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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


「ひきこもり」は、動かないのがいい! [2023年05月30日(Tue)]

「もう、自分は、どうなってもいい。」「どうかなる筈もなく、存在さえなくなればいいのに」「どう考えても、失敗するしか頭に浮かばないから」「とりあえず、死ねないから、生きているだけだから」等と真剣に思いつつ、全てのことに諦めている人の心を動かすのは至難の技であろう。

「動きたくない時は、動かないのが妙案である」
 良寛禅師のコトバに似たようなものがあった。

はてさて、そんな思い、気持ちに時間をかけて、てこをねじ曲げ、動かしてきた自分(私自身)は、一体どうしてここまで来たものかと振り返ると、頭を抱えてしまうのです。

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 動きたくない人間を無理に動かそうとすると、お互いにストレスになるのは当たり前ですね。
 ぶつかり、お互いの感情もすり減らすことになりますね。
 そんなことが続くと、憎しみも生まれたりしませんか?

 正直、ふっと、動きたくない気持ちも分からぬでもないのなら、いっそ、認めて、「お互いに、動きたくない気持ちは分かるよ」までで止めておきませんか。

 そこを、自分だって動きたくないところを、これではいけないと、自分に言い聞かせて頑張っているんだから、あなたも頑張って生きろ! 等と、自分の考えを押し付け始めるところから、関係が、気持ちが、ややこしくなってくる。

 人は動きたい時に動き、動きたくない時には動かぬ方がよいと、そのままに読み込めれば、それでいいのだ。
と、バカボンのパパの言葉が、天から降りてくる。

 しかし、凡人の我々は、それでは人に迷惑が掛かる。
自分の食いぶちくらいは自分で稼ぎ、自分の身の回りのことぐらいは他人様の世話にならず、自分の及ぶところで満足できてこそ、一人前に生きているといえるらしい。

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 誰がそんなことを言い、現実離れの教訓がまかり通るのだ?
 しかし、しかしだ、今の世の中で、他人様に迷惑をかけずに生きていられる人は誰もいない。

それならば、50歩100歩の違いであり、それ程の違いはなく、皆、全ての人間は他人様に迷惑を駆け回って、何となく、其々に、命をつないで生きていると、神の目からは見えるのでありましょう。

私は、何を言っているのでしょうか?
ただ、真剣に、
「動きたくない時は動かないのが妙案である」と、
1週間だけ自分に言い聞かせてみませんか?
その結果、どんな風に自分が変わっていけるのか、冒険するのは恐いですか?

でも、ひきこもっている若者に、冒険をしろ・挑戦しろといい続けているのは、「動きたくない時は動かないのが妙案である」と、言い聞かせる冒険(挑戦)をしていないあなたと、同じようにも見えるのですが・・・。

今回は、すごく投げやりな内容になってしまいましたね。
すみません。
そんな時もありますよねと、許していただけると助かります。
「対話」という泉 [2023年05月30日(Tue)]

私の通うキリスト教会では、毎週の日曜日礼拝の内、牧師が来られない日の礼拝は、信徒役員が「説き明かし」を用意して話し、参加者がその内容を分かち合い、自分達の学び(信仰)を深めることにしています。

今回は私の担当であり、いつも風月庵活動の中から、自分なりにつながって理解している心理的な成長を、ピックアップして紹介しています。

今年の風月庵は、「対話」を取り上げています。
「対話」とは、対等な関係で、互いを尊重し、相手の理解の質に配慮しながら、誠意を持って関わるところから、信頼関係が育ち、お互いの意見や気持ちを大切にして受け入れることが出来る話し方や関係性を表していると説明しました。

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その結果、お互いの受け取った「対話」の刺激が心の湖に深く沈んでいき、次に似たような経験や新たな人との出会いで、さらに腑に落ちる気づきとなり、時間と共に身についてくるのでありましょう。
そういう関わり方の総称として、「対話」と表現しています。

「対話」のない関わりでは、若者と一緒に体験し、励まし、誉めて、自信を持たせ、その積み上げがあったにせよ、社会への信頼や、自分への安心を実感出きる生き方が、備わって来るとは決して思えないのです。

「対話」を温めながら、仲間と一緒に体験し、適正に評価を受け入れて、自分の内側から、自身や信頼が、ゆっくりと泉の様に湧いて出てくるところを想像してみてください。
これらの作業や活動の中には「対話」が存在しているから、自らの心の泉が湧き出ることになるのです。

