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川勝部長のひとりごと



 社会福祉法人聖隷福祉事業団で法人本部企画開発部長をしています。


 事業団全体にかかわる企画開発関連事業に関わっています。


 日々感じたこと、考えたことを書いていきます。 よろしくお願いします。

『心のメス』

[2012年02月04日(Sat)]

『心のメス』

『狭い門からはいれ。
 滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
  そして、そこからはいって行く者が多い。
 命にいたる門は狭く、その道は細い。
  そして、それを見いだす者が少ない。』
      (マタイによる福音書7章13〜14節)

 今から四十年も前のことになりますが、高校に入学して間もなく同級生の故太田朗君に連れられて私は初めてキリスト教会(京都洛北教会)を訪問しました。

 ちょうど旧牧師館の建築が終わった後で、会堂は木造平屋の古いでも威厳のある建物でした。

 当時は教会学校がとても盛んで高校生クラスの分級は、旧牧師館一階の食堂で行われていました。

 その後、引き続き教会に通うようになり、高校卒業の春イースターに洗礼を受ける恵みにあずかりました。

 大学生の時、青年会有志を中心に早天祈祷会が始められ、青年たちは週一回朝早く教会に来て、聖書を読み共に祈った後朝食を共にし、学校や仕事へと出て行きました。

 齊藤牧師(当時)はいつも着物姿で、寒い冬の日は私たちのために早くから暖房をつけておいて下さいました。

 「心のメス」というお話はその時お伺いしたように記憶しているのですが、同志社大学神学部の時代から平壌(北朝鮮)や彦根での牧会生活を振り返られ、いつも選択を迫られた時、この御言葉で決断してきたこと。

 そして、この御言葉が私の「心のメス」だと言われました。

 私は、その時このお話に大変感銘を受け、自分もこの御言葉を「心のメス」として歩んでいこうと決意しまし。

 その後、人生の歩みのいろいろな場面でこの御言葉が思い出され、道しるべ「心のメス」となりました。

 狭い門(困難な道)と思える方向に進んでも、信仰を持って進んでいくならば大きな祝福が与えられ、振り返ってみればこの道を選んでよかったと必ず思えました。

 今、私は宝塚に住んでいます。

 母も91才になりましたが、脳出血の後遺症もなく、宝塚で元気にしております。

 日曜日には、家族みんなで教会に行き、礼拝を守ります。

 神様の恵みに日々感謝しつつ、これからも信仰生活を守っていきたいと願っています。

  『道は狭くとも われ行かん
       われ行かん われ行かん
   道は狭くとも われ行かん
       御足の跡を踏みつつ』
          (新聖歌457番折り返し)


   〜洛北教会からの依頼により
        『洛北だより』原稿より〜

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