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南三陸町(3)南三陸町(2)南三陸町(1)松島から三陸道を通り、南三陸町志津川地区に入ります。 光景は一変します。 海など全く見えない山沿いの景色の中で突然津波によるすごい光景に出合いました。 ![]() ![]() 南三陸町志津川地区にある老人ホーム慈恵園です。 高台にある平屋建てのホームは、津波により全壊していました。 入り口には献花台が供えられ、たくさんの犠牲者が出たことが推察されます。 こんなところまで津波が来たのかと思うと恐ろしいです。 その時ここはどのような光景だったのかと思うと、同じ老人ホームの職員として胸が痛みます。 ゴミとして外に放置されていたベッドや車イスには海からの藻などが絡まっていました。 ![]() ![]() ![]() 松島・塩竈長らくお休みをしてしまい申し訳ありません。 その間も平均25件/日のアクセスがあり(カウント機能がありますので)、こんなに怠慢しているのに・・・と恐縮しております。 忙しい忙しいは言い訳になりませんので、心機一転もう一度がんばってブログを続けたいと思います。 まずは、2か月も前になりましたが、東北3県訪問の報告を何としても仕上げたいと思います。少し時期的に遅くなりましたが、お許しください。よろしくお願いします。 感謝 ![]() ≪ 日本三景 松島 ≫ 2日目は、福島県郡山市磐梯熱海ICから磐越道・東北道・仙台東部道路・仙台北部道路と通り、松島に向かいました。 仙台東部道路では震災で大きな被害を受けた仙台空港の近くを通りました。 その辺りの道路は、支障なく走行できるとはいえ、段差があったり、まだ修復されていない壊れたガードレールがあったり、痛々しい状態でした。 日本三大光景と言われる松島は、あまり津波の被害も目立たず、観光客で大いに賑わっていました。 土産物屋さんも元気でしたし、遊覧船も出ていました。 町全体に活気があって、何かホッとしました。 遊覧船で約1時間の松島観光をしました。 でも、ちょうどお盆の時期で、その日は午後から慰霊の行事が催される予定で、その準備が進められていました。 その日の昼食は紹介していただいた隣町の塩竈市にある亀喜寿司というお寿司屋さんに行きました。 塩竈市は津波の被害をかなり受けており、この店も暫く休業を余儀なくされ、先日再開したそうです。 塩竈市には寿司ストリートと呼ばれるほどお寿司屋さんが多いそうです。 お寿司はとても美味しかったですが、まだすべてが地元で水揚げされたものとはいかないようでした。 ![]() 五色沼と磐梯熱海
(前回からかなり日にちが空いてしまいました。申し訳ありません。
![]() 8月15日(1日目)の午後は、福島県の観光地「五色沼」に行ってきました。 ここは内陸部にあって震災の被害はあまりない様子でたくさんの家族連れが観光に来られていました。 五色沼の水は本当にきれいで透明度もすごくありました。 池(沼?)はコバルトブルーで8月というのに、池の周りには紫陽花が咲いていました。 昔の磐梯山の噴火でできた池で、湖底には木々が沈んでいます。 たくさんの人がボート遊びを楽しんでおられました。 ![]() ![]() 泊まりは郡山市の「磐梯熱海温泉」という所でしたが、熱海という名前通りよい温泉でした。 その晩、宿の近くで盆踊りがあり、飛び入りで地元の人に混じって「磐梯熱海音頭」を踊ってきました。 地元の方と交わるよい機会でした。 ![]() 福島原発福島県いわき市から広野町へできる限り、福島第一原子力発電所に近づきたいと北へ車を進めました。 途中、波立海岸やJR末続駅に立ち寄りましたが、それぞれ大きな被害を受けていました。 ![]() ![]() JR常磐線は不通で、末続駅は休止中でした。(もともと無人駅だそうですが) R6で広野町に入ると、高い煙突が2本見えてきました。 ![]() 東京電力広野火力発電所です。 そこに隣接して、Jヴィレッジという大きなスポーツ施設がありました。 ここがいわゆる福島第一原発警戒区域(20q圏内)の境界線になり、R6は通行止めとなりました。 Jヴィレッジは震災以降全面閉鎖し、国が管理する原発事故の対応拠点となっており、警察車両や工事車両がたくさん集結していました。 とことこと何食わぬ顔で入っていきましたが、途中で警察官に「これ以上は許可書のない車は進めません」と止められてしまいました。 ![]() 周辺道路も通行止めで、完全封鎖されているという印象です。 無断で侵入すると災害対策基本法の規定により罰せられるという立て看板もありました。 ![]() 通行止めの看板の向こうは、のどかな風景が広がっており、自宅に帰りたくても帰れない警戒区域内の住民の方々の苦悩を少し実感した思いでした。 四倉海岸福島県いわき市塩屋埼から海に沿って北に向かうと、薄磯海水浴場が見えます。 薄磯海岸は、日本渚百選にも入っているきれいな海岸です。 ![]() 例年ならばこの時期、おおいに賑わっていたところでしょうが、今夏は遊泳禁止になっていて人影もありませんでした。 津波で破壊された監視台(?)だけがポツンと残っていました。 ![]() そのまま走ると、夏井川にかかる盤城舞子橋が通行止めで、やむなくR6を走ることになりました。 このように通行止めが残っていると、迂回道を行かねばならず、地域の方は不便を強いられていることを実感しました。 その後、四倉海岸で、四倉港の被害を見ました。 漁港には、使えなくなった漁船や車が山積みされており、これを見る漁師さんたちの無念さはいかほどかと思いました。 ![]() ![]() ![]() 道の駅もあり、震災当日も大いに賑わっていたのでしょう。 ここでも多くの人が犠牲になられたようで、地元自治会の慰霊札があり、花が供えてありました。 「道の駅よつくら港」は津波で全壊、それでも元気に仮営業中です。 いわき市3泊4日前後車中泊というかなりハードな旅行でした。 日曜日午後6時頃、宝塚を出発し、中国道・名神・北陸道・磐越道・常磐道を通り、翌朝夜明け前に福島県いわき市に到着しました。 約820q、お盆の最中でしたがピークを外れていたため渋滞にも合わず、夫婦で交替して運転し、ハードでしたが快適なドライブでした。 いわき中央ICを出て、海岸方面に向かいました。 塩屋埼を目指す途中で、豊間地区を通過し、夜明け前の薄暗い中でしたが、津波の被害を目にし、電気もなく人もいない無人の町に言葉もありませんでした。 それから塩屋埼に到着。 一見、静かな海が広がっていましたが、よく見れば防波堤も損傷し、陸側の施設も損傷していました。 塩屋埼灯台は外見は大丈夫な様子でしたが、灯は点いていませんでした。 立ち入り禁止になっていて登っては行けませんでした。 その後、福島原発に向かって海岸線を北に向かって走り、薄磯地区に入りました。 豊間中学校には瓦礫が高く積まれ、プールも瓦礫置場となっていました。 隣接する平薄磯地区はほとんどの家屋が基礎だけを残して消失していて、残っている家屋もすべて全壊状態でした。 人の生活している気配はなく、カラスが目につきました。 また、臭いも相当しました。 震災後、5ヶ月経ってもこんな状態とは・・・。 震災直後はどれほど大変だったことだろうかと案じました。 福島県というと原発被害ばかりが目に付きますが、地震・津波の被害も本当にきびしいものがあると痛感しました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (参考)他人の撮影ですが、豊間薄磯地区のYouTube映像です。http://www.youtube.com/watch?v=oCFjnOZznXU&feature=related 東北旅行(vol.2)
いよいよ明日夜、宝塚を出発し、東北旅行に行ってきます。
ニュースを見ると、お盆ラッシュで各地の高速道路は大渋滞、特に東北道は罹災者は無料通行となっていることもあり、大渋滞のようです。 もともとかなりの強行軍ですので、予定通りの行程で、東北3県を回ってこれるか不安ですが、とりあえず行ってきます。 東北まわりについては、震災後できるだけ早く訪問したいと願っておりましたが、仕事の調整もあってようやく実現しました。 今回、ボランティアは無理ですが、福島・宮城・岩手3県を祈りを込めて回わり、被災地の今を体験してくる予定です。 行程は、14日(日)夜に宝塚を出発、15日(月)午前福島着、できる限り福島原発に近いところまで行ってみようと思っています。 警戒区域のギリギリまで行きたいと思っています。 その日は、郡山に泊まり、16日(火)は、磐梯熱海ICから松島海岸ICへ、松島経由で一般道(できれば海岸道)で、宮城県気仙沼大島に向かい、大島に宿泊します。 17日(水)は、気仙沼から岩手県宮古に海岸線を走り(?)、宮古から盛岡経由で岩手網張温泉に宿泊。 聖隷が支援していた大槌町も訪問したいと予定しています。 18日(木)は岩手山・八幡平周辺を散策して、夕方宝塚に向けて出発、翌朝到着予定です。 東北旅行 |
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