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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


日常の場面から覗き、心理課題を掘り下げる [2024年10月15日(Tue)]

風月庵の対話クラス

風月庵では、自分に出会うために、いろんなことを、仲間と一緒に体験していきます。

スポーツでは、主にバドミントンをしていますが、卓球を同時にすることもあります。
まずは、安心な関係の人との「1対1」の練習をするところから始まります。
キャッチボールの要領で、「受けて・打つ」「受けて・打つ」を繰り返して、慣れていきます。

次に「2対2」の試合へと進んでいくのですが、他の人の動きを見ていると、なかなか試合に安心して参加ができません。
そのタイミングを見計らって、挑戦してもらいます。

そのように、安心できる2〜3人で、一緒に行動します。

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ふっと声をかけて、何気ない会話が始まる

ゲーム・お出かけ・食事・見学・散歩・観光等、一緒に出掛けての車中、歩きながら、ふっと声をかけて、一言二言の言葉を交わすところから、何気ない会話が始まっていきます。
それが自然な会話へと発展していきます。

そんな場面を積み重ねて、やっと「対話クラス」への参加が始まることになります。

「対話クラス」は、毎回近況報告から始まります。
始めはなかなか話が出てきませんが、お互い、丁寧に聞いていくと、短い話も長くなってきます。
それに前もって用意してくれるのでしょうか、少しずつですが、自分から話してくれるようになります。

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共通の気持ち、違う感情を、きっかけに

親との関係、昔の子供時代での友達との関係、不登校時代の共通の気持ち、違う感情、色んなことをきっかけに、いろんな話を丁寧に、お互いを尊重しながら進めていきます。

そんな日常生活の話をしてみるものの、各自それぞれに違う体験と、異なった思いと、うまく言えない気持ちを抱えていることも含めて、なかなか言葉にできにくいところを言葉にして話していることがわかってきます。

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安心して、会話の中に居る

そうなってきて初めて、安心して会話の中に入ってこられるようになってくるのです。
そんな日常の場面から拾った、何気ないことから、人としての心理課題をみつけて、皆で、違う言葉を繋げながら、ものごとを掘り下げるクラスが、「対話クラス」なのです。

「対話クラス」を楽しめるようになると、心の中に、風月庵という心の居場所を、お互いに育てていくことになるのです。
「1対1」から「3の場」に [2024年10月12日(Sat)]
「1対1」から始まる
1対1の関係作りも「場」を作ることを意識するところから始めます。
この「場」は、両者間に漂う空気感や、気持ちでの安心感、関係性の信頼感等と同じ意味を持つと考えています。

日常の会話や、やり取りの中で、「安全」と「安心」と「信頼」が、そこはかとなく空気に漂い、心の奥でジンワリと響きあっているようなエネルギー(動き)を感じあえている状態だともいえます。

「場」作りは、そんな「1対1」の関係作りから始まります。

それは、支援者と父、支援者と母、支援者と当事者、支援者Aと支援者B、父と母、親と子と、それぞれの関係において、「場」を作り、豊かなものに育てていき、互いが刺激し、支えあえる関係へと成長させていきます。

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「1対1」から「3の場」へ
「1対1」で生まれた「場」を実感しつつ、成長させていくのですが、そこに広がりを持たせることが「3の関係」への発展です。

皆さん、家族、仕事場の同僚、趣味の仲間、諸々のコミュニティでの集団の関係性の中で、安心でいて、安全に関わりを進展させる事は、誰でも容易ではありません。

特に、私たちタイプの人間は、その技術や感覚が分からないから、コミュニケーションで悩み、戸惑い、苦しんできたのですから。

「第3の人」の表現・理解能力を計る
集団の多くは、「3」以上の関係と言ってよいでしょう。

いよいよ、3の関係作りが始まります。
自分と相手との「1対1」の関係を意識しながら、同時に、もう独りの「第3の人」の存在や、話題の情報共有が出来ているのか?
2人の会話に入ってこられているのか? 
時々は「第3の人」に話題を振り、問いかけたりしながら、「3」の会話が、「場」として温まっているのか? 
共有できているかを確かめ、サポートしながら話を進めます。

