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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


「どこ」を、見ているの? [2026年08月06日(Thu)]
家族会や学習会では、ご家族の今の状況や昨今の変化を順番にお聞きしています。
それをお聞きして、私の思うことや、感じたこと、他のご家族から気づいたことをお話ししていただき、お互いの刺激にしてもらっています。

同じ様に家族会等に参加されていても、
・変化のないご家族と、
・毎月の変化で話が深まるご家族と、に分かれます。

変化のあるご家族と、変化のないご家族は、
どこが、どう違うのでしょうか?

よくも、悪くも変化していくことで、
その先には大きな変化と、成果が待っています。
今回は、その違いを考えてみます。

部屋にひきこもっていて、食事も一人だけで食べていた子供が、最近になり、お昼だけは一緒に食べてくれる様になったと、報告を下さいました。
かといって、お子さんは、学校へ行く様子もありません。
このご家族には、変化があったのでしょうか?

部屋にこもって、自分のことも、親への不満も、辛いことも、嬉しいことも、何一つ話さなかった子が、トイレに行く道すがら、親がいる部屋の前を通り、「暑い!暑い!」と大声で言いながら、ドタドタと階段を上っていったのは、何か文句を言いたかったのでしょうか?
その後の暑い日でも、「暑い!」の言葉も一切言わずに、顔を合わすこともありませんでした。
依然と変わりはないのです。

先週、テレビのリモコンが使えなくなり、「どうしたらいいの?」と、渡しておいたら、知らない間に修理をして、机の上に置いてくれていました。
「助かったわ!ありがとう」と言っても、知らん顔で、親の前を素通りしていきます。
「折角、お礼を言っても、あれじゃ、愛想もないわね。」と、お父さんと話していたのです。
こんな様子じゃ、家から外に出て、働きに行ってくれるのは、いつのことだか?

助けてもらってもいいのだ!
今、人と会うことに苦痛や嫌な思いを感じ、トラウマを抱えている若者が、勇気を持つだけで、外に出ることはできません。
人といることに安心が持て、自分の言いたいことを戸惑いながらも言葉にして、自信のないことも、やってみようという勇気が持てることを、廻りから実感させて貰えて、世の中やっている内に何とかなると思えてくるからです。

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自分一人ではできないことばかりだけど、他の人に助けてもらってもいい。
助けてもらいながら、人は出来るようになるし、生活できるようにもなると、思えるように、廻りが感じさせてあげられることが先で、自分で実感できるのはその後から、じっくりとわいてくるものです。

そして、気づけば仕事もできているの?と、
自信は無くても、思える時もやってきます。
人と一緒に行動することに、しんどさもあるけど、
何やら嬉しかったりもしてきます。

そんな喜びや、その共感を得られて初めて、働きに行き、働き続けることができるのです。

未経験者が、自信のない者が、他者と一緒に、他者のやり方で、他者とのペースで、他者の様にできることは、
何一つありません。

私のやり方を私が決めて、私のペースでやる内に、私のやり方を、一緒に考え、一緒にやってくれる人と出会っていくから、何となく生きていけるようになるのです。

そんな心の細やかな成長が積み重なり、繋がって、大きな自分を動かせるエネルギーを実感できる筈なのです。
そんな生き方に、まず出会ってほしいのです。

先ほどのお子さんは、学校へ行く様子もありません。
という視点からは、変化は見られません。
食事を一人だけで食べていた子供が、お昼だけは一緒に食べるようになったということは、ご家族と一緒に、ただ居ることに、苦痛を、不安を感じなくなっているという視点では、大きな変化と言えます。

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「暑い!暑い!」の若者も、顔を合わすこともないので、
依然と変わりはないのです。

「暑い!暑い!」は、今の自分の環境に、不快があり、そのことを誰かに聞いてもらいたい気持ちがあるのです。
かといって、それ以上言わないというのは、親に対する文句や要求ではなくて、ただの愚痴を、親に聞いてもらいたかっただけなのです。

