたいのです。
家族内であっても、一人ひとりの考えを尊重し合える関わり方が、「自分らしく生きる力」を養う躾といえるのではないでしょうか。
困った時には、誰にでも相談出きる・助けてもらえる感性を身につけることで、多様性の社会を自分流に生きることが出来れば、それが今風の「躾」になると思うのです。
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