「第1の人」は、「第2の人」との会話を進めながら、同時に「第3の人」の表現や理解能力を計り、スムーズに会話に入ってこられる手助けやチャンスを作り、話を進めます。
これは、見えにくい、難しい役割なのです。

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「場」に、ファシリテーターの役割
話を進める時に、そういう話の進行と動きを手助けし、話しやすくなるように調整する役割が必要です。
その役割を担う人を、「ファシリテーター」と言っています。

ファシリテーターの役割が十分に反映されていると、話しやすいばかりでなく、言葉遣いや、発想も緩やかになり、信頼を持って、その話の「場」に居られて、安心して積極的な参加へと促されていくことに成ります。

「3」の場に入る時の配慮
「3」の場では、特に「1対1」の話の中に第3の人が入ってきた場合は、第3の人への配慮や、気遣いが必要となります。

同時に、「1対1」から「3」の場へと、雰囲気や会話の流れを説明し、「場」を作り直すことを始めます。

第3の人が参加することを認められるのか?どうか等、暗黙の中でことを進め、其々が了解できるところから、「3」の場を整え、温め、会話を始めなければなりません。

そういう意味では、「1対1」の会話の場に、第3の人として入っていく場合は、周りから様子を伺い、「1対1」の2人に了解を得る手順を経る等の、会話に入る許可を貰う必要があるでしょう。                  →つづく
そこに座っていただけの「存在感」 [2024年10月01日(Tue)]
何もしないから、存在感がある
多くの若者が、スポーツクラスで、壁にもたれていて、何もしなくて、ただ座っているだけではいけないと思っている。
一生懸命、練習に参加し、試合に参加して、出きるだけ勝ちたいと願って参加することが当たり前と思いこんでいます。
Y君も、そうだったようだ。

Y君は、スポーツは参加し、試合に出て競い、勝ち負けがあって面白いのであり、参加しないと、何の意味もない、下手な自分が参加すると、それだけで、周りの人に迷惑をかけているだけと思っていました。

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いつものところに座っているだけで
「Y君が参加して、皆がスポーツしているところを観てくれているだけで、君の存在価値はあり、Y君がいつものところに座っているだけで、いつもの様に、Y君がそこにいることが、私達、参加者を安心させてくれていると、説明した。

Y君が、そこに座っていないと、「今日は、Y君はお休み?」と、誰かから声がかかる。
お母さんから「今日は、体調が悪いから、休むそうです」と、聞かされると、(大丈夫なのか?)と、心配してしまう。

座っているY君に「試合に参加する?」と、誰かが声をかけても、驚いたように首を横に振り、戸惑った表情を見せる。
(ごめん!声をかけるのには、早かったのかな?)と心の中で反省しつつ、今度は、いつ声をかけようと想像してしまう。

Y君は、ある時、黙って立ち上がり、点数版の前に来て、点数を付けてくれるようになった。
それからというもの、毎回してくれるわけではないが、本人の気持ちが向いたら、気持ちと行動が一致したら、むっくりと立ち上がり、点数版の点数をめくってくれている。

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Y君の気持ちと行動が、いつ一致するかはY君にしか分からないことだが、点数を付けてくれる時には、「お願いします」と声掛けと一礼をします。
試合が終わると、「ありがとうございました」と、試合に参加した人と共に、点数付けのY君に向かい、一礼と声掛けを、心がけている。

何もしなくても、存在感は残っている
風月庵でのスポーツはうまくなりたいから、上手になりたいから、技能を高めたいから、スポーツをしている訳ではありません。
社会の中で、仲間の中で、一緒に何かを楽しめる雰囲気を、自分が身につける為に、スポーツクラスに参加してその感覚を掴んで貰いたいと願っているのです。

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だから、極端な言い方をすれば、何もしなくて、眺めていて試合を見守り、その応援をすることが、参加の1スタイルと考えてもいいのです。
いつもの所に、Y君が、いつものように居てくれることの安心感を、参加者全員が感じているものなので、その「自分の存在感」をY君にも知ってもらいたいのです。