ピリピリとした緊張感が、親にも子供にもあった時期からすると、このごく自然な日常生活を送れていことは、
気持ちの安定が育っているという大きな変化です。
見えない階段を 一段 一段
そんな自分の生き方を、親御さんや友達や自分を理解してくれる一人ひとりと出会っていくことから始めます。

生きにくさを抱えた若者が、
歩きだす為に必要なことを、
一緒に積み上げ、紡いでいく
工夫を始めてください。

そうすることで、日常生活の些細な変化に気付かれるようになっていきます。
その安心感と安定感が、自分の存在を、そのままで信頼できる気持ちへと育てていくのです。

目に見えない階段を一段一段登っていく様子を
心の中で応援し続けることが、見守るということなのだと
思います。

人は、自分だけで、動き始めることはありません。
幼児が友だちと遊び始める時、お母さんの方を振り返り振り返りながら、友達との関係の中で、ある時から安心を実感して、お母さんを観なくても大丈夫になります。

動けなかった若者も、そんな風に、家族との安心感を確かめながら、世間という不安な世界に向かって、自分のやり方とペースで、向かっていくことが出来るのです。
これは、ご本人も、ご家族も解っていない真実です。

人は誰も、他者の応援に支えられて、安心感の中で、
生活を広げていけるのです。
人との関わりに楽しみや喜びを感じる相手との出会いから、先ずは始めることです。

目標は、「働きに行く」や、「自立生活」ではないのです。

結果的に、自分のやりたいことで生活資金を得て、
何となく生活ができて、「世の中、面白いこともあるな!」と感じられ、気付けば世間の荒波と言われるところを生きていけている。

そんな人生の歩み方を、誰かと作り始めて下さい。
そして、あなたが、その誰かになって下さいね。
「ユーモア」を、取り戻せ! [2026年07月20日(Mon)]
この7月より、「傾聴講座」を、風月庵にて、毎月第2
日曜の10〜12時で、開催することになりました。

 7月12日は、その初日で、たくさんのご家族が集まり、ワークショップ(参加体験型学習)に、参加して下さり、
真剣な中にも、笑顔で和む場面も多々ありました。

 ファシリテーターの由美さんが、自分の傾聴(カウンセリング)活動を進めてきた中で、自分が持っていなかった新たな気付きを与えてもらった話から、自分の言葉としての「傾聴」に、どう繋がったかを話してくれました。

日本人の文化的背景から、「死」について話題にする、掘り下げる、真剣に話をすることから、避ける傾向が既に備わっていることに、気付いてほしいのです。

人生を思い悩むときにも外しては通れないし、悩みを深めてきた方からは、誰もがよく「死にたい」という訴えも聞いてきました。

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私達は、その時に、どんな風に、この問いに向かい合い、言葉や態度、姿勢で返すときに、どんな心づもりで臨めばいいのでしょうか?

その為に、このテーマ「死」について、既に自分が向かい合い、深めて、何かを掴んでいなければ、相手に対して回避するだけの対応しかできません。
そして、それでは、訴えている方をさらに不安にさせることも生まれてきます。

今回、そんな課題に、適切なヒントを貰える「もしばなゲーム」を、4人一組になり、ワークを進めてみました。

「もしばなゲーム」とは、(もしもの話をしませんか?ゲーム)で、自分が死に直面した時のことを想像してもらい、カードを選んでもらうゲームです。

4人一組で、山札から各自5枚のカードを貰います。
中央に山札と、表にした5枚のカードがあります。
表にした5枚のカードの中に、自分の欲しいカードがあれば、自分の手持ちの要らないカード一枚と交換します。
これを順番に繰り返して、山札がなくなれば終わりです。
残った手持ちの5枚のカードから、3枚を選び、何故そのカードを残したのかを、他の参加者に説明します。

其々に思いもよらぬ説明を聞きながら、話す方の心持ちを受け取りつつ、会場は賑やかになっていきました。

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あるお父さんが、自分が死に臨むときに最も大切にしていたいことは、「ユーモア」だとおっしゃって、その理由も説明してくださいました。

