存在感を育てる適度な刺激
[2021年02月05日(Fri)]
26日、風月庵会員会報誌「風と月と」38号を発行しました。
掲載した記事のひとつを、ご紹介します。
何事も続かないとか、何故、やる前から「出来ない」と決め付けてしまうのか?
本人・家族・支援者が各々に、その意味を悩んでしまいます。
色んな経験はしたいけれども自信が持てない、きっと出来ない時がくるからと確信を持っている様に見える。
自信を持って行動出きる様になるには、がむしゃらに自信を持てというより、自分の存在に価値を感じ、周りの誰かから愛され、見守れている実感を得る「愛着の実感」が先なのです。
存在感の実感の第一歩は、出産時の産道を通る時の、母体から締め付けられ、全身を抱きしめられた刺激が、子宮の中で長い時間、羊水の中で浮かんでいた身体に、存在感というものを感じさせているというのです。
そして、赤ちゃん時代に周りの大人から沢山の関わりを貰い、赤ちゃんが存在感を感じ、それを積み上げることで愛着の形成が養われていきます。
充分な関わりで愛されている赤ちゃんは、成長と共に、経験と共に、自信を(存在感)を確かなものへと自覚できてきます。
生きている内は同じことで、心や身体が適度な刺激に触れることがあってこそ、存在感と自信が蓄えられるのです。
さて、ひきこもり状態とは、よくお母さんの子宮の中に居るような安全と安心を保っていると例えられます。
ひきこもり状態が長いと、心理的に自己存在感を見失っている状態と考えられます。
ですから、適度な刺激(様々な言葉掛け、働きかけ、体験すること)を受け続けることが、自己存在感を育て、自分の考えや・言葉や・行動に自信を持てていく手順と考えられます。
適度な小さな刺激は、その時その本人の性格や心理・体力状態で影響度合いは違いますから、やりながら、流れを共有し、出きることも出来なかったことも言葉にし、互いを見守り、支え合うことで、本人に合ったやり方を見つけることです。
自然に出来ることが「出来ること」であり、無理しないと出来ないことは、「無理し過ぎていること」なのです。
無理はせず、楽に続けられる方法を、家族と共に試みながら身につけていきたいものです。