そんなY君も、「ちょっと、やってみようかな」と、気心の知れた人と練習を始めています。
「試合はもう少し上手くなってきてから」の言葉を、私達は温かく受け止めながら、一緒に試合を楽しむ日が来ることを、ゆっくりと待っています。
「絵本」に、文字はいらない [2024年08月28日(Wed)]

言葉じゃないコミュニケーション
今日は、4ヶ月ぶりの絵本クラスを再開しました。
表現は「文字」「言葉」に関係ないことを知ってもらいたいのです。

ですから、絵だけで、メッセージになる本が絵本だと考えます。

言葉じゃないコミュニケーション学習です。

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今日、風月庵にやってきた絵本の1冊目は、「もじのないはがき」向田邦子・原作/角田光化:文/西加奈子・絵です。

戦争中に疎開していた子どもからのはがきですが、文字がまだ書けないのですね。そこで、暗号を教えて、それを描いて送ってもらっていたのですが、その内容に変化が現れるのです。
その変化は悲しい変化ですが、想像するしかありませんね。文字で書かれていないのですから。

次は、岩手の昔話の遠野物語シリーズ(柳田國男/京極夏彦・文)でも、死を扱った「てらてらの」はたこうしろう・絵は、人の老後をどのように捉え、現世と来世とのつなぎ目としての居場所を描いています。
どの絵本も、シリアスな大和絵の雰囲気で、遠野物語の暗い世界感を深く表現されていました。

「やまびと」中川学・絵/「おまく」羽尻利門・絵も、聞いているだけでは、そらおそろしい遠野物語を、豊かな色彩とデザインで、観る人の心に、この世界へと誘ってくれます。

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印象に残り、皆に伝えたかったのは、韓国絵本(僕もあまり知らない)「かたつむり」キム・ミヌ作/わたなべなおこ訳です。
漫画かもしれない画面展開です。小さな男の子とお兄ちゃんの物語で、ジンワリ温まる絵本でした。

自転車で追っかけるのですが、お兄ちゃん達に追いつけない小さな少年の密かな頑張りが描かれています。
ところが、自転車から転げて、体ごと投げだされ、片方の靴と一緒に、草原に寝転がってしまいました。もう駄目だと諦めかけた時に、ゆっくりと、ゆっくりと木を登り続けているカタツムリに出会います。

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小さな少年は、ついて行こうとする事をやめて、今の自分を楽しみながら、ゆっくりと自転車をこいで帰っていきます。

私が紹介させてもらった絵本は、写真集ですが、私は絵本だと思っているものです。

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大地から命を貰っている植物や花の美しさを伝えた写真詩集「To Honor The Earth」(大地の天使たち)ドロシー・マクリーン/山川紘矢・亜希子;訳/キャサリン・トーモッド・カー;写真なのです。

同じように大地の命を賛美する映像に一句を添えた写真句集「幻花曼陀羅」夢枕獏が、もう一冊なのです。

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「この螺旋の中には、宇宙が閉じ込められている」

絵本クラスでは、大人の感性にも響く絵本を持ち寄り、紹介しているのです。
会話は、言葉でしているのではありません [2024年08月28日(Wed)]

1段階を試み→検討し→再実施したら、
次の1段階が、見えてくるのか?

「ひきこもり」支援を、当事者と支援者(親も)一緒に進めていくには、難しい課題があります。
一段ずつ、ゆっくりと歩んで行くことが、細やかに、厳密に問われるのです。

急いでは、いけません!

急いで、碌なことはありません。

なぜなら、時間をかけて、ゆっくりと、「ひきこもり」状態のここまでやってきたのですから、それまでの多種多様な挫折・失敗(取り組み・試み)に対して、一段一段と確かめながら進めることに、当事者も、支援者も、注意を払い、尊重することが肝心なのです。

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その一段一段を、お互いに伝え合い、
確かめ合ってきましたか? 