そこで、ファシリテーターが、その3枚の内容は、今、貴方が最も大切にして生活されている「生きる姿勢」ですと、説明がありました。

感想で、そのお父さんは、不登校状態の息子に、気を使い過ぎていました。
私なりの「ユーモア」で、息子に接していきたいと思いますとお話しくださいました。  
遊んでいるだけで、いいの? [2026年07月13日(Mon)]
「風月庵での活動って、遊んでいるだけでしょ!」と、
奥さんに茶化されます。

先月も、東かがわ市にある「しろとり動物園」に行ってきました。
2週間前には、動物園の近所に有る「亀菱醤油」界隈を散策してきました。

2〜3ヶ月前から、メンバー、スタッフの計5人で、あれこれと候補地や、やってみたいことを出し合います。
そこから、皆で調べて、アクセスや、その日の日程、交通手段、見所のピックアップを始めます。

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何故、自分は興味を持ち、行きたいのかをみんなの前で説明します。
上手く説明できない時もあります。
でも、その説明から、他のメンバーが行く気になってくれるかどうかは、本人の熱意で変わってくるようです。
最終的に、一人でも行きたいと決まっても行きますが、全員がいきたいと決まったら、勿論行くのです。

分かる範囲で、調べられる範囲で、当日の事を話し合っていきますが、この時点から、旅行(行事:イベント)は、始まっているのです。 

実際に当日になると、どんどん予定していたことや、想像していたことが、違っていることに気付き始めて、戸惑いや不安を抱きながら、皆は、そんなことを表には出さず、歩いていくのです。  

廻りの景色を、仲間の様子を見ながら、自分の中では自問自答を繰り返しながら、思っていたことと違っていても、実際の行動を進めていきます。 

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そして帰ってきて、皆で、色々と話している内に、他の人も迷いながら足を進めていたことを知るのです。
「なんだ、こんな心配をしているのは、僕だけと思っていたけど、違っていたんだ」と、少し安心します。
そんな心の動揺は、経験を重ねていく毎に、現実にはわからないことがあっても、何とかなると思えるようになってくるのです。

「とりあえず、やってみても構わない」感覚が、自分の心の奥で育っていっていることを発見します。

イベントを提案し、計画することも大事ですが、後の振り返りを、行く前と行った後では、自分の中で、どう変わったのか?を、とても大切にしています。

不安なこと、心配なことを、今回はどのように「何事も何とかなる経験」へと成長させたのか、心の成長ぶりを見つめると、自分の自信発見に繋がります。

その内に、「仲間の誰かが言い出したことなら、1回は、やってみようか!」と、自然と思えるようになってくるようなのです。          
3週間回って、ワン! [2026年06月26日(Fri)]
風月庵での活動の第一歩は、親の価値観、姿勢、視点、
コミュニケーションを、生活の中から変えていくために、学習会や、家族会に参加して学び、親が新しい価値観を、生活の中で身に着けることにあります。

「子どもが変わらなければ、始まらないだろう」という
親御さんの意見はよく聞きますが、私は、家族全員が変わった分しか変わらないと考えるようになりました。

「学校へは行くべきだ」→「学校へは行った方がいい」→「学校へ行きたくない時は、誰しもある」→「辛い想いをし続けるくらいなら、学校へ行かなくていい」→「学校へは行きたくなってから、行けばいい」→「明るく元気に過ごせるなら、学校に行くべきではない」→「自分の人生を自分らしく実現するために、必ずしも学校を必要とはしない」→「学校は、自分発見には遠周りな方法だ」→「学校に行かないことで、大切なことを学べるチャンスを貰えた」等々

「登校/通学」という言葉を話し合う時、どの言葉がふさわしいのか、どのように理解するようになれば、家族が成長したといえるのか?

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しかしながら、答えを、一つにするのは危険です。

家族それぞれの答えが、「みんな違って、みんないい」のです。
家族皆が変わるというのは、皆が正しい共通の同じ答を出すということではないのか?