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逆に言えば、ある時、沈んで見えていなかったものが、ゆっくりと表面に現れて、泉の様に「生きる力」が湧き出てくるようになった時、その関係性や、会話の質をもって「対話」といえるものではないでしょうか。

お互いの心に、湧き出る泉として、刺激を与える「生きる力」の種が「対話」であり、その種が、時という太陽と、愛という水によって、環境という大地の中から命として育ってくるものとなるのでしょう。

抽象的で分かりにくい説明になったと思いますが、次のような状況下では、人の気持ちを動かせる泉にはならない様に思えるのです。

気持ちのこもらない声掛け、話すだけ・聞くだけの一方通行の会話、配慮や思いやりの欠けたお喋り、存在を無視した関わり、単なる情報提供のテレビニュース、時の流れを伴わない判断、経験や想いを無視した評価、血の通わない言葉の審判等々には、「対話」という温もりが伝わってこないと思いますから。

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メンバー(利用者)も、家族(親)も、スタッフ(支援者)も、お互いに泉の湧く関係であることを守り、「対話」を温め、育てていく活動として、根付いてくれることを祈っています。
もうひとつの「対話」という切り口 [2023年05月01日(Mon)]

以前の研修で、フリースクール「まなび場」の幸伊知郎さんの「対話の場をつくる」という話が、とても気になり、今年の風月庵スクーリングのプログラムに「対話・個人クラス」を設けました。

「対話」とは、「話」よりも「対」にポイントを置いて見つめてもらいたいとの説明に、納得できました。
「対」とは、「1対1」「対等」「対峙する」「対面」「対応」「対比」「対決:向かい合う」等、そこに自分が向かい合い、直面するというイメージが、私には見えてきました。

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「体験」して、自分の気持ちに対面し、向かい合い、素直に生まれ出る気持ちを、率直に言葉にすること(コミュニケーション)を「対話」という様に思われました。

話を、単に言葉の伝達や、巷に流れる情報の提供だけで終わらせず、生の話でやり取り(相互の心地よい刺激が得られる)をすることで、自分の心の奥から気持ちや実感を通して流れ出た言葉をアレンジしてやり取りすることを、私は「対話」と読んできた様に思う。

「雑談」もコミュニケーションとしては大事なことなのですが、それに加えて、「会話」の要素(双方向理解)が取り入れられて、「対話」へとコミュニケーションを成長させていってもらいたいのです。

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4月に入って、プログラムをそしゃくすることを進めていた時に、一冊の本に出会いました「14歳の教室」(どう読み、どう生きるか)若松英輔著が、それです。

この本には、私が求めてきた「対話」というエッセンスが盛りだくさんに隠れていました。
読み進むにつれて、いろんなことがつながって動き出す感覚を覚えたのです。

この本は若松英輔さんが、ある中学3年生のクラスで、生徒達と共に、7回に分けて行なった授業内容だそうです。

さて、風月庵では、スクーリングは勿論のこと、家族会でも取り上げて、この「対話」について1年間、考え、話し合い、生活の中で身につけていけたらと願っています。

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私は、生活の中で、少しずつ、「対話」をいうコミュニケーションが身に着いてきたら、様々な人間関係の問題がゆっくりと紐解かれていかれる様に考えられるのです。

それは、22年間「ひきこもり」と対話してきた私の直感といえるものなのです。
「卵が先か、鶏が先か」ではなく! [2023年04月15日(Sat)]

風月庵でも、新学期は、4月から始まります。
成績表や卒業証書も、始業式や卒業式もありません。
そんな中でも、去年の一年を振り返り、これからの一年を、本人、家族、スタッフで話し合う時間をもちます。

その振り返りの時間で、Y君グループでの話しです。
「この一年間で、随分と気持ちが楽になってきて、いろんな
ことをやってみようという気持ちになってきた。」というのは、ご本人からの言葉です。

 お母さんからは、「色んなことで、緩んできたなと思います。」「昔は、出来たところをできたと認められずにいたのに、最近では、これでいいかなと認められる様になったから。」との言葉に続いて、「視野が広がったね。」と、感想が述べられました。

 スタッフは、「全体的に、柔らかくなった感じです。」と、発想や、考えや、行動や、態度が柔軟になったとの感想です。

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 何かをしようと考えても、不安がそんな考えを押し込んで、何をしても意味がない、きっと失敗するからと、行動に移すことに、きわめて慎重な態度に、立ちすくんでいました。