当事者の考える一段と、支援者が提案する一段には、必ず、もしかすると基本的な違いがあります。
その違いをお互いに伝え合い・尊重し、個性を認め合いながら、その経過と次の可能性を見つめなければなりません。

いや、うまく一段ずつ進んでいる時は、これが不思議に、次の一段が見えてくるものなのです。

一段が、一段とは思えい程に難儀していたり、これは自分が今やれる一段ではないと思われたりしている時は、スッキリしませんし、当然の様に、次の一段も現れては来ないのです。

私の1段階(ステップ)を、「会話をする」ことを例にとり、紹介させてもらいます

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屈託なく笑える→雰囲気で会話している
→一人でテレビを観て、楽しめる(嫌じゃない)
→誰かと一緒にテレビを観ても、楽しめる(嫌じゃなくなる)
→お笑い番組で、屈託なく笑える
→テレビで声を聞いて、話や会話の流れを掴むこと
(誰かの話を横で聴いているだけでもいい、会話の流れや進み具合を自分で取り入れ、感覚を身につけることです
 どんな「言葉」を使うのかは全く関係ありません)
→会話は、言葉でしているのではありません。雰囲気で会話していることを感じ取りましょう
一方で
→新聞の文字を読み、ゆっくりと時間をかけて、文章をつかみながら感じていきましょう
→見出しの大文字だけを読む→小見出しの中文字だけを読む→内容の小文字だけを読むと、内容を理解しようとはせずに、どんな文脈で流れているか、そのリズム(抑揚・強弱)をものにしましょう

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→ニュースを見て、外の世界が移り行く様に、自分が何に興味があるのかを探りながら、自分の興味(心に正直に、意外な気付きも・発見も)を見つけましょう
→アンテナに引っかかることは、どんなことでも情報として収集(置いておく)していきましょう
会話を自分にあったやり方で進める
→これらの一段を何日位で、次の一段に進むのでしょうか? それは人や・場面や・その時の調子によって違ってきます。無理をしないで、知らない内に身に着いていた速さを見つけながら、進めていきましょう

→会話を自分にあったやり方で進めて行く場合、その人その人で、全部違うのですが、変化する場面に共通性が見えることも多いのです。その共通性を、私は見守ります。

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これは、私が提案する1段階・1段階の進め方です

→会話を始める前に、会話を始めてから、さらにステップアップするためにと、自然にゆっくりとステップが進むのであれば続ければいいのですが、躓いたり、気分が乗らなくなってきたら、その一段そのものを再点検し直すことが、求められているのです。 
               
 「場」は、生きる力を育てる [2024年08月01日(Thu)]
既に、動き出しているはず
時期がずれている様に思うのですが、新しい相談者が続けて来られました。
14歳の息子さんのお母さん、20歳の息子さんのお母さんで、不登校状態の中で、どう接したらよいかのご相談でした。
ひきこもり状態が続いていること、親子でゆったりと信頼のおける雰囲気がまだ整わず、対話が出来ていないことで、ひきこもり状態がストップしていて、今の状態から動き始めるには、まだ困難な要因が残ると思われました。

親御さんなりに努力され、工夫されてこられたのは、お話を聞いていると、とても伝わってきました。

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家族の役割は「場」を作ることに始まり、安心の「場」を守ることに尽きます。
気持ちは通じ合っている様に聞こえる今回の話も、どこか「場」になっていないのではないかと思われました。
本当の意味で「場」が整っているのなら、本人が既に動き出している筈だという判断からです。

本人が動き出すとは、親が本人の決断に任せ、本人のやり方で、失敗や、経験を繰り返しながら、本人のペースで進み、自分のやり方に自信を持ち、それを親に、(他者に)認められる体験あ進んでいるということです。

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「場」とは、本人と親(家族)の間に生まれ育ってきた安心感と信頼感が安全に保たれている事を、本人が実感できていることです。

まずは1対1の関係作りを始めるのですが、多くの場合、お子さんとお母さんの関係です。
まずは、お子さんのわがままな行動や言動を、本人の気持ちの奥から出てきた表現(訴え:メッセージ)として受け止め、どんな気持ち、こんな感情、その時どう感じたの、どんな風に思ったの? と、そのままに聞いてあげて欲しいのです。