違うのです。

元々、違っていていることを発見し、認め合うということなので、違っているままの答えでいいのです。
違っているからこそ、お互いの意見を聞いて、考え始める必要があるのです。

振り返ってみると、私達は、自分で考えないで、自分の人生を歩いてきましたよね。
私たちは、そんな風に思うようになってきました。
そして、子ども達にも、「自分らしく生きる」なんて、所詮考える必要はないと押し付けていたように思います。

一緒に考えてみることで、本当に色んな人がいて、色んな考えや感じ方があって、世の中、面白いということに気付かされる。
そんな日が来るのですから。

そのヒントや、考えや視点の新しいキッカケをもらうために、見つけるために、学習会に出掛けてほしいのです。

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長年の考えに縛られている私達には、「考えを変えるために」、もう一つの試練が隠れています。
自分の考えを広げ、深めるために、学んだことも、日時が過ぎていくと、揺らいでいき、堅い昔の価値観がムクムクと顔を出してくることになります。

暮らしのヒントや、捉え方の変換が、学びや交わりの中で、活動を続けることで動き出したとしても、昔の価値観は、私達をジリジリと元に戻そうとしてくるのです。

毎日のように考え、悩み、新しい視点の発見をする「気付き」があればいいのですが、そんなことは週に1回あればいいくらいなのです。
皆さんと一緒に学ぶ家族会や、もっと深くを学ぶ個別支援を受けて下さっていても、その引き戻しは、ジリジリとやってくるのです。

私達が生活に追われ、新たな視点への関心を無くしてしまったら、どのくらいで元の堅い、古い価値観に戻ってしまうのかと言えば、それが3週間なのです。

1か月もすれば、元の状態にきっちり返っている自分に情けなくなることでしょう。

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私が日本一周の若者自立支援塾を何か所も回って、疑問に思っていたことがあります。
1〜3年若者塾で成長した若者が、実家に帰ると、何故か、1か月で元のひきこもり生活に戻っていくという、引き戻される現実なのですが、その答えがここにあります。

家族が変わっていないからです。
親御さんが言っていた、本人が変わらなければという言葉は違う疑問が持ち上がります。

本人が3年かけて変わったとしても、家族が変わっていなければ、1か月で元のひきこもり状態に引き戻されるという事実です。

どんなに頑張っても、1か月で元に戻るなら、何の意味もないと考えている方もいらっしゃるでしょう。
違いはあるのです。
3年経って帰り元に戻った人が、次に動き出すのに3年はかからず、1年で動き始めるという期待もできます。

失敗から学ぶことは、成功することに酔いしれているよりも、はるかに深くものを学ぶことになるでしょう。
騙されるから、自分発見できる? [2026年06月13日(Sat)]
自分の答えは自分で発見しなければ意味がありません。

しかしながら、自分の価値感の枠の中で、グルグルと回
り続けている間は、自分の枠からも出られないし、自分の奥にある、別の自分に出会うことも、難しいのです。

では、どうすれば、古い自分から、新しい自分に出会う
ことが可能になるのでしょうか?

聖書の言葉を我流に解釈してみつけた、自分のヒントを、ご紹介しましょう。
それは、「あなたの信頼が、あなたを救った」という言葉なのです。
この言葉は、私への注意信号として、常に、自分に、「その感性(理解)をあなたは本当に信頼しているのか?」と、何度も問いかけています。

「あなたの信頼があなたを救った」とは、貴方が奇跡的に目覚める時は、誰かがあなたを導き、救ってくれたように見えるが、そうではないと考えます。
自分自身の感性で選んだ相手が、私が求める人はこの人と決めた相手が、私に向かい合った時に、あなたの「信頼」が心の奥のあなたを救うことになると考えます。

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今の自分の答えを答えだと、短絡的に決めず、あの人を信じてみようと思う余裕から、その人が言うことなら信じてみようかと、自分の気持ちに、まず置くのです。