 今のY君からは、「調子がよくなったから、人と関われるようになったのか? 人と関わるようになれたから、調子がよくなってきたのか?」どっちなんだろうと、質問が出ました。

みんなの意見を総合して考えてみましょう。
 柔らかく、柔軟に物事を捉え直せるようになったことが、変化し始めたポイントのようです。
 人と関われるようになったからではありません。
 しかし、人と関わることが、以前よりは明らかに楽になってきたことも確かなので、こちらは結果と判断できます。

 情報や知識を得て、理解をして、行動をして、体験をして、次々と学習していく人が、成長していくとは限りません。
 ポイントは「物事を捉え直せる」柔軟性のようです。

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 学びとは、自分が自分を信頼し、自分の中で柔軟に変化させる「物事を捉え直せる」ことのようです。
 自分の回りから変わるものではなく、自分の中から、奥から変わってくるものなのでしょう。
その学びは、お互いの関わりの中で、お互いの信頼感が、お互いの心の奥へと沈み、各自のものになっていくと、互いに響き合うことで、「身に着いた」といえるのです。

あなたの成長は、あなたが自分への信頼を育ててきて、ある瞬間(とき)にジュワッと爆発した、心の化学反応によって、生まれてきたのでしょう。

人の心の化学反応は、「卵が先か、鶏が先か」ではなく!
自分への信頼が育ってきた、ある時、外からの刺激と共に、心の中の化学反応が起きて、成長の結果が目に見えてくるのです。

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言えることは、目に見えるものが人を成長・変化させているのではないのです。
母親からのお年玉 [2023年04月15日(Sat)]

先月、3月25日に、母親が亡くなりました。
6日に再入院してからは、もう少しだけ様子を見ようと時間稼ぎをしていたものの、23日に「覚悟しました。身内に連絡します。」と決心し、その2日後に現実となりました。

それからというもの、頭の中では手順を考えていたものの、いざ本番となると、葬儀社に聴きながら進めている自分が居たりするのです。
そんなものなのだろうと、自分に言い聞かせながら今日まで7日法要を重ねてきました。

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私は家を継ぎたくなかったので、33歳の時に父親に継がないことを宣言し、46歳ではクリスチャンとなり、仏式の行事には半分背を向けたまま参列してきました。

その被害をこうむったのは弟で、弟も家を継ぐことには、重いものを抱えていたことでしょう。22年前に、私が徳島に帰ってきた時には、激しい剣幕で私を責めている弟が、そこかしこから私を睨んでいました。

その弟は表に立つことが苦手で、心の病を患ってからは、無言で、私にそれらの役を押し付けていました。
いや、というより、元の役割を戻しただけだからというのが、実際の弟の言い分だったのではないでしょうか。

そんな流れの中で、今回の葬儀の一連も、私が全て取り仕切ることとなり、長男役を逃げ続けてきた私でも、流れに任せて、ただ役割を果たしただけと、自分で納得させているのです。

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若い時の私なら、そんな自分の理屈に納得を付けられずに、自分の考えを周りに押し付けていたことでしょう。

年齢を重ねたというだけではなく、風月庵でのひきこもり支援活動を通じて、若者と向き合う生活の中で、「こだわらずに、自分の正直な生き様を受け入れよう。」と、彼らに伝える工夫と共に、自分の心へも、ゆっくりと沈めてきたのでしょう。

7日法要では毎回、住職が自宅に来てくださいます。
合掌・礼拝があり、経を上げて下さり、焼香を回します。
その後、住職と一緒に経を唱えるのですが、住職に遅れまいと、経を唱えることに懸命になっている私がいるのです。

いやはや、これには本人の私すら驚いてしまいました。

住職を送った後で、数日前から始めている母親の遺品整理というよりかは、ゴミの分別と廃棄処分に挑戦しています。
スーパーのレシートは勿論、電気の検針票、あらゆる領収書、親戚・友人からの便り、景品に銀行から貰ったタオル、先々に買い貯めて忘れられた消耗品の数々、賞味期限が何年も過ぎたと判断できる化粧品や調味料、孫の成績表まで、出てきます。

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それを判断しつつ、その殆どを処分するのですが、その判断と手間は、神経をすり減らす作業となっているのです。
箱を開ける度に煩雑に押し込まれた数々の紙片を、一枚一枚確認しながら、進めていくことになります。

ただ、時折、1日に1回あるかないかの頻度で、薄汚れた包み・袋の中から、紙幣やコインが出てくることがあるのです。
こういう苦痛でしかないと思われていた作業の中でも、思わぬ宝物が出てくることがあるのです。

片付けに専念している奥さんに、こっそりと、「また、出てきたから、美味しいものでも食べに行こうか?」と、声を掛けて、笑い合っているのです。
支えてもらうこと [2023年03月31日(Fri)]

家族会に参加されているお母さん、お父さんで、支えてもらうのが下手だなと感じる方がいらっしゃいます。
甘えるのが苦手というのもあるのでしょうか?