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コメントやアドバイスは
一切しないことが鉄則です

今、新しくそのことに挑戦し始めているお母さんがいらっしゃいます。

お母さんは、子どもの筋違いの言動に出会った時、「そんな事を言われて『そうなの』と、聞き流す事はできません」と、内容に気持ちを動かされて、心配の種が増えるばかりで、そのまま聴くことが出来ないというのです。

しかし、「そのまま聴く」ことに挑戦し続けられました。
1ヶ月が過ぎた頃から、随分、行動や言動が乱暴になり、わがままにもなってきました。

こんな事もするし、あんな事も言うしと、収拾がつかなくなるのではと感じて、先々心配され、さらに不安になるそうです。

お母さんに甘えてもいいのか? 
どこまで甘えさせてもらえるのか? 
確かめているので、ドンドンとわがままに、甘えさせてあげてください。と、お返事しました。

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しかし、お母さんが我慢を重ねて、これ以上は駄目と感じた時には「ごめん! それはお母さんには、きつすぎるわ」と、謝りながら、制止してあげて下さい。
やりすぎだから、やめさせるという理屈的な理由ではなく、ただ、お母さんが限界なので、「止めて」とストップをかけるのです。

「ストップ」が「安心感」になる

このストップは、安心感を生みます。
お互いが安全で居られる境目を、相手に、お互いで理解してもらう作業(アクション)です。
この感覚は、人間関係の安全・安心を保つ、大きな役割を果たしています。
ここから、「生きる力」の安心な歩みが始まります。
2024/07/31

「巨木」「大木」を訪ねて [2024年08月01日(Thu)]

神木は、土地を見守る神

例年、風月庵の外出クラスでは、県内の色んな施設やイベントを訪ねていました。
今年の外出先として、メンバーのYさんから、徳島県内の「巨木」「大木」を訪ねたいとの提案がありました。
そこで、1月より、6地域、17樹を訪ねました。

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彼が、「徳島の巨樹」で検索し、一覧表を印刷して、持ってきてくれました。県内・141樹あり、その表から、幹囲(幹の周囲)5m以上が「大木」と呼ばれ、10m以上が「巨木」なのかと、勝手に区分をしています。

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その分類でいくと、「巨木」は19樹、準「巨木」は9m台が11樹であり、「大木」は111樹となります。

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樹の種類で分けると、楠木が66樹、銀杏が28樹、杉が18樹、無垢の木が8樹、欅が4樹、榎木が3樹、小楢、桂、スダジイ、ホルトの木、栴檀、アカガシ、江戸彼岸、ツブラジイ、タブの木、樅の木、籠の木、栃の木、櫟、檜、タブノキ、等があります。

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5m以上の高さの枝はばっさりと切られ、道路の真ん中に見捨てられた様に立つ楠木は、大切に扱われている気配もなく、居たたまれない姿に絶句しました。


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多くの巨木は、神社の一角に大切に扱われ、2本の大木に挟まれた様に社が建てられています。特には奥の院の位置に巨木はそびえ立っていました。

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巨木は鳥居をくぐってお参りする位置に扱われ、鳥居と社と杜と巨木が、一つの神格を形成している神社が多いのです。

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 天と地を結ぶ巨木は、地域の神社の護り主として、天と地と現世をつなぐ存在(役割)として、礼拝し、敬われています。

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注意;大木(巨木)を、本で数えるのは違うと思い、1樹、2樹と数えました。
2024/07/31
「親の会」の役割とは? [2024年07月01日(Mon)]
PTAって、なんだったんだろう?