自分の発想ではなかった考え方であっても、「実は、どういう意味なのかを、暫く考えてみよう。」と、自分の考えとは距離をおいたままにして置きます。
そして時々は、自分の関西でもって、気にしてみることを、感じてみることをしてみましょう。

その感覚が、以前よりかは心地よく感じるようになっていたのなら、貴方は自分の理解を広げ、深めていると、私は判断するのです。

そうすると、ある日、答えがやってくるのです。
考え方が、全く違うと解釈していた考え方が、自分の発想と感覚的に繋がり備わっていることを発見します。
それが自分の理解を得て、自分の奥の自分に出会ったという体験になるのです。

そのことは、「貴方が信頼している方からのヒントを、
あなた流に発酵させて、新たな自分を発見した」という意味で、全く納得いくのです。

ある人から教えられた考えをやってみて、しっくりこないから、もうこのやり方は自分に合わないと決めつけてしまい、捨ててしまうと、いつまでも、自分を変えることはなく、表面的な自分のまま、グルグル回り続けてしまうことになるのです。

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もっと、赤裸々に言うなら、貴方に攻撃し、反論し、
逆らって来る意見であっても、私に向かって真剣に言ってくれているのなら、相手を信じて、意見をひとまず置いてみようということです。

 それは相手を信じ、相手の意見を正しいと信じることとは違います。
 自分の感性が激しく動いているならこそ、その意見や考えを、暫く自分の中にしまっておき、同蠢いていくのかを観察するような感覚です。

 自分の発想や感覚と違う人の意見は、多くの場合に、自分の幅を広げるキッカケになるのです。
 人の意見を受け入れて、その人のことを、そのまま、同じように信じるのとは、全く違います。
 自分の意見の中心はしっかりと自分のままでいいのですが、幅を広げ、深みを持たせていくことに挑戦します。

 自分の考えも100%主張しないが、他者の意見も100%信用しないで、自分は60%を持ちつつ、残りの40%の内の何%かは、相手の言い分を、心や気持ちの中に残しておくという提案です。

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大雑把に言うと、40%までは「他人に騙されてやってもいいぞ」という心の余裕を持ちませんかと、いう提案なのです。
それを続けていくと、自分の考えや主張や感性に、幅と深みが出てきて、怒らないで、他者からの話を聞きいれることが可能になってきます。

決して、他者の意見を、そのまま受け入れるのとは、違っていることを忘れないでください。

自分の感性が激しく動いているところに焦点を当てて、ゆっくりと見守っていると、自分の心の激しかった揺れが、揺れ幅が小さくなっていくことに、安心を覚えることになると思います。    
「答え」を求めないコミュニケーション [2026年06月01日(Mon)]
日常の何気ない会話を生みだす為には、家族間で話し合う時に、家族間でコミュニケーションの練習:訓練に挑戦していただく意識を持ってほしいのです。

ひきこもりの子どもを持つ家族やスタッフが、生活の中
で、まず初めにぶつかるのは、そのたわいない日常会話ができないという寂しさ:やるせなさ:現実です。

 私たちは、話をするには言葉がなければ、言葉のやり取りがなければ、コミュニケーションができないと思い込んで、もう術がないと決めつけていませんか。

 私たちが普段使っているコミュニケーションは、「言葉:情報:考え方」のやり取りから、情報を整理し、正しく理解をして、それを実践するために情報交換しながら、実行して、善き答え:最善の結果を求めています。

私が提案しているのは「答え」を求めないコミュニケーションです。それがたわいない日常会話に繋がります。

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何故「答え」に意味がないのでしょうか?