又、別のお母さんは、甘えるのも上手で、他者に支えてもらうことを身につけていらっしゃると感じる方もいます。

その方には色々と支援者側もひきつけられ、関わりを持っていこうとしてしまいますし、お子さんも、コミュニケーションが苦手だとおっしゃる割には、人に好かれる一面をしっかりと持っていらっしゃると感じられます。

そのお母さんは、学校の担任は勿論のこと、他の先生、カウンセラー、適応指導教室のスタッフ、公的機関の相談員、福祉施設のスタッフに協力を求めて、年1回のカンファレンス(支援会議)を持ち、支援方法について意見を求め、話し合ってこられていたのです。

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私は以前より、個別にカンファレンスを持ち、関わる支援者同士(家族も含め)が、情報を共有すると共に、お互いの視点や考えを意見交換することで、支援内容が深まり、継続的に連携した支援を進めることを希望していました。

以前の風月庵で1度、あるご家族に学校とのカンファレンスを提案したことがありましたが、親御さんの方が、学校への不信感を募らせ、実現しなかった過去がありましたので、このことには、とても感動していました。

今春、お子さんが卒業するに当たり、学校では最後のカンファレンスが持たれ、多くの方が集まられ、私も参加させてもらいました。

今までの経過や成長の足跡、現状での見解、今後の課題についてと、ご家族側、学校側、そして関係者の見解と、たくさんの意見が寄せられ、私達風月庵が担っていく課題についても、また、その役割が明確になったように思われました。

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今後も、このようなカンファレンスが。定期的に行なわれ、ご本人の成長と共に、参加団体(スタッフ)が入れ替わり、増えていかれることを願っています。
今回残念だったことは、医療関係者の参加が叶わなかったことですが、今後は可能性が見出せるとのことで、是非、ご検討いただけたらと思います。

今後は何より、ご本人が自分のこととして受け止め、周りの関係者と共に考え、ご本人が決めていかれることが、最も望ましいやり方として、希求していきたいと願っています。
喪中の第一歩 [2023年03月31日(Fri)]

母が、3月25日夕刻、亡くなりました。93歳でした。
去年の6月に、3ヶ月もつかと伝えられ、案じておりましたが、11月に妹の法事に出て、孫と過ごす時間が作れました。

その後、無理を言って、サービス付き高齢者住宅に入居させて頂き、コロナ感染対策が緩くなれば、面会・外出も、入院中よりは出来るとお聞きし、期待していました。

2月の末に、面会が出来、3月に入って直ぐに外出が出来、一度自宅でお茶を呑み、そんな時間を過ごしました。
これから暖かくなり、こんな時間を重ねていけるものと思いこんでいました。

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ところが4日に、胸の痛みを訴えて、検査後直ぐ6日には再入院したのでした。
その頃は、まだ断定はできなかったのですが(医療側は、分かっていたようでしたが)、私達は、退院できる可能性を考えるしかありませんでした。

18日に様子を伺いましたら「覚悟してください」と伝えられたものの、1週間は考えて、24日に再度伺いますと「次に急に事態が急変しましたら、手の施し様はありません」と、お聞きしました。

その翌昼に一報が入り、夕方に電話があり、その数分後には、臨終の知らせとなっていました。

身近な家族から連絡を取りながら、当然喪主である私は、通夜と告別式の日時を決めなければなりません。
それからというもの、葬儀社に導かれて、時間の上をトボトボと歩いてきたのでした。

今朝、奥さんは仕事に出掛け、自分の部屋で、今、一人きりになり、気持ちを落ち着けようと文章にし始めたのでした。
今、気付けば、写真の一枚も撮っていないのでした。

何か気落ちするほどの気持ちも分からず、自分の存在が不確かな実感のまま、身の置きどころが分からない様です。

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この気持ちは何なのだろうと考えていましたら、母親を亡くした喪失感というものもあるのでしょうが、いよいよ、次は自分の番なのだという武者震いのようにも思えます。

