20年目の春 [2011年04月30日(Sat)]
![]() 今日は、京都から珍しい人が病室を訪ねてきました。 齋藤洋さん。 染色家です。 私との縁は、1990年12月末、年の瀬も押し詰まった頃、エイズで亡くなった人を 追悼するためにつくられたキルト、エイズ・メモリアル・キルトの日本展を、全国 9ヶ所のツアーで開きたいが協力して欲しい、と京都から訪ねてこられたのが最 初です。齋藤さんは、ニューヨークの公園で展示されていたメモリアル・キルト を見て、これだ!とひらめき、日本展を実現させるために奔走していたところで した。私のことは、1986年11月から1987年2月にかけて、松本-神戸-高知と連続 して起こったエイズパニックのことをミニコミで話題にしていたことを読んでい た金沢の友人からの紹介でした。 私は、実行委員長になり、分担金200万円をほぼ寄付だけで集め、1991年5月、3 日間の仙台展を開催、1300人以上の方々に、約200枚のキルトを見ていただくこ とができました。それはそれは、荘厳かつ痛ましいもので、多くの人々に、単に エイズという病気を怖れるのではなく、その病気なった人間を見るという視点を もたらしたと思います。 あれからちょうど20年目の春です。 齋藤さんは、東北で被災したり、売り上げが落ちたりしているアートやクラフト の作家たちを、京阪神のギャラリーや展示会などで支援する枠組みをつくろうと 訪ねて来られたそうです。 途中、いわき市から北上、南相馬市を通って、仙台に来られたようですが、人っ 子ひとりいない、しかし建物は壊れていない、つい寸前まで人々が暮らしていた 痕跡がある広野町など、そのあまりの不気味さに言葉も出なかったとおっしゃっ ていました。 旧交を温めるとともに、二人とも悲しみと怒りにいっぱいの胸のうちをぶっつけ あう時間でした。 写真は、齋藤さんにいただいたテディベアとマフラーです。 テディベアは、ずっとHIV/AIDSの人々の生活を支援する基金(テディベア基金)の ために制作されているものです。テディベアは、もともと米国で、エイズの患者 さんが痛みに耐えるときにテディベアを抱いていたことから、支援活動のシンボ ルになったものです。マフラーと共に、野染めという手法で染められています。 素敵な色合いですね。 一緒に写っているヒデヨシくんは、ずっとエイズ関係の活動でおつきあいのある 方にはなじみのものです。もともとは、ますむらひろしというマンガ家の作品に 登場する人間よりも人間らしい猫です。カタツムリ社という私の出版社の屋号は、 そのヒデヨシが登場するマンガの中に出てくる、よくつぶれる出版社の名前から つけたものです。 感謝!! ![]() |