1;他人(親)が出した答えには、必ず「NO!」を唱えて、本人が実行することはないからです。
いやいやながら実行しても、続けられることは望めないので、意味がないのです。

2;何度もお伝えしていますが、自分で決めていただくことと、その自分で決めることを積み重ねて、本人が自ら自分の答えに納得することが必要だからです。

他人が言った提案に素直に従うことはありません。
まず、よく解らないながらも、やってみようということはないのです。
「考えに考えて、失敗することはない」と、自分の中で結論を出せなければ、実行することはないのです。
いつも、「失敗したらどうする?」の不安を抱えたまま、何かを始めて来たし、今もそうだからです。

いつも、自分が決めて、自分のやり方で、自分のペースで進めることがなければ、問題を投げ出してしまいたくなるからです。
そういう性分:身に付いた生き方なのです。

「言葉:情報:考え方」での提案は、全て答えは、自動的に「NO!」「嫌!」なのです。

では、会話は始まらないと、おっしゃられると思いますが、そうではない会話方法を提案します。

お互いに、「気持ち:感情:雰囲気」の思いを込めた言葉で表現することから、コミュニケーションのやりとりをやり直すことなのです。
「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を一つ選んで投げかけ、「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を求めつつ、「気持ち:感情:雰囲気」の言葉で伝えてもらう熱意を示すことです。

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「気持ちのいい風だねえ」と声掛けをすることです。

しかしながら、「気持ちのいい風だねえ」との言葉を、かけるのではないのです。
自分が感じた「気持ち:感情:雰囲気」を込めた言葉で、話しかけることです。
言葉は、同じ「おはよう」でもいいのです。

そこを、「なぜ早く起きれないんだ!」と、解決を強制するような態度や口調で呼びかけては、拒否されます。

(良い風だね?)を感じた気持ちで「おはよう」という

(早く起きて!)と解決を願い、「おはよう」という

同じ「おはよう!」の言葉の伝わり方が、相手にとっては、全く違って伝わることを発見してください。

「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を見つけて、色んな会話で使い込んでいって下さい。

「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を身に着けて、この言葉でのやり取りが生活のいたるところで始まると、何気ない日常会話もでき始めていることに気付く筈です。

「気持ち:感情:雰囲気」の言葉を、投げかけ続けていく生活を、じっくりと観察してみてください。
見守るとは、そういうことだと思います。
その違いが、いかに大きかったかに、気付かされることになるでしょう。   
昨日から今日への卒業 [2026年05月21日(Thu)]
私達は、いつも過去に引き戻され、今の自分を、未来の
自分を問い続けられて、苦しんでいるように見えます。

過去の、それも他人が言った評価や判断に翻弄させられながら、今の自分を責め続けていませんか?
私たちには、そういう特性、思考パターン、考え方の癖があるように見受けられます。

本当に、その他者が言ったことが、色んな人が言ったことが、感じたことが、正しいのでしょうか?

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私は、正しいところも、正しくないところも、間違っているところも、間違っていないところも、同じ出来事の中に、必ず3つ以上の見解や、答えや、判断基準が存在するとの考えから、目の前のことは本当の課題ではないと、目を細めて見つめ直そうと、自分に言い聞かせます。

答えや、判断や、捉え方は、一つの見解、その反対の見解と、どちらでもない:双方とは違うもう一つの見解をと、私はいつも探してみます。

「学校へ行くのは当たり前だ」との意見に対して、その一つの考えしかないように言い含められてきたのです。
この反対見解を探してみると、「学校へ行かないのが当たり前」とか、「学校へ楽しく行けないなら、行かなくていい」とか、「苦しみながら学校へは行かないのは当たり前」という見解が浮かんできます。

3番目の見解:考え方とはどういうものかと言えば、「学校以外に、人生の進路はいくつもある」「生活ができれば、学校へ行かない方が人生の可能性は広がる」「まず人のことを知るために、世界一周の旅に出よう」等々、次から次へと3番目の考え方が出てくるのです。

さて、あなたは3番目の考え方が、いくつでてきますか?

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さて、ここで、私がもう一つ問いかけたいのは、「学校へ行くのは当たり前だ」と、「苦しみながら学校へは行かないのは当たり前」とは、反対意見で、全く違った見解に見えますが、実は単なる裏表であり、「学校」という社会基準に縛られた、根っこでは繋がっている同じ問題であるにもかかわらず、表面上全く反対の違う意見だと、私達は考えていなかったでしょうか?   

