vol.6 遊びのための最適なフィールドって?[2016年06月03日(Fri)]
なっつの気まぐれ日記 vol.6
「遊びのための最適なフィールドって?」
風の自然学校で活動をしていて感じることや
子どもたちとの関わりのこと、
素敵だなあと思うこと・・・
フリーキャンプの裏側を
常勤スタッフ2年目の私、なっつが
自由に、気ままに、書いていく
「なっつの気まぐれ日記」です。
子どもたちとの関わりのこと、
素敵だなあと思うこと・・・
フリーキャンプの裏側を
常勤スタッフ2年目の私、なっつが
自由に、気ままに、書いていく
「なっつの気まぐれ日記」です。
なんだかご無沙汰してしまいました。
夏のように暑かったり、
風は涼しかったり、
定まらない気候に季節の変わり目だと
いうことを感じています。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
■ 遊びの中でしていること
先月の母子でアウトドアで、
豊橋市の小島海岸に行きました。
海辺で寄せて来る波をいきものに見立て、
砂をごはんに見立て、
波が引いたところにごはんを盛り
波がやって来てザバーンとごはんを食べていく。
そんな遊びを延々としてた子たちがいました。
遊びというのは芸術だと思っています。
つまり生み出すもの、生み出されるもの。
創り出すもの、出されるもの。
誰が、いつ、どこにいて、周りに何があるのか、
様々な環境的要素、感情的要素が素材となり
それを織り交ぜて子どもたちがアーティストとなり
遊びを創っています。
熟練アーティスト(1ヶ月に3日間参加してくる子)は
やっぱり作品創りに長けていて、
初めて参加してくる子は、自由な場で自分の創造性を
最初は持て余しているように見えます。
「なにしよう、どう遊ぼう・・・?」みたいな。
この遊びの中でしているやりたいことに気付く→やる
という創造のプロセスは、
やりたいことがわからない学生が
たくさんいることからもわかりますが、
現代っ子に足りない体験。
遊びの中でしていること、
それは「”やりたい”を叶える」という
創造のプロセスなのです。
とても壮大な芸術活動なわけです。
■ 自然は最適なフィールド
子どもたちがそんな芸術活動を
していくのに、やっぱり自然は
最も適した場所なんだなあということを
最近強く感じます。
物質社会の生活環境の中には、
作為のあるものがほとんどです。
ペンは書くためのもの、
イスは座るためのもの、
ナイフは切るもの、
トランプはカードゲームをするもの。
ブランコは?
DSは?
目的のあるものを使うとき
創造性は求められず、
モノで溢れる環境をフィールドにすると
やっぱり発想することも、創造することも、
しにくいんですよね。
ところが、
自然はもともと作為のないもの。
木の枝でどう遊ぶか、
花をつんで何をするか、
原っぱで何をするか、
そして海岸でどう遊ぶか。
海を見て何を感じ、
砂を触って何を思い、
押し寄せて来る波に
どんな気持ちを抱くのか、
それは子どもたちそれぞれ。
個人個人のオリジナルな発想、創造が
ゆるされる一番の場所が
作為のない自然の中なような気がしています。
なっつ