 不登校・ひきこもりに関しては、これまでのPTAの活動が、協力関係ではなかったのかと疑問に感じる出来事があり、不思議に思うことから、このブログを書くことになりました。

徳島県でも、不登校を支援する団体の協議会が、徳島県教育委員会の主導で呼びかけられ、活動されていると思います。

不登校課題の支援団体協議会として10年前くらいに、主に各市町村の適応指導教室(教育支援センター)間の交流と研修を目的として活動を続けてこられたとお聞きしました。
3年前から、私達民間のフリースクールや放課後児童ディ事業所にも案内が来て、私達も参加するようになりました。

中学卒業後も支援が途切れないようにとか、不登校児童の支援に、官民協力し、学校復帰にとらわれない、幅広い支援活動の実現に向けての動きが起こってきたことは嬉しいです。

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風月庵は、小中高の不登校児童を対象とはせず、不登校からひきこもり状態になり、20歳を過ぎても進展が見られず、家庭や部屋にひきこもっている若者とその家族と共に歩む支援活動を進めてきています。

ところが、この3年くらい前から、フリースクール阿波風月庵のフリースクールと称しているからと思うが、小中高の、特に中学校在学児童の親御さんから相談が増えてきました。
「本人が嫌がっているのに、学校へ戻そうとは思わないのですが、本人の将来を見据え、本人にあった生き方を支える居場所を、親として見つけてやりたいのです」とか、「フリースクールに通わせたいのですが、可能ですか?」と、学校復帰を第一目的にはしないことを明言されて、電話を頂きます。
今までにはなかったことでしたので、「学校復帰が前提ではない」をご理解いただけるならお受けできますと、返事をさせてもらっています。

どちらかというと風月庵は、家族と一緒に、本人の将来を、今の生活や暮らしぶりを見つめ直し、本人の「生きる力」を取り戻し、一歩一歩と進める具体策を、家族と一緒に模索していきませんかという姿勢です。

まずは、「生きる力」を発揮出きる環境と本人の意欲や気持ちを取り戻さなくては、社会に向けて背中を押すことは出来ないと思うからです。
部屋から、家から出られない、出るのに大きな抵抗を感じる人たちにとっては、家族からの本人への理解や、関わり方の工夫が欠かせないのです。

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そういった心の成長があり、人への信頼や経験することへの期待が生まれてきて始めて、学校へ、職場へ、社会へと歩み出せる状態に、やっとなれると考えるのです。

そういう家庭での歩みを理解し、その成長を認め、学校(職場・社会)という現場が、孤独で孤立してしまう気持ちと戦い、乗り越えようとしている人(子ども)を安心して、信頼を持って受け入れられる環境(居場所としての雰囲気)を、意識して確保してもらいたいと願うのです。

不登校・ひきこもりの状態にある若者への支援を、社会全体で支えていただけることが、本人への安全・安心・信頼の社会作りとなると考えますので、様々な団体が、支援協議会に参加することを望むのも、当然なのであります。
居なくなって、気付く「場」 [2024年06月11日(Tue)]

なんとなく、寂しいんだよね

 風月庵のクラスに参加し始めた若者は、大概の方が、自分の好みや苦手意識で判断し、参加する前に、参加しないと決めてしまいます。

それは、いろんな意味での可能性を狭めている事なのですが、それよりも、不安や、失敗や、戸惑ったらどうするか等の方が気になり、現実に足を踏み出すことが出来ないのです。

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運動が苦手、絵を描くは嫌、音楽を聴くのが、カラオケはしたくない等、今までの経験や、見た目で決めてしいます。
私は、スポーツ音痴で、40歳まで、自分がスポーツをした事がありませんし、観戦もほとんど知りませんでした。高校野球をたまにテレビで観るのと、息子が小学校時代にサッカーをしていて、その試合を観に行ったくらいです。

そんな私が、やりたかったのに、やらないときめて、してこなかったことをやってみようと、選んだのが、バドミントンと、バイク・ツーリングと、パントマイムでした。
何事も、3日坊主といわれた私は、バドミントンは3ヶ月間やれました。バイクは免許を貰って1週間後に、東京まで7日間のツーリングに行き、9年後の日本一周まで長距離ツーリングの旅はありませんでした。パントマイムは、周1回、バイクで通い、1年半後の発表会で卒業しました。