私達は、いいのか悪いのか、正しいのか間違っているのかと問い続けています。
学校へは行くべきか?
行かなくていいのか?
この表面上の反対意見で、どちらかを選ぶということの意味のなさは想像できると思います。
「学校」という同じ基準に振り回されているからです。

正論でもなく、反論でもない、第3の考えを探すことができて初めて、私達は、自分の過去の基準から卒業して、新しい今の現実としての第3の道に出会えることとなり、次に歩みだせるのです。         
春の涙は、風に散れ [2026年04月29日(Wed)]
すでに新学期が始まり4月も下旬が来てしまいました。
私の周りはまだ引っ越しの残骸があちこちです。
そんな落ち着かない精神状態に、さらにさらに追い打ち
をかけるような出来事が次々と起こりました。

 それでなくても、誕生日の前後2週間はいつもの鬱状態
に悩まされて、食欲なし、やる気なし、倦怠感満載、自分
の愚かさに打ちひしがれ、何もしたくない季節なのです。

 あれは3年程前のこの時期に、あちこちへと出かけて、
奥さんと仲良く花見を楽しんでいる写真も見つけました。
 そうすると、毎年決まって鬱状態を引き起こしている訳
ではないのです。

ゆうかの里 桜.jpg

 それなのに、この春はすでにもう季節は移り、我が家の
桜は葉桜となりっております。
 ウッドデッキで寝そべりながら、春の強い陽射しと、
清々しい風を感じながら、好きな日本酒で、心地よい酔い
を味わいたかったのですが、今年は叶いませんでした。

 私のクリスチャンとしての信条(心情)で、今回の苦しみ
に端を発する言葉は、「人は人を裁けない」です。

 「何故、働かない!働かない者は、どうやって食べるの
か?」と、親は子供に言い、子どもは親の言うこの言葉を
信じて、働けない自分は駄目な人間だと、思い込もうとし
ている姿を見ると愕然としてしまいます。

藍住 巨木.jpg

神は、人の存在そのものを尊重し、この世に生を授けた
と、私は思うのです。
 誰でも、他者を裁く(人の価値を決めてしまう)ことは、出来るはずもありません。
ただ、その価値に、我々が、親が、本人が気づいていないだけだと、私は自分に言い聞かせて、裁くことはできないと自分の中の葛藤が続きます。

 自分の生きる価値、生きる楽しみ、生きる苦しみ、そんな生の体験から、すべての人間が個性的に磨かれている筈なのですから。

そこに、人の言葉では表現できない豊かな恵みが私達には降り注いでいます。
その恵みを、お互いに見つけるために、私達の活動が、あるのです。        
春の涙は、風に散れ [2026年04月29日(Wed)]
すでに新学期が始まり4月も下旬が来てしまいました。
私の周りはまだ引っ越しの残骸があちこちです。
そんな落ち着かない精神状態に、さらにさらに追い打ち
をかけるような出来事が次々と起こりました。

 それでなくても、誕生日の前後2週間はいつもの鬱状態
に悩まされて、食欲なし、やる気なし、倦怠感満載、自分
の愚かさに打ちひしがれ、何もしたくない季節なのです。

 あれは3年程前のこの時期に、あちこちへと出かけて、
奥さんと仲良く花見を楽しんでいる写真も見つけました。
 そうすると、毎年決まって鬱状態を引き起こしている訳
ではないのです。



 それなのに、この春はすでにもう季節は移り、我が家の
桜は葉桜となりっております。
 ウッドデッキで寝そべりながら、春の強い陽射しと、
清々しい風を感じながら、好きな日本酒で、心地よい酔い
を味わいたかったのですが、今年は叶いませんでした。

 私のクリスチャンとしての信条(心情)で、今回の苦しみ
に端を発する言葉は、「人は人を裁けない」です。

 「何故、働かない!働かない者は、どうやって食べるの
か?」と、親は子供に言い、子どもは親の言うこの言葉を
信じて、働けない自分は駄目な人間だと、思い込もうとし
ている姿を見ると愕然としてしまいます。