若いときには、「死」を想像すると、恐くて、不安に襲われ、眠られない夜を、何度も過ごしました。

その私が、いつの頃からか、自分の「死」を受け入れるようになってこれたのは、俗に言えば、信仰の賜物でしょう。
もう一つは、風月庵の活動を通じて、多くの人生の彩に染められて、「受け入れる」「許す」ということを、身に付けてこられたからではないでしょうか。

その不確かな心持を味わいつつ、ここまで言葉にしました。
不登校児童と共に歩む家族の子育て [2023年02月23日(Thu)]

不登校対策という旗を掲げながら、実は、不登校の状態になった時にどう生活(家庭・学校)を立て直すのか、家庭を作り直すポイントは何なのかは問われないまま、もっぱら、不登校予防というか、不登校にならない為の予防対策に学校は余念がなかったように思われます。

また、今のシステムの中で、対応出きる内容に支援枠を合わせて、そこに責任をまかせる形での対策であり、連携とか、継続とか、本人を中心とした支援を問い、探ることを忘れてきたように思われます。
それゆえに、不登校状態を抱える家族の生活(家庭・学校)での支え方については、各家族に任されてきただけになっていたのではないでしょうか。

本人を刺激し過ぎない登校刺激は控えるという考え方が出てからは、訪問はしない方が正しい関わりといった風になり、家庭訪問の改善・見直しはなされないままで、今日に至っているようにも見受けられます。

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本年より、「学校復帰を原則としない支援のあり方」を求めることが県教育委員会から上がってきて、私は、初めて、学校側が不登校状態を抱える本人・家族と共に歩む支援のあり方を模索し始めていただいている様に感じているのです。 そしてそれは、不登校児童の子育てのあり方(家庭・学校)を社会課題として見つめ直そうとする動きに育っていくと感じています。

なにより、この不登校という事態を社会の課題として捉えることは、単に不登校児童や家族への支援に留まらず、これからの子育て・教育を見直していくための大きな要因として取り上げられるようになることを確信しています。

それは、不登校という生き方の模索であったり、学校以外の人を育てるシステムの再構築であったり、生き方の多様性を温める社会的文化の育成としても捉えられるようになると思うからです。

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今、改めて、不登校状態にあるご本人の気持ちや生活を大切に守りながらも、家族や周りの人と共に、本人に合った暮し方・生き方を探っていく工夫が色んなところで進められていくことを願っています。
不登校という状態を受け入れながら、「学校復帰を原則としない支援のあり方」を家族から周りの社会へと問いかけながら、不登校状態を活かして、豊かな次の世代へと歩む、明るい未来への展望を実現するために、今出来る工夫や挑戦を一緒に考えていきたいと願っているのです。
「孤独・孤立対策プラットフォーム」って? [2023年02月23日(Thu)]

2022年12月26日に「孤独・孤立対策シンポジウム」が開催され、参加しました。
2023年2月20日には、「孤独・孤立対策官民連携プラットフォーム」の設立総会と記念講演が開催され、こちらも参加して来ました。

このプラットフォームという新しい言葉がよく分かりませんが、官民で連携して協働するネットワーク活動(事業)といった意味合いかと判断しています。
新しい支援システム作りを求めているのでしょう。

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私達も、生活困窮者自立支援に関するプラットフォームに参加し、事業を始めています。さらに今回の孤独・孤立対策官民連携プラットフォームに加え、次年度から、ひきこもり支援官民連携プラットフォームの呼びかけが始まるそうです。

官民協働→支援ネットワーク作り→官民連携→プラットフォームと、言葉が変わってきていますが、中身は一行に進まない現状がうかがえます。
20年前より、NPO法人の活動が進められてきた中で、民間主導の行政変革のようなイメージを持っていた私は、日本は、特に徳島では、そんな自治的な動きが進まない現状に、この10年は諦めて、自助的活動を大切にして風月庵を進めて来ました。

20周年を境にと言うよりかは、世の中の流れが明らかに変わってきていると実感出来るようになり、去年から公益事業にも力をさくようになっています。再びその様な活動を始めると、昔程の気力・体力がないことを思い知らされています。