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風月庵を始めて、キャッチボールが出来ない若者がいたのには驚きました。流石の私も、ゆるいキャッチボールは難なく出来るからでした。
私は得意気に、キャッチボールを怖がらないことから始め、何とか取れても、投げられません。
本人は他の若者とキャッチボールをすることはありませんでしたが、他の若者がしているのを眺めるようになっていましたし、下手なりに、ソフトボールにも参加するようになっていたのでした。
河川敷の野球場で、懸命に走る彼の姿は輝いて見えました。

その内気付くと、他の若者とキャッチボールをしている場面を見かけました。
始めは、スポーツを休みがちで、参加を渋っていた彼でしたが、上手に出来なくても、同じようにプレイできなくても、皆と一緒にすることを楽しんでいるようで、休んだ次のスポーツでは、他の仲間とキャッチボールをしていました。

「今日、〇〇君は、スポーツ休みなの?」と、気に掛けてくれるメンバーも出てきました。怖がって手を伸ばして取っていたボールも、胸の前真ん中で取っています。
決して、上手くなっているとは言えませんが、楽しんでいる彼を見ていると、知らなかった楽しみを1つ見つけたのだと、確信しました。

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彼がスポーツを休んでいたある日、あるメンバーが仲間に「なんか、寂しいよな!」と、ポツリと言った一言が、私の胸に響いていました。
スポーツの時間が、いつの間にか、〇〇君が居て当たり前の「場」に育っていたのでした。
きっと、自分が下手だと思っている若者が参加しても、楽しめる雰囲気が伝わる「場」が、そこにはあるのでしょう。
「場」の色合いや、肌触り [2024年06月11日(Tue)]

家族、全員が変わってこそ

 家族が変わるということは、家族の「場」が変わると言うことと考えています。

安全と安心と信頼が保障されていると感じられる関係:雰囲気を、ご本人が感じていただいている状態のことを、「場」が温まっているといいます。

「場」の参加者の心や行動が広がっていくことを、「場」が育っていると表現しています。
支援活動や、家族が本人を支えるときに、最も大切なことが「場」を温め、育てることだと考えています。

安心・安全・信頼の「場」は、どうすれば生まれて、温まり、育っていくのでしょうか?

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会話がない、一緒に食事をすることも苦痛で、いつの頃からか挨拶もしなくなり、返事も首を縦横に振るだけになっている。
そんな生活風景は、ただ命をつないでいるだけで、生気がなく、元気が湧いてくる気配も見えません。
だからと言って「暗い顔をしないで! もっと、色んなことをお話ししない?」と、優しく語りかけたところで、その雰囲気は悪化するばかりです。

家庭では、ひきこもっている本人一人だけが、雰囲気を暗くしているように云われがちです。
そして、本人も、僕の責任だと思いこみがちです。

そんな雰囲気や空気は一人で作れるものではなく、家族全員が、その雰囲気:「場」の色合いや、空気や、肌触りをつくり、慣れ親しんで、当たり前にかもし出されているのです。
その重い空気は、長年かかって、家族全員が作り出してきた重い、重い思いの積み重ねなのです。
もしかすると、その重い「場」:空気の一番の被害者は、敏感に感じ取ってきて、今も苦しんでいる本人かもしれません。

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という事は、その空気:雰囲気:「場」でゆったりと安心し、どんな事が起こっても安全で居られて、自分や周りを信頼出来る関係が、互いに感じ合える実感がものをいいます。
一人の工夫や努力で、ものにできるのではないのです。

それこそ、家族全員が、少しずつ変われるところから始まり、お互いに変わったところを認め合えてこそ、次の変化も生まれてきます。

「場」は、連鎖し、伝播するものです

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そう、勝手に、目に見えず広がっていくものなので、少しでも変わってくれば、安心・安全で信頼の置けるものに変わったのなら、ふっと誰もが、何気ないことに楽になってきたと気付いてくるものなのです。
それを、丁寧に言葉にしてみましょう。
「最近、○○が変わってきたと思うけど・・・」と。

家族の一人ひとりが、「最近家に居ることが楽になってきた」
「やっぱり、家が一番やな!」「ほっと、出来るな!」と、感じられていて、ふと、周りの家族を見ると、皆がそんな風な顔をしていることに気付けたら、「場」が温まっている筈なのです。
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