(写真;アクエリアス)

神は、人の存在そのものを尊重し、この世に生を授けた
と、私は思うのです。
 誰でも、他者を裁く(人の価値を決めてしまう)ことは、出来るはずもありません。
ただ、その価値に、我々が、親が、本人が気づいていないだけだと、私は自分に言い聞かせて、裁くことはできないと自分の中の葛藤が続きます。

 自分の生きる価値、生きる楽しみ、生きる苦しみ、そんな生の体験から、すべての人間が個性的に磨かれている筈なのですから。

そこに、人の言葉では表現できない豊かな恵みが私達には降り注いでいます。
その恵みを、お互いに見つけるために、私達の活動が、あるのです。      
ダラダラと、精神的に余裕を味わう [2026年03月10日(Tue)]
2月はブログを1回も配信することができませんでした。
個人的には、実家へと引っ越しまして、多忙だったとはいえる
のですが、全く出せない月は、昨今はなかったので残念です。
自分でも、情けないと思うのですが、それも含めて、風月庵の
活動なのかと、見守ってやってください。

徳島市の西端に居住していた県営住宅から、北東端の風月庵
と同じ敷地内へと、2月23日に引越してきました。
15年ぶりに、実家に帰ってきたことになります。
母がなくなり、その後の諸々のやり繰りに3年を要して、今回
の引っ越しでした。

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私にとっては苦痛でしかなかった実家でしたが、風月庵を始め
てからの10年で、両親と私との3人暮らしの中から、親子関係
が安らいだものとなっていました。
その流れで、自分の存在感が安定し始めた頃に、今の奥さんと
出会い、結婚して、親とは別居状態を保ってきました。

今回、引っ越しの準備から、ひっこして、その後の片づけの手
順など、奥さんの方は、事前から準備も万全で、手筈通りに着々
と片づけをこなし、普通の生活に入りつつあります。
私はとりあえずのことだけで、必要に応じて、片付けを進めて
いくということに、挑戦しております。

この挑戦というところは、先先とは考えずに、必要に応じて、
思いついたことから着手していくという方式を、最近は心がけ
ているということです。
これをやろうとしてやって行くと、やっている内に、別のこと
を思いつきます。
「これをしよう」と思いついたことをやり始めている途中から、
その前からしていたことをし忘れが出てきます。
それも含めて、思いついたときにやり始めて間に合うものだと、
今は思えるようになったのです。
やりたいことだけやっていても、何とかなるのです。

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このダラダラしても、「大概、何とかなる」という体験を重ね
ると、何とかならないようなことが起きても、何とかなると、
自分で思えるようになり、そうなると、それでなんとかなった
ということに落ち着けるのです。

「そんなグダグダで物事うまくいく筈がない」という意見も、
飛んできそうですが、何事に関しても完璧を目指して、ミスを
許さなかった以前の生き方に比べると、どれだけのストレスが
減っていることでしょうか。

グダグダと生きていても、心の奥で「本当はもう少しちゃんと
やるべきだ!」と、繰り返し自分を責めている内は、半人前と
言えるのです。
怠けていることができるようになった自分を怠けていられる
分だけ自分を褒めてあげて下さい。
それができてこそ、グダグダ生きることを楽しみ、味わえる様
になってきたと言えるのです。

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風月庵のメンバーに、かぜさんのようにグダグダで生きてても、
世の中何とかやっていけるのなら、自分もそうやっていこうと
真似てくれている青年が出てきました。
あるお母さんには、仕事モードから家族モードに脱皮する為に、
グダグダ生活に徹してみましょうとお勧めしています。

しかし、このグダグダ生活は本当に難しいのですが、ひきこも
り経験者は、これの達人と言えます。
これをやり切っている方々なので、学ばなければいけません。
ただ、やり切れていない方は、まだまだひきこもり生活が続く
ことになっているようです。
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