孤独・孤立対策を進める上で、記念講演講師の大西連(NPO法人「もやい」理事長:内閣官房孤独孤立対策担当室/政策参与)さんは、4つの視点:コロナ禍での支援→「つながり」孤独・孤立について→孤独・孤立の調査から→地域で何をしていけばいいのかについて、話されていました。

大西さんはホームレス・生活困窮者支援のNPO活動をしておられる中で、ひきこもりの支援にも関わってこられたとのことをお聞きし、私としても共通の視点を感じていました。

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孤独・孤立対策を進める上では、政策として進める前に、現代社会の社会構造としての文化的現実を再確認し、組み立て直す視点が必要と、私は感じるのです。

そこに浮かび上がってくるのは、教育(子育て)と文化(日本人・人間・市民としての心的軸:アイデンティティ)の再構築を切り口とした育て直しが、求められていると考えます。

日本人としての宗教性の掘り下げ・捉え直しといってもいいと思います。神道、仏教、キリスト教等の特定の宗教を統合した視点で、宗教性(スピリチャリティ)を文化的に問い直すことであり、「生きること」「これからの人生観」といったことを、日常生活レベルで「孤独・孤立」を語り合えることを、足元から始める一歩として捉えてもらいたいのです。

今コロナ禍を潜り抜けようとして、私達に迫っている未来への不安の元としての「孤独・孤立」を、個々人の人生の中で考え、確かめ合っていく作業が求められていると、ひきこもり支援を見つめ続けている私は痛感しているのです。
昼夜逆転は直すべきか? [2023年01月30日(Mon)]

不登校になり始めて、先ず心配することに、「昼夜逆転」があります。
どうしてそうなるのかは分かりませんが、「人に会いたくない」という気持ちが嵩じていくと、いつの間にか昼夜逆転になっていて、その習慣が身についています。

よく、先ずは生活習慣としての「昼夜逆転」を直しましょう。朝の陽射しを浴びることは気持ちがいいし、色んな効果もあって健康になります。そこから挑戦しましょうか?

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簡単に言ってくれるが、そんなことはできないのです。
少なくても、風月庵ではそれは無理だし、意味はないと考えています。
そんなことよりも、起きている時間を大切にしてもらいたいです。楽しくしてもらいたいです。起きている時間で色んなことを始めてみることこそ、提案したいのです。

したいことから、出来そうなところから始めるでいいのです。
何よりも、今が楽しく、生活が楽になることが先決です。
あれもこれもしたいことは片っ端からやってみることで、何か出来そうな気になってきます。動き出してみることです。

先ほども書きましたが、私流には、「人に会いたくない」が、めぐり巡って「昼夜逆転」生活になっているのです。
その方向から考えると、人に会いたくならなければ、昼夜逆転の生活リズムが替わることは無いと考えるのです。

まずは、会いたい人に会い、楽しめる範囲で、やりたいことをやる。これに徹しながら、しんどいこと、つらいこと、苦しいことはしないということに挑戦することです。

「会いたい人に会い、やりたいことをやる」が、人の「生きる力」を生み、育てることだと思います。
睡眠時間は6〜10時間の範囲内なら昼夜逆転はOKです。
睡眠時間が、毎日、4時間未満や、12時間以上は、私でも病的な症状と考え、病院に受診することをお勧めします。

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8時間程度の睡眠がとれ、目覚めがさほど悪くなければ、「さあ、今日は何をしようか?」と、楽しいことや、やってみたいことを、自分流に始め、自分のペースで続けてみてください。

「昼夜逆転」を直さなければというとらわれに縛られていると、いつまでも動くことが辛いままですから、さらに動けなくなっていくばかりとなるでしょう。

不登校になれば、出来るだけゆっくりと休み、楽しいことをして、嫌なことを忘れ、眠りたいだけ寝て、やりたいことしかしないという生活を徹底して続けてみてください。

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3ヶ月過ぎると、何かやってみたくなってきますから。
現代社会に生きることで、肩がこり、頭痛がして、腰が痛み、胃がしくしくし始めたら、「休みましょうシグナル」が点滅すると、3ヶ月は充電しましょうと知らせてきているのです。

そうなった時には、徹底した「昼夜逆転」生活に挑戦し、自分の生き方や、考え方を見直す(このままでも、いいんじゃ!)ことにこそ挑戦してみてください。
あなたには、やりたいことはありますか?
会ってみたい人はいますか?
そんな気持ちが湧きあがったら、その気持ちを大切に、素直に動き始めてください。
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